21世紀の現代において日本の宗教人口におけるキリスト教信徒の割合は全体の1%ほどに過ぎません。
映画ファンの方にも信徒ではないし興味もない、全然キリスト教のことを知らない方が相当数いるのではないでしょうか?
ですが、欧米の映画やドラマを観ているとキリスト教に関連する表現は何気なく出てきます。
映画鑑賞中に「これ、キリスト教っぽい何かだと思うけどどういう意味だろう?」と思ったことはないでしょうか?
今回は、映像作品を観るときに知っていると、便利なキリスト教の知識について解説していきます。
目次
映画に出てくるキリスト教に関する知っておくと便利な知識
そもそもキリスト教ってなに?
キリスト教とはイエス・キリストことナザレのイエス(紀元前4年ごろ-紀元後30年ごろ 以下イエスと略します)を救世主とし、その教えを信じる宗教です。
「キリスト」とはギリシャ語で「救世主」の意味です。
イエスはベツレヘム生まれでナザレ育ち、どちらも現在のイスラエルに残る地名です。
キリスト教は地域的には中東の発祥ですが、ローマ帝国で国教化されたのちヨーロッパ中に広まり、ヨーロッパにおける文化の根幹をなす存在になりました。
以下、キリスト教の歴史、教えなどを関連映像作品を交えつつ解説していきます。
キリスト教の歴史
キリスト教はユダヤ教を発祥元としています。
「キリスト教」としてはっきり認識される前の初期キリスト教は「ユダヤ教の一派」扱いでした。
ニコ・トスカーニ
ユダヤ教は唯一神ヤハウェを信仰するユダヤ民族の民族宗教です。
その起源は非常に古く、紀元前5-6世紀ごろのバビロン捕囚でユダ王国のユダヤ人たちがバビロニア地方に捕囚として連行されたころに基礎が作られたと考えられています。
その後(紀元前539年)、この捕囚されていたユダ王国の人々がユダヤ(現在のパレスチナ南部)に帰還。
ユダヤ教団が発展します。
しかし、ユダヤ民族は自分の国を持てた訳ではなく、その後も周辺諸国の支配を相次いでうけ、紀元前63年、ユダヤはローマ帝国の属領になっていました。
イエスが生まれたのは、このローマ属領時代です。
ユダヤの民は幾世紀にも渡る支配と迫害に疲れ、救世主を求めていました。
前述の通り、ベツレヘムで生まれたイエスはナザレで育ち、成人して洗礼者ヨハネから洗礼を受けると、30歳ごろからガリラヤ地方を初め各地で布教を始めます。
この頃、ユダヤ教は広く民衆に広がっていましたが、旧約聖書の律法(教え・指示)を教える律法学者が力を強め、戒律の順守を人々に求めていました。
それに対してイエスはわかりやすい言葉で「誰でも救われる」と説き、ユダヤ教指導者たちから反逆者と見做されました。
ニコ・トスカーニ
ユダヤ教の聖地エルサレムに入ったイエスは12人の弟子たちと最後の晩餐を開いた翌日、弟子の一人であるユダの裏切りで捕らえられます。
そして、ローマ帝国の第五代ユダヤ総督ポンティウス・ピーラートゥス(紀元前一世紀ごろ)によって死刑判決を受け、ゴルゴダの丘で十字架にかけられました。
刑の3日後、イエスは蘇り、その40日後に天に昇ります。
ニコ・トスカーニ
イエスの生涯はダイレクトに映画の題材になっている例も多いです。
イエスを悩める一人の人間として描いて物議を醸した『最後の誘惑』(1988)、ミュージカル仕立てにした『ジーザス・クライスト・スーパースター』(1973)。
イエス最後の12時間を描いた『パッション』(2004)などその代表例でしょうか。
とりわけ『パッション』は現代では死語になっているアラム語、ラテン語、ヘブライ語(現代ヘブライ語と古代ヘブライ語は別物)を劇中言語として使い、アメリカ映画なのに英語は一言も使われていない拘り過ぎの意欲作です。
ニコ・トスカーニ
「イエスの復活」という奇跡を目の当たりにした弟子たちは、イエスの教えを引き継いで各地で布教を開始しました。
なかでもパウロ(?-60年ごろ)は4度にわたる伝道の旅で、ついに帝国の首都ローマに上がっています。
以後、キリスト教はネロ帝(37-68)などによって迫害を受けますが、コンスタンティヌス一世(270年ごろ-337)の時代にはローマ帝国に公認されています。
