2020年3月20日、1本のドキュメンタリー映画が公開されます。
その名も『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』。
三島由紀夫はともかくとして皆さんは東大全共闘と言われてどのようなイメージを抱くでしょうか?
タイトルにある通り50年も前の社会情勢が生み出した存在なので、具体的なイメージをすることも簡単ではないのではないでしょうか?
そこで、今回はこの映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』では駆け足の解説で済まされている映画を見る前に知っておきたいこと簡単にまとめていきたいと思います。
村松 健太郎
目次
『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』作品情報
作品名 | 三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実 |
公開日 | 2020年3月20日 |
上映時間 | 108分 |
監督 | 豊島圭介 |
ナレーター | 東出昌大 |
出演者 | 三島由紀夫 芥正彦 木村修 橋爪大三郎 篠原裕 宮澤章友 原昭弘 椎根和 清水寛 小川邦雄 平野啓一郎 内田樹 小熊英二 瀬戸内寂聴 |
音楽 | 遠藤浩二 |
『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』予習解説。三島の思想や東大全共闘とは?
三島由紀夫の作品、思想について
三島由紀夫、本名三島公威は1925年に東京に生まれます。
学習院初等科に入学し早くから文学に興味を持ち始め、17歳で三島由紀夫として最初の連載をスタートします。
1944年に東京帝国大学法学部に入学しますが、時は太平洋戦争末期、三島自身も戦地に向かう覚悟を持ちます。
村松 健太郎
戦前の教育・文化の元に育った三島は、その日を境に全く違う価値観の社会で生きることになります。
この時生じた矛盾が後に右派活動家としての三島を形成していきます。
但し、そうなるのは後年のことで、まず三島は早熟の天才作家として世に出ることになります。
大蔵省に勤務しますが、作家業に専念するために一年も絶たずに退職、川端康成の推薦などもあって次々と作品を発表していきます。
初期の作品には『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』などがありました。
駆け出しのころには太宰治とその自堕落な生活について口論になったこともあります。
この時の出来事は昨年公開された小栗旬主演の『人間失格 太宰治と3人の女たち』にも描かれています。
村松 健太郎
三島の才能は文学だけにとどまらず、劇作家、演劇演出、俳優、映画監督と多才ぶりを発揮、当時の日本の文化のあらゆる部分に強い影響を与える存在となっていき、やがてノーベル文学賞候補にまで上り詰めます。
一方で、青年期に抱えた矛盾を作品に表すようになり『憂国』『英霊の声』など政治色・社会性の強い作品を発表し、徐々に戦後右派の代表的な存在となっていきます。
また、ボディビルで自分の肉体を鍛え上げていきます。
三島由紀夫は実は身長は160センチを少し超えるくらいで決して大柄とは言えないのですが、写真などでは立派な体格に見えるのはこの鍛錬の成果でしょう。
村松 健太郎
また、三島は民兵組織”盾の会”を結成し、これと前後して自衛隊への体験入隊を幾度となく行います。
三島は自分が暴力装置となることを認め、それは現行法では罪に問われるということも十分理解していると語っていました。
村松 健太郎
『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』の中では、実際に体験入隊をした人物が“もう時効だろう”という断りを入れたうえで実弾射撃訓練もあったと語っています。
三島との対決前の東大全共闘について
東大全共闘(東大全学共闘会議)は政治の季節と呼ばれた60年代に起きた学生運動の一大派閥の一つで、戦後に発展した新左翼の一端を担うことになります。
村松 健太郎
この流れが後に“よど号ハイジャック事件”や“あさま山荘事件”につながったというイメージだと思いますが、実際には大きく違う部分もあります。
よど号やあさま山荘での事件を起こしたのは共産主義革命を目指す学生たちが過激化した者たちで、『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』でも触れられる民青(日本民主青年同盟)のようなを共産党をその出自とする、政治色の強い集団です。
対して、全共闘は政治的な立場を超えて大きなまとまりとなろうとした学生の集団でした。
結果として全共闘と民青系は同じ学生でありながら、過激な暴力的な衝突を起こすことになります。
全共闘が掲げたものは大学解体(当時の経営形態の解体)などで、学生の自立と自主的活動を求めていきました。
村松 健太郎
