『別冊オリンピア・キュクロス』で学ぶ古代オリンピック!始まりや目的、競技種目、歴史背景を解説!

『別冊オリンピア・キュクロス』で学ぶ古代オリンピック!始まりや目的、競技種目、歴史背景を解説!

出典:U-NEXT

2020年8月現在、相も変わらず新型コロナウィルスの感染拡大が止まりません。

多くのイベントが中止、延期になり、どうにか再開されたプロスポーツも無観客での開催となっているものが少なくなく、特に数あるスポーツイベントでも影響が絶大だったと思われるのが、2020年開幕予定だった東京オリンピックの延期です。

夏季オリンピックは世界的なビッグイベントですので、我々の想像がつかない範囲で多くの人や企業が開催延期の煽りを受けているのでしょう。

さて、オリンピックはオリンピックでも2020年6月22日(月)にこちらは中断されていた放送が再開されたのが『別冊オリンピア・キュクロス』です。

古代ローマ文化を題材にした『テルマエ・ロマエ』の作者、ヤマザキマリの漫画を原作とする本作は古代ギリシャのオリンピックを題材にしています。

1話5分枠のショートアニメ、連続テレビシリーズではまずお目にかからないクレイアニメという意表をついた作りで、もはや原作が原型を留めていないほどの改変(怪変?)ゆえに「変態アニメ」と一部で評判になっています。

今回は知っているとより『別冊オリンピア・キュクロス』を楽しめる、古代オリンピックについてまとめてみました。

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『別冊オリンピア・キュクロス』で学ぶ古代オリンピック

ゼウスに捧げる祭典オリンピック

古代ギリシャは、多くの原始宗教がそうであったように多神教でした。

日本に八百万の神がいるように、古代ギリシャにもアポロン、アフロディーテ、ポセイドン、アレスなど多くの神々がいましたが、それらの頂点に立つのが主神ゼウスです。

古代オリンピックはこのゼウスに捧げる祭典として開催されていました。

ゼウスは全知全能の存在であり、全宇宙や天候を支配し、人類と神々の秩序を支配する神々の王です。

全宇宙を破壊できるほど強力な雷(クラノウス)を武器とし、現存するゼウス像の中には雷を握りしめているものもあります。

ゼウス

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変幻自在で、ギリシャ神話では様々な姿で現れますが、彫像や絵画だと髭を蓄えた壮年の姿で描かれる場合が多いです。

ニコ・トスカーニニコ・トスカーニ

ゼウスは幼年期にヤギに育てられたエピソードもあり、そのエピソードをモチーフに幼児の姿で描かれることもあります。

別冊オリンピア・キュクロス』で巌谷教授に初めて対面した時のデメトリオスが、教授の持っている焼き芋を見て「雷を握りしめてるからゼウスだ」と思い込んだのはそういう理由です。

ゼウスは男神なので古代オリンピックは女人禁制でしたが、馬が関連する競技は馬の持ち主が表彰されたので稀に女性の馬主が表彰されることもあったらしいです。

継続的には行われなかったようですが、ゼウスの妃ヘラに捧げるヘーライヤという祭りが行われていたこともあります。

ヘラ

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これはオリンピックと逆に女子選手のみの競技会でした。

ニコ・トスカーニニコ・トスカーニ

なお、覚えておくと便利なので補足しますが、ローマ文明はギリシャ文明から多大な影響を受けており、ローマの神話体系はほぼイコールギリシャの神話体系です。

ロムルスの建国神話などローマ独自のものもありますが、ローマではギリシャの神々が違う名前でそのまま扱われています。

「ゼウス」のローマ名は「ジュピター」で、神として持っている権能や役割はほぼそのままです。

他、「ヘラ」は「ジュノー」、「アテネ」は「ミネルヴァ」など全然名前が違うものもありますが「アポロン」は「アポロ」、「アレス」は「マルス」など語呂の似ているものもあります。