イスラエルの民俗宗教であり、ユダヤ民族を救済対象とするユダヤ教に対して、キリスト教は万人を救済する普遍宗教です。
ローマ帝国の支配域は東ヨーロッパから北アフリカまで及び、ローマは多人種国家でした。
ニコ・トスカーニ
さらに時代が下るとローマ帝国が衰退し、東西ローマに分裂します。
西ローマ帝国ではカトリック教会、東ローマ帝国では東方教会(ギリシャ正教)が誕生し、双方は互いを破門し合って決別しました。
西ローマ帝国が476年に滅亡するとローマ教会の教皇(または法王。後で詳しく解説します)を奉ずる王国が分立し、いわゆる中世時代に入ります。
ローマ教皇の威勢は西ヨーロッパ全体に広がり、王や諸侯によって各地に教会が建てられました。
各地域の住民は教会の名簿に載せられ、冠婚葬祭をはじめ日常生活の隅々にキリスト教の信仰、習慣が根付いていきます。
多くの教会は現代まで存続し、ここにヨーロッパ文化の基礎が築かれました。
ヨーロッパ文化の根本にキリスト教があるのはこれで当然の結果であることがお分かりいただけたと思いますが、アメリカを開拓したのはイギリスはじめヨーロッパから渡ってきた移民たちです。
アメリカ映画を観ているとキリスト教に関する描写が何気なく出てきますが、これはアメリカにキリスト教の文化が深く定着しているからです。
ニコ・トスカーニ
2021年のアカデミー賞で助演男優賞を獲得した『ユダ&ブラック・メシア』(2021)は、1960年代に実際に起きた事件を基に制作された社会派サスペンスですが、タイトル(原題は”Judas and the Black Messiah”)を直訳すると「ユダと黒い救世主」です。
「ユダ」は裏切り者の代名詞です。『ユダ&ブラック・メシア』は急進的政治組織ブラックパンサー党に潜入するスパイの話らしいので、「ユダ」はラキース・スタンフィールド演じるスパイのことを指しているのでしょう。
「黒い救世主」はブラックパンサー党指導者のフレッド・ハンプトン(ダニエル・カルーヤ)でしょうか。
ニコ・トスカーニ
なお、以後、ルネサンス期やプロテスタントの誕生、十字軍などキリスト教史における重要な事件が発生するのですが、それらについては後述します。
ニコ・トスカーニ
聖書
聖書はキリスト教の聖典となっている宗教的な文書集です。
旧約聖書と新約聖書の二つの部分に分かれており、これらは全く成り立ちが異なります。
まず、旧約聖書ですがこれはキリスト教誕生以前から存在した古代イスラエルの民と神の関わりの歴史、救いの約束を描いています。
文書はもっとも古いもので紀元前12世紀ごろの成立で、それを紀元後一世紀後半に編纂したものが旧約聖書だと考えられています。
「旧約」と呼ぶのはキリスト教側のみで、ユダヤ教徒にとっては旧約聖書のみが聖書です。
旧約聖書には様々な逸話が収められていますが、有名なのは天地創造、最初の男女であるアダムとイブ、最初の殺人とされるカインとアベルの物語、神が傲慢になった人間を滅ぼしたノアの方舟、神が人々の言葉を分けたバベルの塔などの物語が描かれた「創世記」。
預言者モーセがエジプトで虐げられていたユダヤの民をエジプトから連れ出し、シナイ山で神との契約「十戒」を授かる「出エジプト記」。
伝説的な古代イスラエルの王であるダビデとその息子ソロモンなどが描かれている「サムエル記」「列王記」などが有名どころとして挙げられます。
これらは直接的、間接的に映像作品の題材になっています。
ニコ・トスカーニ
止めはしませんが、視聴前によく覚悟してからトイレの準備を済ませて観てください。
また、名作映画『ショーシャンクの空に』(1994)はドラマ作品ですが、(注・ネタバレ)主人公のアンディ(ティム・ロビンス)が脱獄に使ったロックハンマーを隠していたのが分厚い聖書の中で、しかも隠されていたのは「出エジプト記」のページです。
ニコ・トスカーニ
天まで届く高い塔「バベル」を建てようとして人類の傲慢さを嘆いた神が再び同じことを画策できないよう彼らの言葉を分けてしまう「バベルの塔」の物語は映画『バベル』(2006)のタイトルになっています。
