『ジョーカー』あらすじ・ネタバレ感想とラスト結末の考察!アメコミの名悪役が誕生するまでの軌跡

『ジョーカー』という映画の異質さ

出典:『ジョーカー』公式ページ

大人気アメコミシリーズ『バットマン』の名悪役ジョーカーの誕生物語

社会から阻害された男の暴走、その行き着く先は?

シライシ

全てにおいてレベルが高い上に、いつまでも語りたくなる深みのある映画でした。
ポイント
  • 人気キャラクター・ジョーカーのオリジンに迫る
  • ホアキン・フェニックスの鬼気迫る演技
  • アメコミの枠を超えた現代の格差と理不尽に切り込む物語
  • 無限に解釈の余地がある着地

それではさっそく映画『ジョーカー』のキャスト、あらすじとラスト結末の感想と考察をネタバレありで述べたいと思います。

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『ジョーカー』作品情報

『ジョーカー』

(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics

作品名 ジョーカー
公開日 2019年10月4日
上映時間 122分
監督 トッド・フィリップス
脚本 トッド・フィリップス
スコット・シルヴァー
出演者 ホアキン・フェニックス
ロバート・デ・ニーロ
ザジー・ビーツ
フランセス・コンロイ
ブレット・カレン
ビル・キャンプ
シェー・ウィガム
音楽 ヒドゥル・グドナドッティル

『ジョーカー』あらすじ


格差が広がり、荒廃したゴッサムシティ。

そこでパーティクラウンの仕事をしながら母親の介護をして暮らす貧しい男アーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は、突然笑い出してしまう精神病を患っていた。

世間から非情な扱いを受け、ある日一線を越えてしまったアーサーは、誰もが知るあのヴィランであるジョーカーへと変貌していく。

【ネタバレ】『ジョーカー』感想とラスト結末の考察

ジョーカーのオリジンに迫るニューシネマ風の映画

映画『ジョーカー』はDCコミックスの有名ヴィラン「ジョーカー」がいかに誕生したかを追った物語で、派手なバトルも敵キャラも出てきません。

その代わりハイレベルな鬼気迫るホアキン・フェニックスの演技、閉塞感漂う社会的弱者の内面に迫った脚本、陰鬱な映像、そして現実世界でも広がる格差問題などが盛り込まれ、SNSの感想などを見てもアメコミ映画を見てきたとは思えないマジトーンなレビューが上がっています。

自分の現状と重ね合わせたり、本作『ジョーカー』が社会に与えるかもしれないネガティブなエフェクトを危惧する人もいました。

シライシ

その勢いはもはや社会現象。すごいパワーを持った作品です。監督のトッド・フィリップスは『ハングオーバー』シリーズでブレイクしたコメディ畑出身の監督ですが、まさかのシリアスアメコミ映画を作り、ベネチア国際映画祭で金獅子賞を取るだなんて本当にびっくりです。

※追記:第92回のアカデミー賞では最多11部門にノミネートされて、見事主演男優賞と作曲賞を獲りましたね。本当に快挙だと思います。

フィリップス監督はジョーカーというキャラは好きでも、昨今流行りのアメコミ映画には興味がなかったそうですが、いかにして狂気の悪役が誕生したのかを掘り下げる物語で自身が好むような1970年代のアメリカンニューシネマのような映画をビッグバジェットで世界的に拡大公開して見てもらえると考え、この企画を引き受けたんだそうです。

そしてDCもワーナーブラザースも大きく口出しはせず、フィリップス監督が思った通りの70年代の香り漂う退廃的なアメコミ映画が完成し、アカデミー賞も狙えるような高い評価を受け、世界的に大ヒットを飛ばしています。

シライシ

正直、ヒットメーカーではあるものの賞とは無縁のコメディ監督だと思っていたので、この大下克上のような現状が劇中のジョーカーの物語と重なる気がしますね(笑)

影響を受けた過去の映画の例で、『狼たちの午後』『セルピコ』『カッコーの巣の上で』などが挙げられていました。

シライシ

個人的には終盤にTV出演したショーで、とある凶行に及んだジョーカーの映像が各局の臨時ニュースに一斉に映っていく様を捉えたショットがシドニー・ルメット監督の名作『ネットワーク』を連想させたりもしました。