ギリシャがローマの支配下の属州になって以降もオリンピックが行われ続けたのは、そのままの神話体系が継続され、「ゼウスに捧げる祭典」という意味合いが失われなかったというのが大きいと思われます。

ただし、ローマが支配者となったことでルールにも変更があり、本来ギリシャ市民(奴隷、女性、外国人は除く)しか参加できなかったオリンピックにローマ人も参加するようになりました。

ニコ・トスカーニニコ・トスカーニ

というかローマ人の参加を認めざるを得なかったのです。

西暦67年のオリンピックに暴君として悪名高いローマのネロ帝(37-68)は自ら戦車競技に参加し、勝者となっています。

ネロ

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戦車競技がどんなものか知りたい方は『ベン・ハー』(1959)をご覧ください。


記録によるとネロは戦車から落ち、完走すらできていません。

審判を買収した出来レースでした。

ニコ・トスカーニニコ・トスカーニ

翌年ネロが自殺すると勝者としての記録は抹消。

ネロ以前にも不正が行われた記録はありますが、紀元前388年の大会で対戦相手を買収して、いわゆる八百長で勝利したテッサリア代表のエウポラスは高額な罰金を科されています。

どうもローマ支配時代あたりから古代オリンピックは何かがおかしくなり始めていたようです。

キリスト教がローマの国教に制定されると、異教の祭典である古代オリンピックは消滅します。

古代オリンピック

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時は西暦393年。第293回大会が最後の古代オリンピックとなりました。

記録に残る限り、紀元前776年にはオリンピックが開催されていたとのことなので、キリスト教は少なくとも1000年続いた大イベントを終わらせてしまったことになります。

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キリスト教もその後多くの文化を生むことになりますが、ギリシャ神話の生んだ文化と引き換えというのは何とも言えないところですね。

ギリシャ(ローマ)がリバイバルされるのはそれから1000年以上の後、ルネサンス時代まで待たなければなりません。

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ルネサンスについては筆者執筆の『アルテ』の解説記事を併せてどうぞ。

ちなみに補足ですが…大変に好色だったゼウスは山ほどの女性と山ほどの子供をもうけていますが、ガニュメデスという美少年にも手を出しています。

ガニュメデス

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この逸話は古代ギリシャの価値観を反映しています。

ギリシャにおいて同性愛はご法度でもなんでもなく、むしろ異性愛より同性愛の方が高尚な愛と考えられていたようです。

『別冊オリンピア・キュクロス』でデメトリオスが巌谷教授の孫から紅白帽をもらって赤面し、あらぬ妄想をするのは古代ギリシャが同性愛に極めて寛容だったからです。

ゼウス以外にもアポロン、ヘルメス、ナルキッソス、ヘラクレス、ポセイドンなどなど名前を挙げるのが面倒くさくなってくるぐらい、ギリシャ神話の登場人物はバイセクシャルだらけです。

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ローマでも同性愛は普通にOKだったらしいですが、この辺もギリシャからの影響が見えますね。

対してキリスト教で同性愛はご法度です。

現代ではようやくLGBTという概念が誕生し、性的マイノリティに対して寛容になろうとしていますが、古代の方がその辺は寛容だったようです。

古代ギリシャとスポーツ

オリンピックに代表されるように、古代ギリシャ人はスポーツが大好きでした。

主な地方都市にはギュムナシオンや格闘技訓練場があり、各地で競技会が開催されていました。

ギュムナシオン

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ニコ・トスカーニニコ・トスカーニ

ギュムナシオンは容易に想像がつく通りジムの語源ですが、ジムというより公共の運動場のような感じだったらしいです。

加えてギリシャ人は勝負事も大好きでした。

ギリシャでは劇作家がしのぎを削るコンクールが開催され、美少女、美青年が美しさを競い合うコンクールが開催され、竪琴や笛の技量を競うコンクールが開催されていました。

オリンピックのようなスポーツの大規模競技会が定期的に開かれるようになったのは当然の帰結と言えるでしょう。

ギリシャ人がスポーツ大好き民族だったため、ギリシャの英雄にもスポーツのエピソードは事欠きません。

オリンピックで花形競技だったペンタスロン(五種競技。円盤投げ、槍投げ、幅跳び、レスリング、徒競走の混合種目)の起源は伝説ではギリシャ神話にあります。

考案したのは探検隊アルゴノーツの英雄イアソンで、黄金の羊毛を求める旅の途中で仲間の内で誰が最も万能か決めるために行ったと伝えられています。

イアソン

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同じく花形種目だったレスリングの起源も伝説では神話に由来します。