『バベル』は直接に宗教的なことが描かれているわけではありませんが、物語がモロッコ、アメリカ、メキシコ、日本の四か国に及び、アメリカ映画にも関わらず英語、スペイン語、アラビア語、日本語の四か国語が使われています。
また、クラシック映画の『エデンの東』(1955)は普通にドラマ映画ですが、この作品も極めてキリスト教的です。
「創世記」には前述の通り、原初の殺人とされるカインとアベルの物語が収録されています。
カインは自分の供物が神に嘉納されなかったため神に愛された弟のアベルを嫉妬のあまり殺してしまう、という物語です。
『エデンの東』は明らかにカインとアベルの物語をモチーフにしています。
主人公のキャル(ジェームズ・ディーン)はケイレブの愛称ですが、兄弟殺しのカインを思わせるネーミング。
父の愛に飢える青年の役ですが、父の名前はアダム(神に作られた最初の人間で、すべての人類の父)で、キャルは父に期待を寄せられる兄に嫉妬しています。
「エデンの東」は理想郷であるエデンの園からアダムとイブが神との約束を破って追放された場所であり、ダイレクトに聖書の引用こそしていませんが『エデンの東』はとことんなまでにキリスト教的です。
原作者であるジョン・スタインベック(1902-1968)は『怒りの葡萄』も映画化(1940)されていますが、同作では「出エジプト記」の”land of milk and honey”(乳と蜜の流れる地)という言葉が引用されています。
ニコ・トスカーニ
ポール・ハギス監督の『告発のとき』(2007)はイラク戦争の戦争犯罪を描いた社会派サスペンスですが、原題は”In the Valley of Elah”(エラの谷で)です。
エラの谷は「サムエル記」でダビデが巨人ゴリアテを倒した地名で、映画劇中でもトミー・リー・ジョーンズ演じる退役軍人が旧約聖書のエピソードを引用しています。
ニコ・トスカーニ
さて、旧約聖書と映画の話だけでだいぶ長くなってしまいましたが、もう一つの聖書「新約聖書」についてです。
新約聖書は一世紀後半に書かれ、主に4世紀にまとめられたとされている文書集です。
「旧約聖書」「新約聖書」の「約」とは神と交わした「契約」のことで、旧約聖書は古代イスラエルの民による「旧い」契約、新約聖書はイエス・キリストによる「新しい」契約を意味します。
ユダヤ教、イスラム教でも教典とされる旧約聖書に対して、新約聖書はキリスト教のみの聖典です。
新約聖書は全27巻から成り、イエスの教えが記されています。
前述した『パッション』や『最後の誘惑』などは新約聖書を元ネタとしています。
イエスとキリスト教はバックグラウンドとしての登場ですが、歴史映画でありながら宗教色の強い『ベン・ハー』(1959)も新約聖書に強い影響を受けた作品です。
モンティ・パイソンの『ライフ・オブ・ブライアン』(1979)は新約聖書を題材にしたコメディで、キリスト教団体から批判を浴びました。
その成立過程ですが、実のところ、新約聖書の成立についても歴史上山ほどのすったもんだがあり、その過程で「正典」と認められず聖書に収録されていない書物もあります。
聖書が一応の決定をみたのは4世紀のカルタゴ公会議で、ここに福音書(イエスの言葉)は「マタイ」「マルコ」「ルカ」「ヨハネ」の4編と定められました。
しかし、驚きなことに「ユダによる福音書」も存在していたそうです。
ユダと言えばイエスを密告した裏切り者ですが、「ユダによる福音書」では一番のイエスの理解者であり、密告もイエスの指示だったことになっているとのこと。
また、『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズに予言の書として登場した死海文書は1947年にヨルダンとイスラエルの国境にある死海付近で見つかったものですが、歴史は非常に古く、文書が成り立ったのは2000年以上前。
ユダヤ教の一派であるクムラン宗団のものであることがわかっています。
死海文書は古代ユダヤ教の聖典群であることがわかっていますが、発見から70年以上経過した今でも解明はあまり進んでいません。
ニコ・トスカーニ
どんな宗派(教派)があるの?