しかし、一番影響が大きいのはマーティン・スコセッシ監督とロバート・デ・ニーロ主演の2本『タクシードライバー』と『キング・オブ・コメディ』です。

アーサーがTVに独り言で話しかけたり、日記をつけていたり、鏡に話しかけたりする場面は『タクシードライバー』の主人公トラヴィスと同じです。

そして、彼がついにジョーカーに変身する場面で髪を変色させていく様をじっくり映すのも『タクシードライバー』オマージュですね。

また『タクシードライバー』は、トラヴィスがラストに行ったとある行動で正義のヒーロー扱いされて終わります。

シライシ

しかし、同作を見ていればトラヴィスが英雄的だなんてとても思えないようになっているのです。

彼がやったことの結果が、社会的に正しいことにたまたま繋がっていただけで、基本的には拗らせた人間の暴走です。

映画『ジョーカー』でも、アーサーは自身が意図しない形でとある恐ろしい行為に至ってしまうのですが、それによってよく知りもしない社会の人々が、彼を英雄視してしまう展開になっていきます。

しかも『ジョーカー』では、それが中盤に起きます。後半にはアーサーの行動に焚きつけられた人々がさらに恐ろしい蛮行に及んでしまうのです。

そういう意味では、ある種『ジョーカー』は『タクシードライバー』のその先を描いていると言えるでしょう。

一方で、アーサーがコメディアンになることを志し、いつもマレー・フランクリンという大物コメディアンの番組を見ているという点では『キング・オブ・コメディ』との共通点があります。

『キング・オブ・コメディ』の主人公ルパート・パプキンもコメディアンを夢見て日々自分が売れた時のトークの妄想をしたりしていますが、才能はなく売れる見込みもありません。

そして、パプキンは憧れの司会者ジェリー・ラングフォードを誘拐して自分を番組に出せと脅すなど凶行に及んでしまうのです。

『ジョーカー』のアーサーも番組を見ながら客席にいる自分がフランクリンに見出されて、ステージに上げてもらうという妄想をしています。

しかし、アーサーはパプキンよりもさらに悲惨で、いくつかの描写で彼が他人のネタなどを聞いている時に人と笑うポイントがずれていたり、何がおかしいのか分かっていないように描かれています。

彼は心優しい男なのですが、それゆえにアメリカのスタンドアップコメディで主流の「他人をコケにするブラックジョーク」や「下ネタ」が理解できないのです。

おまけに彼は精神が病んでいて、笑ってはいけない場面でゲラゲラ笑い出してしまう病気も患っているのです。

当然ながら人の笑いを取ることはできません。

しかし彼は、一緒に暮らしている母親から「あなたの笑顔で周りを照らして」と言われ、健気に頑張っています。

『ジョーカー』

(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics

ルパート・パプキンも母親と暮らしていますが、彼の母親はアーサーとは対照的で、一人で喋りの練習をしているパプキンをうるさいと怒鳴りつける存在です。

また、パプキンが番組に出たいとラングフォードを誘拐するのに対し、アーサーは草の根活動で場末の舞台で漫談をしているところをたまたまフランクリンの目に留まり、彼の番組への出演をオファーされます。

シライシ

設定は似ていても起きることは対比的になっているのが面白い部分です。

なぜ、アーサーがフランクリンに番組に呼ばれるのかも重要な要素になっています。

そして『ジョーカー』『タクシードライバー』『キング・オブ・コメディ』に共通しているのは、主人公が一方的に想いを寄せる女性が出てくるところです。

『ジョーカー』では『デッドプール2』のドミノ役で有名になったザジー・ビーツが、アーサーが想いを寄せるシングルマザーの娼婦ソフィーを演じています。

『ジョーカー』

(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics

アーサーは同じアパートに住む彼女に心惹かれていくのですが、彼女の存在が大きな鍵を握ります。

シライシ

ちなみに、上記3作とも主人公と女性の関係は上手く行かないのですが、『ジョーカー』はその中でも指折りに悲惨な展開を迎えるので覚悟した方がいいかもしれません(笑)