考案したのは怪物ミノタウロスを退治した英雄テセウスで、同じくギリシャ神話の大英雄であるヘラクレスはレスリングで海獣やライオンを倒したという逸話があります。

ヘラクレス

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ところが、『別冊オリンピア・キュクロス』でもネタになっていたように水泳は競技になりませんでした。

ヘルミオネという小さな田舎町で競技が行われたのみです。

ギリシャ人にとって泳ぐという行為は歩くのと同じぐらい当たり前のことで、競技にしようという発想に至らなかったのが原因のようです。

ただし、水上の競技はあり、ボート競争は花形競技として人気を博しました。

ギリシャでは多くのスポーツ選手が活躍しましたが、選手を鍛えるコーチも多く存在し、それに伴ってトレーニング方法も多く開発されました。

ガレノス(129年頃-200年頃)は歴史に名を残す偉大な医学者ですが、体の各部位を鍛える練習方法を著書として残しています。

ガレノス

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トレーニング方法が発達したのはもちろん、トレーニングする場所も発達しました。

当時の競技者が練習したのは前述のとおりギュムナシオンですが、アテナイ(アテネの古代名)にはギュムナシオンを中心に公衆浴場、食堂、酒場、図書館があり、さらには売春用エリアまであったそうです。

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運動施設を中心した一大商業施設になっていたということですね。

ギリシャ人のスポーツへの異常な情熱は他の文化圏を困惑させました。

ペルシャ王クセルクセス(紀元前519-紀元前465)はテルモピュライの戦いで一握りの勇敢なスパルタ兵(伝説によると300人)と戦った時、他の数万人はオリンピック観戦に行っていたと知って愕然としたそうです。

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ギリシャ人のスポーツ狂ぶりにはギリシャ人ですら疑問を持つ人がいました。

風刺作家のルキアノス(120/125-180以後)は4度もオリンピック観戦を達成したスポーツ好きでしたが、ギリシャ人のスポーツ狂ぶりを風刺する『アナカルシス、または体育について』という作品を残しています。

ルキアノス

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前述した医師のガレノスはトレーニング方法について著作を残す一方で、スポーツ選手のことは批判しており、『職業の選択』という著作の中で「運動選手はすべての市民の中で最も役に立たない」とこき下ろしています。

古代ギリシャのスポーツと賞金

別冊オリンピア・キュクロス』の村長はやたらと「スポーツは金になる」と強調していますが、古代ギリシャのスポーツ選手は実際に儲かったそうです。

近代オリンピックは今では普通にプロ選手が出場していますが、もともとはアマチュアの大会でした。

1974年にオリンピック憲章が改訂され、「アマチュア」という言葉が規定から削除されるまで、かなり厳格にプロ選手の出場が禁じられていました。

アマチュア規定が削除されると、1980年にIOC(国際オリンピック委員会)の会長に就任したフアン・アントニオ・サマランチ(1920-2010)はプロ選手参加の容認、大会の商業化を推し進めます。

1984年のロサンゼルス・オリンピックでは大会組織委員長だったピーター・ユベロスが、赤字が当たり前だったオリンピックで収益をあげる仕組みを生み出し、同大会は大幅な黒字を出しました。

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ユベロスは6代目のMLB(メジャーリーグベースボール)コミッショナーも歴任しており、ビジネス感覚に相当優れていたのでしょう。