世界的に広まった宗教であれば大体そうですが、キリスト教にも教えの解釈を巡り多くの宗派(教派)が存在します。
大雑把にカトリック、プロテスタント、正教会の三つです。
前述のとおり西ローマ帝国ではカトリック教会、東ローマ帝国では東方教会が成立しました。
カトリックが統一的な教区組織を持ったのに対し、東方教会は東ヨーロッパの民族ごとに伝わりました。
そのため、東方教会にはギリシャ正教、ロシア正教、セルビア正教、ブルガリア正教、リトアニア正教など多数の系統が存在します。
それらから遅れて成立したのがプロテスタントです。
中世の最大勢力だったのはカトリックでしたが、中世のカトリック社会では聖書はラテン語で書かれ、一般信徒が読むものではありませんでした。
しかし、神聖ローマ帝国の神学者マルティン・ルター(1483-1546)は「聖書の言葉によって信仰で救われる」と説き、宗教改革が始まります。
ルターはカトリックの教会制度は司祭という特権階級を生み出していると抗議(プロテスタント)し、ここから「プロテスタント」という宗派が生まれます。
プロテスタントは旧教(カトリック)への抗議から生まれた宗派の総称であり、複数の宗派が存在します。
ニコ・トスカーニ
プロテスタントは政治利用もされました。
カトリックの教義では離婚が禁止されていますが、妻が世継ぎを生まないため離婚したかったイングランド王ヘンリー8世(1491-1547)は自らを首長にプロテスタントのイングランド国教会を設立しています。
この時、法律家、思想家のトマス・モア(1478-1535)はカトリックの立場から国王を批判し、反逆罪で処刑されています。
この事件は多くの創作で題材になり、『わが命つきるとも』(1966)はアカデミー賞の作品賞を受賞し、モアを演じたポール・スコフィールドは主演男優賞を獲得しています。
イングランド国教会成立の過程はイギリスのテレビドラマ『ウルフ・ホール』(2015)でも描かれています。
宗教改革を巡って戦争も起きました。
後述する十字軍はカトリック連合軍であるため、同じキリスト教徒であるプロテスタントとも争いになりました。
映画ではなく漫画ですが、歴史の勉強もできる大西巷一氏の歴史漫画『乙女戦争 ディーヴチー・ヴァールカ』(2016-2019)があります。
同作はチェコで宗教改革運動をおこし、カトリックのだまし討ちで処刑されたヤン・フス(1369-1415)の事件を発端とするフス戦争を背景としていますが、フスはプロテスタント運動の先駆者とされています。
ニコ・トスカーニ
また、アニメ化もされた『HELLSING』(1998-2009)では、マクスウェル司教が「プロテスタントのクソ雑巾どもが2人死のうが2兆人死のうが知ったことか」と嘯いていましたが、これはマクスウェル司教がカトリックでヘルシング機関のあるイングランドがプロテスタントのイングランド国教会であることから来たセリフです。
また、よく混同されますが、「神父」はカトリックの聖職者、「牧師」はプロテスタントの聖職者のことで、「ミサ」はカトリックの儀式でプロテスタントの場合は「礼拝」です。
『魂のゆくえ』(2017)の主人公エルンスト・トラー牧師(イーサン・ホーク)はプロテスタント、『エクソシスト』(1973)のダミアン・カラス神父(ジェイソン・ミラー)はカトリックです。
本来キリスト教は偶像崇拝を禁止しているため、教会にイエス像やマリア像を置くのは教義に反するのですが、カトリックは偶像崇拝を解禁しているためカトリックの教会は華やかです。
プロテスタントの教会に置かれるシンボルは十字架だけで、カトリックは聖母マリア(イエスの母)を重視しますが、プロテスタントはマリアを重視しません。
ニコ・トスカーニ
十字軍
キリスト教の聖地は現在のイスラエルにあるエルサレムです。
ところが、ユダヤ教もイスラム教も同じくエルサレムを聖地としているためこの地を巡って歴史上幾度も戦争が起きました。
ニコ・トスカーニ