そして、日本の最高学府・東京大学での活動は特に過激且つ大規模で東大全共闘という名称が使われれるようになりました。
東大全共闘と日本政府・警察との最大の決戦となったのが東大安田講堂の攻防です。
1969年1月18日と19日、全共闘がバリケードで封鎖した東大本郷キャンパスのシンボル安田講堂に8,500人の機動隊が突入しました。
結果として、安田講堂占拠は鎮圧され、東大全共闘側として大きな敗北感を抱くことになり、運動にも暗雲が立ち込めます。
そんな東大全共闘が起死回生の一手としてぶち上げたのが右派論壇のシンボリックな存在である三島由紀夫との討論会の開催と、そこで三島を論破することでした。
三島由紀夫vs東大全共闘:2時間を超えた知の対決
一歩間違えば大暴動にもなりかねないこの討論会の誘いを三島は受けて立ちます。
村松 健太郎
この時、全共闘と三島の支持者との衝突や、民青系の学生の乱入に備えて私服警察官・”盾の会”会員・全共闘の幹部、そして取材に来たマスコミが最前列に陣取る形になりました。
会場は安田講堂のあった本郷キャンパスではなく駒場キャンパスにあった900番教室。
全共闘側は形勢逆転を図るために駒場キャンパスで”東大焚祭“を開催、そのメインイベントとして三島由紀夫との討論会がスタートします。
約1,000人の学生がところ狭しと詰めかけた教室において三島と全共闘を代表する論客との討論が始まります。
開会冒頭、主催者の全共闘の木村修が思わず“三島先生”と言ってしまい、三島本人、そして会場の学生からも笑い声が起こります。
村松 健太郎
東大全共闘の最高の論客と言われ、今でも俳優・演出家として活動している芥正彦はよだれ掛けを付けた自分の赤ん坊を連れて登壇、討論の場にピンクの服を着た赤ん坊が常に入り込むという空間はどこか和やかなものになります。
三島と全共闘の学生はタバコを渡し合ったり、マイクを差し出し合ったり、時には笑顔を交わしたりと不思議な空気感が続きます。
中には「この討論会で三島由紀夫をぶん殴れると聞いたから来たんだ」という学生も現れますが、逆に単純な行動に出ようとすることに学生側から非難の声が上がったりします。
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議論自体は平行線をたどったまま終わりますが、両者は右翼と左翼という立場の違いはあるものの、愛国心と現状を打破したいという気持ちがあること共有していくことになります。
三島と東大全共闘のその後
東大全共闘との討論会の翌年、集大成ともいうべき『豊饒の海』4部作を書きあげた三島由紀夫は市ヶ谷の自衛隊駐屯地で立てこもり事件を起こし、自衛隊に檄を飛ばした後に自決します。
ニュース映像などでもよく知られるこの時の三島が身にまとっていたのは”盾の会”の制服です。
一方、全共闘は自然発生的なその出自に合わせるかのように、この討論会の直後から一気に活動が収束に向かっていきます。
村松 健太郎
一部の学生が過激化・先鋭化しましたが、それはあくまでもごく一部の者たちで、大半の学生たちはやがて社会に出ていきます。
そしてそれから50年がたち、
- 元東大全共闘の芥正彦、木村修、橋爪大三郎
- 元”盾の会”の篠原裕、宮澤章友、原昭弘
- その他、討論会の場にいた清水寛、小川邦雄ら著名人
- 三島の平凡パンチでの担当編集だった椎根和、三島と文通をしていた小説家・瀬戸内寂聴
- 三島を論じる文化人の平野啓一郎、内田樹、小熊英二
という13人に様々な観点から三島由紀夫という人物、そしてあの伝説の討論会についてインタビューし、当時の映像や写真を交えて描くのが『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』です。
『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』予習解説・まとめ
50年の時を経て、
禁断のスクープ映像、解禁。1969年5月13日 東大駒場900番教室#三島由紀夫 vs #東大全共闘
伝説の大討論が、今、蘇る。『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』
3月20日(金)全国公開ナビゲーターは #東出昌大 さんに決定!#三島vs東大全共闘 #圧倒的熱量を体感 pic.twitter.com/Q9OPXufWHD
— 映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』公式 (@mishimatodai) January 7, 2020
以上、ここまで『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』について、事前に知っておくとより作品を楽しめる情報をまとめてきました。
今の時代から見ると理解できない思想や出来事もわかりやすくまとめていますし、何よりも圧倒的熱量の最高に面白い映画になっています。
この映画を見てから三島由紀夫の作品を読んだり、学生運動や左右の論争の歴史を調べるのも面白いのではないでしょうか。