かつては自治体にとって貧乏神だったアマチュアの祭典近代オリンピックは、こうして大規模なプロ選手の商業イベントとして生まれ変わりました。

バスケットボールにはNBAの選手が堂々と出ていますし、サッカーは事実上プロのユース大会(U23)みたいな扱いになっています。

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今ではプロが出ないメジャー競技と言えばボクシングとフィギュアスケートぐらいでしょうか。

とは言え、旧ソヴィエトや今は無き東ドイツなど社会主義国家には「ステート・アマチュア」と呼ばれる国家から潤沢な援助を受けてプレーする事実上のプロがいました。

社会主義国家には社会構造上「プロという身分」が存在しないので、国のトッププレーヤーはアマチュアであるという口実が成立していました。

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彼らが出場していた時点で、「近代オリンピックはかつてアマチュアの大会だった」と断言するのは微妙です。

今は悲しいほど弱体化してしまいましたが、野球のキューバ代表がアマチュア大会で無類の強さを誇っていたのも、キューバ革命で「プロという身分」が消滅し事実上のプロ選手がアマチュアの大会に出場していたからです。

キューバの野球

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対して、古代ギリシャにはそもそもアマチュアという概念が存在しませんでした。

最も近い概念は「イディオテス」ですが、これは「未熟、無教養」という意味であり今日のアマチュアリズムとはだいぶ異なります。

古代ギリシャにはオリンピック以外にもいくつかの大規模な競技会があったようですが、オリンピックに出場するような選手は各地の競技会を転戦して賞金を稼ぐバリバリのプロ選手でした。

英語でスポーツ選手を意味する”athlete”はギリシャ語の”athlētēs”を語源としますが、”athlētēs”とは「athlon(賞品)をかけて競う者」を意味します。

記録によるとアテナイの競技会の賞金総額は、現代の価値に直すと60万ドル。

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短距離種目で優勝した選手にはアンフォラ50杯分のオリーブオイルが授与され、それには4万5,000ドルほどの価値があったとか。

数ある古代ギリシャの競技会でも特に規模の大きい四つは四大競技会と呼ばれており、オリュンピアで4年に一回開催されるオリンピックのほかに下記のような大規模競技会がありました。

  • ネメア大祭
    ネメアで開催。オリンピックと同じくゼウスを奉る競技会。2年に一回開催。
  • イストモス大祭
    イストモスで開催。ポセイドンを奉る競技会。2年に一回開催
  • ピューティア大祭
    デルフォイで開催。アポロンを奉る競技会。4年に一回開催

では、オリンピックはどうだったかと言うと直接得られる賞金はオリーブの冠だけでした。

オリーブの冠

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ニコ・トスカーニニコ・トスカーニ

ですが、勝者は十分物質的に満たされたようです。

彼らはギリシャ全土で神のように崇拝され、オリンピックの祝勝歌を多く残した詩人ピンダロス(紀元前522/518-紀元前442/438)の言葉を借りるなら「生涯、穏やかで甘美な航海」が保証されたそうです。

勝者は地元に帰ると英雄として崇め奉られ、地元の競技会に顔を出すだけで多額の報酬を受け取り、議員や軍の司令官などの重要ポストに迎えられる人もいたそうです。

アテナイではオリンピック優勝者に多額の報奨金が支払われたそうです。

オリンピックは超ビッグイベントであり、地域経済も活性化させました。

『別冊 オリンピア・キュクロス』の時代設定は紀元前400年ごろですが、当時ギリシャ最大の都市アテナイの人口は10万人ぐらいだったと推測されています。

アテナイ

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オリンピックの観戦者数は4万人から6万人ほどだったそうです。

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一国の最大都市の人口の半分ほどの観客が集まったということですが、ちょっと信じられない規模です。

世界最大の音楽祭、グラストンベリー・フェスティバルは毎年10万人を超える観客を集めますが、現代において10万人はせいぜい地方都市レベルの人口です。

紀元前400年当時というと、世界最大の都市だったと考えられている燕下都(中国河北省易県)ですら人口32万人なので、4万人から6万人の観客が集まったのは凄いことです。