カトリックのキリスト教連合軍である十字軍は第一回(1096-1099)から第九回(1271-1272)まで都合9度の遠征をおこない、結局撤退しています。
現代においてエルサレム旧市街は歴史的、文化的価値を認められてユネスコの世界遺産に登録されていますが、政治的にややこしいことになっているので隣国のヨルダンが申請してどこの国にも属さない形で登録されています。
聖書は「汝、殺すなかれ」「汝の敵を愛せ」と説いていますが、歴史を振り返ると明らかにキリスト教は暴力を容認しています。
旧約聖書にも神の名のもとに、敵を滅ぼす描写が多々見られます。
旧約聖書の「サムエル記」に登場するダビデとゴリアテの戦いなど、その典型例でしょう。
ダビデは投石でゴリアテを倒したあと、ゴリアテの剣で首を切り落としています。
キリスト教は各職業の守護聖人を定めていますが、名高いジャンヌ・ダルク(1412年ごろ-1431)はカトリック教会の聖人に列せられており、軍隊・軍人の守護聖人として崇拝されています。
大天使ミカエルは天使軍の軍団長であり、戦いの天使として崇拝されています。
他、ドラゴン退治の逸話で知られる聖ゲオルギウスや、怪物タラスクを退けた聖マルタなど、キリスト教の伝承には戦いの逸話も結構多いです。
ニコ・トスカーニ
キリスト教側の十字軍には聖地奪還、イスラム教にも聖地の防衛という大義名分があるためこの争いは双方にとって正義のための戦いでした。
教えをどのように解釈するかは結局、宗派、個人によって異なるので、どうしてもこういうややこしいことになってしまうんですね。
ニコ・トスカーニ
一応ここでは、リドリー・スコット監督の『キングダム・オブ・ヘブン』(2005)を挙げておきます。
同作は第三回十字軍(1189-1192)を舞台背景としています。
ローマ教皇(法王)
ローマ教皇はカトリックの最高位聖職者に与えられる称号で、全世界のカトリック教徒の精神的指導者です。
そしてバチカン市国の元首でもあります。
教皇はカトリック教会の最高顧問である枢機卿の投票(コンクラーヴェ)で選出され、基本的に亡くなるまで終身で努めますが、先代のベネディクト16世のように生前に退く場合も稀にあります。
コンクラーヴェは完全に密室で行われるので、何となく神秘的なイメージがあるのか、みんな大好き陰謀論サスペンス『天使と悪魔』(2009)はコンクラーヴェが背景になっていましたね。
ローマ教皇については『2人のローマ教皇』(2019)というダイレクトに教皇を題材に扱った映画があります。
『2人のローマ教皇』は保守派の第265代ローマ教皇ベネディクト16世(本名 ヨーゼフ・アロイス・ラッツィンガー 1927-)と改革派のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿(のちの266代教皇フランシスコ 1936-)の対話をメインに構成されていますが、この映画を観ると「本来カトリックがどんな教義だったか」がわかりカトリックについても勉強になる映画です。
革新派のフランシスコ教皇に代表されるように、現代のカトリックは教えに対する解釈も柔軟になっており以前ほどガチガチではありません。
本来、カトリックのミサはラテン語で行うものですが、1960年代のバチカン公会議以降、各国・各地域の言語を使うことが許されています。
ルネサンス期には地球中心の天動説を否定し、太陽中心の地動説を唱えたガリレオ・ガリレイ(1564-1642)がカトリック教会の異端審問(中世以降のカトリック教会において正統信仰に反する教えを持つ(異端である)という疑いを受けた者を裁判するために設けられたシステムのこと)にかけられて有罪判決を受けていますが(地球中心の天動説モデルは聖書の内容に反するためです。また、当時は万有引力の法則は発見されていなかったため、地動説には致命的な欠陥がありました。)「神が七日間で世界を創った」という旧約聖書の理論と明らかに反するビッグバン理論を初めて論文にしたのは、カトリックの司祭でもあったジョルジュ・ルメートル(1894-1966)です。