ここまで過去作との関連を語ってきましたが、インタビューなどを読む限り、トッド・フィリップス監督は70年代に多かった暗くて善悪の線引きがあいまいな映画の系譜を、潤沢な予算で作るためにDCコミックスの看板を借りたようです。

そしてその思惑通り、アメコミ映画でありながら社会的弱者の目線に寄り添った映画であり、危険人物の凶行に感情移入させる危険な映画になってもいます。

ジョーカーに感情移入させる映画と見せかけて…

舞台となるゴッサムシティは、ゴミ処理業者のストライキによって、街にゴミが溢れかえり悪臭が満ちた酷い有様になっています。

これはそのまま町に暮らす底辺の人々のうっぷんが溜まっている状況を象徴しています。

福祉はどんどん打ち切られ、金持ちが優遇されています。

アーサーはそんな中でも「あなたがみんなを笑顔にして」という同居している母の言葉に影響を受けて、パーティクラウンの仕事をしながら食いつないでいます。

しかし彼は、映画冒頭から仕事中にチンピラに仕事道具の看板を奪われ、追いかけた結果ピエロメイクのままボコボコにされてしまうのです。

そこだけでも悲惨ですが、チンピラを追いかけたために持ち場を離れたとみなされ職場では厳重注意。

アーサーはそんな理不尽な状況ゆえに一人になった時に慟哭するのですが、彼は顔をゆがませながら笑い声をあげることしかできません。

精神の病気で笑うことしかできないのです。ホアキン・フェニックスの凄まじい表情筋の使い方が光ります。

後半には、金持ちたちがチャップリンの『モダン・タイムス』を見ながら爆笑している場面が出てくるのですが、チャップリンの「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。」という有名なセリフの通り、映画『ジョーカー』は喜劇にも見えそうな奇行を繰り返すアーサーをクロースアップで映し出し、彼の内面の悲劇をあぶり出しています。

アーサー独自のピエロメイクは笑顔に見えるように口紅の口角は上がっていますが、目元からは涙が垂れているのです。

『ジョーカー』

(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics

そんな悲惨な状況のアーサーは、市の福祉で定期的にカウンセリングを受けていくつも向精神薬を飲んでいるのですが、ゴッサムシティの自治体は非情にもその福祉まで打ち切ってしまいます。

そうして下層の人間からも上層の人間からもひどい目に合わされてしまうアーサー。社会からは完全に見えない存在です。

シライシ

しかし、そんな風に誰かを抑圧すればしっぺ返しを食らってしまうのは、最近の現実の凶悪犯罪を見ればよくわかりますよね。

特にアメリカではインセルというモテなくて社会から疎外感を感じている男性による捨て身の犯罪が増えています。

アーサーも中盤でとある犯罪を起こしてしまうのですが、ここで最悪なのはその被害者がウォール街の証券マンという現在の貴族に当たるようなエリート層の3人組ということ。

貧富の格差が広がっている中で、そんな連中が殺されてしまえば、貧困層は犯人を支持してしまいます。

しかしアーサーは、たまたま正当防衛で相手が誰かも分からず殺しただけなのです。

それにも関わらず、その際にアーサーが仕事をクビになった帰りでたまたまピエロメイクをしていたために、民衆がピエロの格好をしてデモを起こし始めてしまいます。

普通の映画だったらアーサーがピエロメイクで人を殺してしまっただけでもうジョーカーになってしまうと思うのですが、アーサーはここではまだ悪役にはなりません。

しかしその事件の後にトイレで踊る場面は美しかったです。

それどころか、彼の現実には良いことが起き始めるのです。

一つは先程も書いたソフィーと恋仲になり始めること、もう一つは幼い頃から母とだけ暮らしていたアーサーの父親がまさかのあの人かも…?という希望を持ち始めることです。

しかし本作『ジョーカー』が、アーサーがジョーカーになるまでのストーリーだと知っている観客は、「そんなことはないよな」とこのあと彼にさらなる悲劇が起きることを予想してしまいます。

ただ、この映画の主人公の突き落とし具合は生半可なものではありません。

シライシ

詳しくは言えないですが「もうやめてあげてーー!」と叫びたくなるくらいキツい展開が待ち受けていました。

そして、そんな悲劇を経た上で、一気に吹っ切れたアーサーがジョーカーへと変貌する様はそれまでのキツさを吹っ飛ばすほどかっこよく撮られており、うっとりしてしまいます。