人が集まれば当然、その人をターゲットに商売が発生します。

古代オリンピックには集まる大勢の観客目当てに様々な商売が行われました。

美人コンテスト、朗読コンテスト、大食い競争などスポーツ以外にも様々なイベントが開催されました。

俳優は舞台で熱演し、詩人は叙事詩を朗読し、奇術師や占い師が道行く人を立ち止まらせました。

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娼婦は競技が開催される5日間の間に1年分の稼ぎを手に入れたそうです。

そんなビッグイベントを仕切っていたのは会場であるオリュンピア近郊の都市エリスの上流市民たちです。

オリンピックは紀元前776年にエリス王イフィトス(生没年不明)が神託にのっとって開催したのがはじめと言われています。

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明確な記録は無いものの恐らくそれ以前も開催されていた説もあります。

当初、疫病と戦争で荒廃したギリシャを立て直すためにデルフォイの神託に従って開催されたオリンピックですが、疫病が終息してからも開催され続けました。

そのうちエリスの支配者層は自分たちの階級からオリンピックの審判を選び続け、祭典の細かい部分まで管理するようになります。

オリンピックのような大規模競技会の準備に際しては様々な作業が必要であり、それらについてどのくらいの金額が動いたかはっきり記録が残っています。

ドラクマ

出典:wikipedia

以下、紀元前246年の碑文に残されたピュシアイ競技会(開催地はデルフォイ)の労働賃金一覧です。

ニコ・トスカーニニコ・トスカーニ

金額は現代の米ドル換算で表記します。
  • ギュムナシオンの練習用トラック整備…814ドル
  • スタディオン(スタジアム)の入り口の修理…566ドル
  • 女神デメテルの祭壇の壁の修理…1,298ドル
  • トラックに折り返しの柱36本を建てる…528ドル
  • 練習用トラックに白い土270ブッシュベルを敷く…1,732.5ドル

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今の感覚で言うと公共事業のようなものでしょうか。

また、オリンピック開催地であるオリュンピアが僻地で、食料などは商人が運んでくる品物を買うしかありませんでしたが、まがい物を売ったり不当な料金で売りつける悪徳商人もいたようです。

そういった悪徳商人を監視し、不正を見つけたら罰金を徴収するのもエリスから任命された役人の仕事でした。

お金がすべてではなかったでしょうが、村長の言う通りオリンピックがお金になるのもスポーツがお金になるのもまた事実だったようです。

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近代オリンピックの商業化は時に批判を浴びることがありますが、もともとオリンピックはお金の動くイベントだったのである意味原点回帰したとも言えますね。

ZENRAでプレー

別冊オリンピア・キュクロス』で歌にされているように古代オリンピックは全員ZENRA(全裸)でプレーしたと思われていますが、実際は少々異なり褌(ゾマ)で恥部を隠して競技に出場した記録もあります。

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全裸は必須と言うわけではなかったようですね。

とは言え、運動選手の姿が描かれた壺などの装飾品や彫刻、絵画、文学の記録はある程度残っていますので、全裸でのプレーが主流ではあったようです。

わざわざ全裸でプレーした理由ですが、これははっきりしていません。

「紀元前8世紀後半から7世紀半ばの間に、褌がもつれて選手が落命した」「褌のない身軽なスタイルで優勝を飾った」などの説がありますが、いずれも伝説の域を出ません。

いつから全裸が主流だったのかもはっきりしていませんが、少なくとも紀元前650年ごろには全裸で出場する競技者がいたようです。

古代オリンピック

出典:IOC

選手だけでなく帯同するコーチも全裸でした。

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こちらは起源がはっきりしており、紀元前404年に既婚女性がコーチ用のチュニカ(ギリシャ、ローマで用いられた衣装。現代のチュニックの原型)を来てスタディオンに紛れ込むという事件が起きたことがきっかけだったそうです。