もちろん、ルメートルは有罪になっていませんし、異端審問にもかけれていません。
ところで『2人のローマ教皇』の監督はブラジル人のフェルナンド・メイレレスですが、ブラジルとキリスト教が頭の中で結びつかない人もいるかもしれません。
実のところ、現代において生まれ故郷であるヨーロッパでは世俗主義と移民の増加でキリスト教離れが進んでおり、21世紀の現代においてキリスト教に特に熱心なのはアメリカ合衆国と中南米諸国の南北アメリカ大陸です。
ニコ・トスカーニ
現教皇のフランシスコは隣国のアルゼンチン出身ですし、カトリック教会からしても南米は重要な土地と見做されているのでしょう。
ちなみに教皇に就任すると本名と違う名前を名乗るのが慣習になっていますが、これは11世紀頃に定着した慣習で、それまでは自分の名前をそのまま使っていました。
ニコ・トスカーニ
最初に名前を変えたのは、533年から535年まで教皇だった第56代ローマ教皇ヨハネス2世(460年ごろ-535)です。
ヨハネス2世は改名まで教皇はメルクリウスと呼ばれていましたが、メルクリウスはローマ神話に登場する神の名前です。
中世の魔女狩り
「魔女」というと鷲鼻で帽子をかぶって、箒に乗って空を飛ぶ神秘の存在みたいな漠然としたイメージがあると思います。
それはファンタジーの産物であり、実際の魔女とはカトリック教会によって魔女裁判にかけられ有罪になった人たちのことです。
古代・中世は魔術が実効性のあるものと信じられており、それを行使すると刑法で罰せられました。
西欧ではwitch(魔女)という観念が生まれ、魔女裁判にかけられた人は火あぶりなどの苛烈な処罰が行われました。
ひょっとしたら本当に魔術を使った魔女もいたのかもしれませんが、「魔女」とされた人は誰かから告げ口されて何の合理的根拠もなく有罪前提で裁判にかけられたものでほぼ100パーセント冤罪でしょう。
ニコ・トスカーニ
中世に起こった「魔女狩り」はそれだけで一冊、本が書けてしまうほどの例が存在しますが、歴史上もっとも有名な魔女裁判と言えば1692年にアメリカのセイラムで起きたセイラム魔女裁判でしょう。
セイラム村で降霊会に参加したアビゲイル・ウィリアムズ(1681年頃-没年不明)は奇怪な行動を取り始めました。
アビゲイルは悪魔憑きであると判断され、彼女は自分に魔術をかけた人物の名前を告白。
以降、村人の間で根拠なき密告が相次ぎ、最終的に100人以上が逮捕されました。
現代においては「集団ヒステリー事件」と解釈されており、これを題材にアーサー・ミラーが書いた戯曲『るつぼ』が『クルーシブル』(1996)として映画化されています。
16-17世紀のイタリアで起きたベナンダンティ弾圧も、魔女狩りの悪しき歴史の例として語られています。
20世紀になると第264代ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世(本名 カロル・ユゼフ・ヴォイティワ 1920-2005)は魔女狩り、異端審問、十字軍を公式に謝罪しています。
ヨハネ・パウロ二世は21世紀まで生きた人ですが、教皇になってからも現役で悪魔祓いを行っており、バリバリに保守派でした。
ニコ・トスカーニ
なお、現代のカトリック教会も残念ながら問題を起こしています。
『2人のローマ教皇』でも描かれていましたが、カトリック聖職者の児童への性的虐待は今でも問題になっています。
実話をもとにした『スポットライト 世紀のスクープ』(2015)はアメリカ、マサチューセッツ州のカトリック教会が起こした問題を取り上げていますが、残念ながら同様の問題はほぼすべての地域のカトリック教会で起きています。
カトリック教会が長年に渡って問題を隠蔽してきたことも批判の的になっており、現教皇のフランシスコは「断固とした態度をとる」と声明を発表しています。