特にピエロメイクと緑色の髪のスタイルを完成させて階段で踊り狂う姿は忘れられません。

『ジョーカー』

(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics

こうやってキツすぎる展開とかっこよすぎるストレートなヴィラン誕生を連続して見せられると、なんだかケムに巻かれたような気になってきます。

果たして、なぜアーサーはジョーカーになったのか。結局答えがひとつに絞りきれません。

社会に不満のある人は証券マン殺害が一番大きなトリガーだと思うでしょうし、恋愛に悩んでいる人はソフィーとの関係のこと、家族関係がうまくいっていない人は出生や母親に関する真実を知ってしまったこと、夢に悩んでいる人は仕事をクビになったこと、コメディアンにはなれないと気づいてしまったこと…と、人によって答えがバラバラになるかもしれません。

シライシ

『ジョーカー』は、見る人を映す鏡のような映画なのです。

ちなみにこの映画、アーサーがジョーカーになってからすることは確かに恐ろしくインパクトがあるのですが、シーンとしては短めで、明らかにジョーカーになるまでの鬱屈した描写の方が長いのです。

フィリップス監督が描きたかったことが社会から阻害された男の陰鬱なドラマだということがよくわかります。

しかし、ここが長いからこそジョーカーになってからの吹っ切れぶりにスカッとしてしまうのも事実。

いけないことと分かりつつ、ジョーカーを応援してしまいます。

シライシ

ただ、我々観客は本当にジョーカーと気持ちがシンクロしているのでしょうか。

実はそうではなく、我々が真にシンクロしているのは劇中でジョーカーを信奉し暴動を起こしている民衆の方ではないかと思うのです。

民衆は不満のある現状を変えてくれる救世主を期待してしまっていて、いざ現れれば無条件に熱狂して支持している。それがかつて見向きもしていなかったあの落伍者とも知らずに…。

そんな劇中の出来事を見ていると、美術アカデミーに落ちて、後に政治家に転身し、ナチスを作り上げたヒトラーのことなども連想してしまいます。

ジョーカーほどひどい目に遭っている人はなかなかいないでしょうが、ジョーカーみたいな人間が現れた時に快哉を叫んでしまう程度に現状に不満がある人間は、世界中にも日本にもごまんといるのではないでしょうか。

シライシ

アメコミ映画でありながら、こんな危険なテーマに切り込んでいる映画はなかなかないと思います。

『ジョーカー』ラストの精神病院は?

映画『ジョーカー』では、最後に精神病院で拘束されながらカウンセリングを受けている素顔のアーサーを映します。

そこで彼は、かつて定期的に面会していたカウンセラーと会話し「どうせわからないよ…」「僕に思想はない」と不敵に笑うのです。

シライシ

これはクライマックスの事件の後の場面なのでしょうか?

彼はなぜ精神病院で拘束されているのか?

実は、それまで『ジョーカー』の劇中で起きていることは、全てアーサーの主観からだけで語られています。

今までの話は本当のことだったのか…?

同情していたけどジョーカーというキャラクターの嘘のひとつでは?

そんな疑問が浮かんだまま映画は終わります。

今どき珍しく「The End」の文字が出るのですが、それが明らかに昔のサイレント映画のコメディみたいなフォントなのも気になります。

シライシ

全部ジョークだったのか?無限に解釈は分かれそうです。

『ジョーカー』まとめ

以上、ここまで映画『ジョーカー』について考察させていただきました。

この映画を見て「ジョーカーともあろうものが、こんなわかりやすく同情できるキャラでいいのか」という意見がちらほら出ているようですが、結局はジョーカーというキャラの掴めなさがかえって強まるような映画になっていたと思うのです。

誰もが自分と重ねてしまうような孤独な人間の苦悩も描きつつ、ジョーカーのキャラクターを損ねることもなく、解釈の余地も残す見事なバランスの映画になっています。

トッド・フィリップス監督は続編を作るつもりはないそうですが、それが賢明でしょう。

これの後に何かを付け足すのは無理です。

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