このように少なくとも古代ギリシャでは全裸で公衆の面前に立つことは恥ずべき行いではなかったようですが、ギリシャ以外からしたら相当変な文化だったようです。

前5世紀半ばペルシア戦争史を描いた『歴史』の著書ヘロドトス(生没年不明)は「ギリシャの外では、男でも大概他人に裸を見られるのを恥ずかしく思う、女ならばなおさらだ」と記しています。

ニコ・トスカーニニコ・トスカーニ

20世紀の日本にタイムスリップしたデメトリオスは所かまわず全裸になって周囲を困惑させていましたが、受け入れてもらえなくて当然ですね。

ちなみにポリス(古代ギリシャの都市国家)の一つで、軍事国家だったスパルタでは女子も男子に混ざって(時に全裸で)訓練や競技に参加したらしいです。

これは男女同権とかいう進歩的な考えがあったからではなく、軍事国家だったスパルタならではの発想で「丈夫な子供を産むためには母親も丈夫でなければならない」という思い切り男尊女卑な思想からです。

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わが国では、とある大臣が「産む機械」発言をして散々顰蹙を買いましたが、スパルタでは女性はまさに「子供を産む機械」か「子供を産む装置」ぐらいの考えだったようです。

スパルタ人の戦闘民族ぶりは『別冊オリンピア・キュクロス』でもネタになっていましたが、古代の地中海エリアは争いの絶えない地域だったので、スパルタのような都市国家が存在するのはある種仕方の無いことでもあったのでしょう。

ニコ・トスカーニニコ・トスカーニ

スパルタの伝説であるテルモピュライの戦い(紀元前480年)は有名な逸話ですが、映画ならばとりあえず『300』(2007)をどうぞ。

古代オリンピックと危険性

別冊オリンピア・キュクロス』でも描かれていた通り、古代オリンピックでは様々な種目が競われましたが、中には危険なものもありました。

レスリングの試合では相手を殺さんばかりの勢いで投げ飛ばし、ボクシングの試合では歯が吹っ飛んだそうです。

目突き噛みつき以外なんでもアリのパンクラチオン(打撃技と組み技をあわせた総合格闘技)と戦車競技は特に危険で、死人が出ることもありました。

オリンピックの出場辞退は許されていませんでしたが、一度だけ辞退者が出たことがあります。

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オリンピックに出場するほどの猛者ですら怖気づいたのですから、気の弱いデメトリオスがビビるのも無理ないですね。