イエズス会と伝道
16世紀に宗教改革運動が起き、プロテスタントが興ると、それに対抗してカトリックは信仰回復運動を起こしました。
その代表的な団体が1540年にローマ教皇に認可されたイエズス会です。
イエズス会の宣教師たちは新たに発見された諸民族(野蛮な神々を祀る人々。失礼な話ですね)への布教を神の使命としていました。
イエズス会はカトリック国であるポルトガル、スペインの植民地、勢力圏だった中南米、フィリピンなどに広まりました。
現教皇のフランシスコは南米アルゼンチンの生まれですが、史上初のイエズス会出身のローマ教皇です。
現在の南米パラグアイ付近を舞台にした『ミッション』(1986)は植民地主義という政治問題も絡めてこの時代を描いています。
キリスト教はアジアにも広がりました。
イエズス会のアジアにおける拠点はインドのゴア、中国のマカオでした。
1549年に来日し、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエル(1506-1552)もイエズス会の宣教師です。
ニコ・トスカーニ
東アジアの韓国、日本では、やがてキリスト教は迫害されるようになりました。
韓国へのキリスト教伝来は李氏朝鮮時代のことです。
1784年に官吏の一人が清(中国)でカトリックに入信して戻ってきたのがはじまりです。
しかし、当時の韓国社会において根幹になっていたのは儒教で、以後、キリスト教の信徒が増えると激しく弾圧されるようになりました。
1866年と1871年の大弾圧では一万人以上の殉教者が出ています。
1945年に朝鮮が南北に分裂すると北のクリスチャンの多くが南に逃れました。
戦後、韓国で「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長で社会変動が起こり、伝統から離れた人々のキリスト教への改宗が盛んになります。
そのため、現代の韓国はキリスト教人口が多く、宗教人口の約三割がキリスト教徒(プロテスタントとカトリックが2:1)で、キリスト教徒が最大多数になっていました。
『オールドボーイ』(2003)で知られるパク・チャヌク監督は『渇き』(2009)の主人公をカトリックの神父に設定していましたが、韓国人にとっては仏教の僧侶よりも神父の方が受け入れやすい設定なのでしょう。
日本におけるキリスト教史は、学校で習うことなのでもはや今更な内容ですが、戦国末期から明治の初期まで日本では禁教令(キリスト教禁止令)によってキリスト教徒が弾圧されていました。
その間も隠れキリシタンが密かに教えを受け継いできたため、隠れキリシタンの里が多くあったあった長崎では今もキリスト教徒の数が多いそうです。
このキリスト教受難の時代を描いた作品と言えば、何と言っても『沈黙 -サイレンス-』(2016)でしょう。
禁教令下の江戸初期日本に、イエズス会の神秘が密かに渡航するところから始まるこの物語は真っ向から信仰について描いた作品です。
監督のマーティン・スコセッシは少年時代カトリックの司祭を目指しており、イエスの生涯を描いた『最後の誘惑』も彼の作品です。
『沈黙 -サイレンス-』には遠藤周作の原作には登場しない通辞(浅野忠信)が登場し、通辞が日本の伝統的宗教観とキリスト教の差について端的に語っています。
ニコ・トスカーニ
1873年(明治6年)にキリスト教は解禁され、ご存じの通り現代の日本では信教の自由が認められています。
キリスト教にかかわる豆知識
色々とキリスト教について書いてきましたが、最後に創作によく出てくるキリスト教関連の事物について解説しておきます。
聖人
聖人とは、他の信徒の模範となるような生き方をした信徒や殉教した信徒などを崇拝する習慣のことです。
宗派によって聖人と認定する基準が異なるため、宗派によって聖人と認められている人物が微妙に異なります。
ニコ・トスカーニ