西暦25年のオリンピックでサラポインというエジプト系ギリシャ人の選手が、パンクラチオンの試合前に怖気づいて、宿舎の窓から逃走しています。

古代オリンピックで行われた競技は壺に描かれた絵や彫像で知ることができます。

ニコ・トスカーニニコ・トスカーニ

デメトリオスが壺に絵を描いてるのはそういう理由からですね。

観戦する方も命がけでした。

古代オリンピック観客

出典:IOC

当時、アテナイからオリュンポスまでは2週間かかったそうです。

古代ギリシャに中央政府は無く、各ポリスも郊外の道までは整備していませんでした。

観戦者はデコボコの道や、峡谷や山を歩きました。

到着した後も大変で、当時のオリュンポスには宿泊施設がほとんどありませんでした。

レオニダイオンという立派な宿泊施設が一つだけありましたが、泊まれるのはゼウスへの捧げものを献上する各都市の使節団と一部の招待客だけです。

金持ちたちは多くの召使を引き連れてキャンプを設置しました。

ニコ・トスカーニニコ・トスカーニ

暴君ネロは馬車1,000台を引き連れてオリュンポスに入ったとか。

平民は簡易宿泊所に泊まりました。

簡易宿泊所は商魂たくましいエリス人が建てた急ごしらえの掘っ建て小屋で、現代のユースホステルのように見知らぬ他人と同じ屋根の下で寝泊まりしたそうです。

偉大なる哲学者、プラトン(紀元前427-紀元前347)もこのユースホステルを使っていました。

プラトン

出典:wikipedia

プラトンは身分を隠して、同宿人たちと打ち解け、気取らない態度で接したそうです。

残りは野宿です。

ニコ・トスカーニニコ・トスカーニ

おおらかなギリシャ人は寝る場所がどこでもあんまり気にしなかったようですが。

大会が始まってからも過酷でした。

夏場のギリシャ南部は降雨量が非常に少なく、安定して真水を確保できる水場も無いので水不足は深刻な問題だったそうです。

競技は基本、屋外なのに加え、オリンピック観戦中は帽子をかぶることを禁じられていました。

しかも、会場には日影が無いので逃げ場がありません。

オリュンピア

出典:wikipedia

夏場のオリュンピアはハエをはじめとする害虫が大量発生し、その中で早朝から16時間立ったままで観戦したそうです。

ニコ・トスカーニニコ・トスカーニ

ハエの大量発生は生贄に捧げた牛の死骸のせいでした。

真夏の地中海は日差しが強く、宿泊場所のテントや小屋の中もオーブンの中のように暑かったそうですから相当数が熱中症で亡くなったと考えられます。

古代オリンピックには当番医がいましたが、彼らが大忙しだったのは想像に難くありません。

競技で負傷した選手はもちろん、客席に飛び込んだ槍投げの槍や円盤投げの円盤で負傷した観客、食中毒、熱中症、マラリアに罹患した観客などにも対応していました。

イアトレイア(医療施設)はさながら野戦病院の様相で、実際に運動選手に施された応急処置は戦場での処置を参考にしていたそうです。

ちなみに哲学者のタレス(紀元前624年頃-紀元前546年頃)はオリンピック観戦中の脱水症状が原因で亡くなっています。

タレス

出典:wikipedia

当時のギリシャでは言うことを聞かない奴隷を「オリンピック観戦に行かせるぞ」と脅したそうですが、脅しに使うには十分な過酷さです。

そんな過酷な思いをしてわざわざ大勢が観戦に赴いたのですから、ギリシャ人のスポーツ狂は相当極まっていたのでしょう。

ニコ・トスカーニニコ・トスカーニ

中にはオリンピック観戦歴を自慢し、観戦回数を墓石に刻んだ人までいたそうです。

危険山盛りの一方でオリンピックには良い面もありました。

古代の地中海沿岸地域は争いの絶えない地域でしたが、オリンピックの時期(具体的には大会が開催される前後3か月)だけは例外でした。

『別冊オリンピア・キュクロス』でも語られていた通り、オリンピックの時期には休戦したからです。

オリンピックはゼウスに捧げる祭典であり、観客は巡礼者です。

オリンピックを妨げる行為は、ゼウスに対する冒とくに他なりません。

ゼウス

出典:wikipedia

期間中はオリンピックの選手や観客の身を争いから守るルールができました。

これを聖なる休戦(エケケイリア)と呼びます。

それでも不逞な行為に及ぶ輩は少数いたようです。

オリンピックに向かうアテナイ市民からマケドニア商人が金を騙し取るという事件がおきたことがあります。

時のマケドニア王フィリッポス(紀元前382-紀元前336)は正式に謝罪して被害者に返金し、エリスに罰金を払ったそうです。

ニコ・トスカーニニコ・トスカーニ

オリンピックが「平和の祭典」と呼ばれる所以ですね。

『別冊オリンピア・キュクロス』で学ぶ古代オリンピックまとめ

ギリシャは豊かな文化を生みましたが、その中にはスポーツも含まれました。

今日、世界中で様々な競技のプロリーグが開催され、一般人も楽しみとして競技に興じることができます。

今日的なスポーツマンシップは近代に生まれたものですが、スポーツという文化の礎を古代ギリシャ人が築いたことに違いはありません。

スポーツという文化に思いを馳せ、古代へのロマンを抱かせてくれる『別冊オリンピア・キュクロス』をぜひご覧ください。

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