一番最近では、2005年に死去したローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が2013年にカトリックの聖人として列聖されています。
聖遺物
カトリック教会において、イエス・キリストや聖母マリアの遺品、キリストの受難にかかわるもの、また諸聖人の遺骸や遺品のことです。
『Fate』シリーズでは英霊に所縁のある物全般をそう呼んでいましたが、本来はカトリックに関連するものです。
例は後述します。
聖杯
聖遺物の一つで、イエスが弟子たちと最後の食事をとった「最後の晩餐」の時に使われた器のこと。
アーサー王伝説はじめ、ヨーロッパの伝説にも度々登場するファンタジーの定番アイテムの一つです。
オカルトものやアドベンチャーものでも定番で、両方の要素を兼ね備えた『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(1989)など聖杯の典型的なイメージではないでしょうか。
ニコ・トスカーニ
聖骸布
キリスト教の聖遺物の一つで、イエス・キリストが磔にされて死んだ後、その遺体を包んだとされる布のことです。
トリノの聖ヨハネ大聖堂に保管されていますが、真正性は定かではありません。
ロンギヌスの槍
「聖槍(せいそう)」とも。
本来は磔刑に処せられた十字架上のイエス・キリストの死を確認するため、わき腹を刺したとされる槍のことで聖遺物の一つです。
アニメファンには『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズでお馴染みだと思いますが、伝承にもたびたび登場し、アーサー王伝説に登場する円卓の騎士ベイリンはそれとは知らずにロンギヌスの槍を振るって一振りで三つの国を壊滅させています。
聖痕
聖痕(スティグマータ)はイエスが磔刑にされた時と同じ場所、両掌、左右の足、脇腹の五か所に傷が現れる現象のことでキリスト教的には奇跡の顕現とされています。
『スティグマータ 聖痕』(1999)というまんまのタイトルの映画があります。
また、『バタフライ・エフェクト』(2004)で主人公のエヴァン(アシュトン・カッチャー)があえて自身の掌を突き刺したのは聖痕を思わせる傷をつけて「奇跡」と思わせるための行動でした。
13という数字の意味
キリスト教が盛んなアメリカや中南米のスポーツ選手は、とかく13番の背番号を嫌います。
イエスを裏切った弟子であるユダは、最後の晩餐で13番目の席についていたとされており、ユダが13番目の弟子であったとする説があるためです。
また、これは俗信ですが、イエスが処刑されたのは金曜日とされており、13日の金曜日がキリスト教圏で不吉な日と言われるのはこれらの理由に由来します。
ニコ・トスカーニ
神の子羊
神の子羊はイエス・キリストのことを指す表現の一つです。
キリスト教神学において、人間の罪に対する贖いとしてイエスが生贄の役割を果たすことを踏まえており、旧約聖書では、犠牲として神に捧げられるのは子羊です。
ニコ・トスカーニ
そのため、子羊にはキリスト教的に特別な意味があるのです。
ダーレン・アロノフスキー監督の『レスラー』(2008)は直接的にはキリスト教と関係ありませんが、キリスト教的な寓意が込められています。
ミッキー・ローク演じるベテランレスラーがボロボロになりながらリングに上がるのはイエスの受難を思わせますし、リングネームの”ザ・ラム”は「子羊」の意味です。
また、サイコホラーの傑作『羊たちの沈黙』(1991)の原題は”The Silence of the Lambs”で正確には『子羊たちの沈黙』です。
ニコ・トスカーニ
映画に出てくるキリスト教に関する知っておくと便利な知識を解説まとめ
いかがでしたでしょうか。
キリスト教に関する知識や、聖書の逸話などをもとにしたフィクションは海外はもちろん日本の作品でも多数あるので、この記事をきっかけにキリスト教の知識を多少身に着けると、より楽しめると思います。
ぜひ参考にしてみてください。