【コラム】『ジョーカー』という映画の異質さ。【ネタバレあり】

『ジョーカー』という映画の異質さ

出典:『ジョーカー』公式ページ

今回はもうすぐDVDリリースも近づく映画『ジョーカー』について書きたいと思います。

この記事を書こうと思った理由は、『ジョーカー』を観てから2ヶ月以上経って、アメコミ映画好きとして書かないわけにはいかないと思ったからです。

『ジョーカー』は世界興収が10億ドルを超え、日本でも50億円超えを記録するなど大成功を収めました。

自分は前評判の高さから期待をして公開初週に観に行ったのですが、『アベンジャーズ/エンドゲーム』を7回劇場で観るほどアメコミ映画好きの自分ですら、2度目を観る気にならないぐらい面白いとは思えませんでした。

イッシー

世間的には大絶賛の意見が大多数で、何度も劇場に足を運んだ人も多かったようですが、そんなに言うほどかなというのが正直なところです。

この記事では『ジョーカー』という映画の異質さについて。主に気づいた2点を述べていきたいと思います。

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『ジョーカー』作品情報

作品名 ジョーカー
公開日 2019年10月4日
上映時間 122分
監督 トッド・フィリップス
脚本 トッド・フィリップス
スコット・シルヴァー
出演者 ホアキン・フェニックス
ロバート・デ・ニーロ
ザジー・ビーツ
フランセス・コンロイ
ブレット・カレン
ビル・キャンプ
シェー・ウィガム
音楽 ヒドゥル・グドナドッティル

①映画『ジョーカー』がそれほど刺さらなかった理由【ネタバレあり】


最初に断っておくと、『ジョーカー』という映画をただ否定したいわけではありません。

『ジョーカー』を大絶賛している人の意見も確かにその通りだと思います。

主演のホアキン・フェニックスの演技が素晴らしいのは言うまでもないですし、一人の男が悪に墜ちる過程がとても丁寧に描かれていたので、主人公に感情移入しやすいような作りになっていたのは良かったと思います。

イッシー

じゃあどうして自分にとってそれほど刺さらなかったのかと深く考えてみると、この映画がDC映画であり、ジョーカーというバットマンの永遠の宿敵を主人公にしているからだという結論に至りました。

どういうことかというと、自分の中にあるジョーカー像と『ジョーカー』で描かれたジョーカーというヴィランのオリジンの話に大きな乖離があったということです。

ジョーカーの一番の魅力は犯罪をする動機が分からず、本名すら明かされていないという謎の素性によってこそ生まれるヴィランとしてのカリスマ性です。

ジョーカーには犯罪をする動機はありませんが、目的ならあります。

それは何かというと、人の本質である悪の部分をさらけ出すということです。

どういう時に人は悪の部分をさらけ出すのかというと、自分の命が危機にさらされた時です。

そういった状況を作り出すのに犯罪というのはうってつけなわけです。

なので、ジョーカーは犯罪を繰り返して人の悪の部分をさらけ出そうとしています。

『ダークナイト』でヒース・レジャーが演じたジョーカーはそういったカリスマ性を見事に表現していました。

イッシー

自分は『ダークナイト』でジョーカーを観た時、ジョーカーそのものだと思い衝撃を受けました。

『ダークナイト』ではジョーカーのオリジンの話が一切描かれなかったことが余計に彼のカリスマ性を際立たせていました。

イッシー

そして、『ジョーカー』で描かれたジョーカーのオリジンの話を観た時、ホアキン・フェニックスが演じた主人公アーサー・フレックはジョーカーにはならないなと思いました。

なぜならこの主人公は、社会から段々と孤立していくことによって悪の道へと墜ちていき、格差社会に不満を抱いていて社会から孤立している人々にとって自分は悪のシンボルなんだと自覚するわけです。

しかし、そこには人の本質である悪の部分をさらけ出すという目的のために犯罪をするという意志がありません。

イッシー

『ダークナイト』のジョーカーと違い、自分が殺した3人の男がたまたま富裕層の人物であったため、格差社会に不満を持っていて社会から孤立している人々の悪のシンボルとして生まれ変わるわけですが、それには違和感しかないです。

それがよく分かるのは、終盤でアーサーがピエロの仮面を付けた集団に助けられ、パトカーの上に立つシーンです。

このシーンでアーサーはピエロの仮面を付けた集団から煽られるようにしてパトカーの上に立ちジョーカーになっていましたが、それは自分の求めていたものではありませんでした。

周りから煽られるような形ではなく、自分の意志でピエロの仮面を付けた群衆の前に立ち自分がジョーカーだと宣言して欲しかったです。

イッシー

『ジョーカー』では物語の最後の最後でジョーカーになったという描写がありましたが、もし冒頭からすでにジョーカーでそこからどうして人の悪の部分をさらけ出すことを目的に犯罪をするようになったのかという過去が掘り下げられるような構成だったら、2回以上は劇場に足を運んだことでしょう。

まとめると、『ジョーカー』で描かれたジョーカーのオリジンというのが違和感しか無かったので、自分には刺さらなかったということです

映画館で『ジョーカー』を見終わってまず思ったことは、ジョーカーを主人公にする意味があったのかということです。

イッシー

わざわざジョーカーというヴィランの単独映画を作ったのに、その魅力を充分に引き出せていないということはとても勿体ない気がします。

②『ジョーカー』という映画の異質さ

『ジョーカー』はDCコミックスを原作としているため、アメコミ映画の中のDC映画に分類されます。

イッシー

しかしアメコミ映画というより、現実を描く社会派映画のような内容の異質さがあります。なので映画を観ている途中から自分はアメコミ映画を観ているのか社会派映画を観ているのか分からなくなるほどでした。

そういった『ジョーカー』という作品のアメコミ映画とはいえないような作風の異質さが異例の大ヒットに繋がったのだと思います。

マーベル映画のX-MENシリーズのテーマは「差別」なので現実の社会問題というのを含んでいますが、直接的に描かれず間接的に描かれていました。

マーベル映画やDC映画などは基本的に勧善懲悪であり、ヒーローとヴィランの戦いというのがあくまでメインで、その裏にあるテーマというのは間接的に描かれることが多いです。

しかし『ジョーカー』ではゴッサムシティという街の格差、貧困層の富裕層に対する不満、主人公のアーサーがその波に呑まれていく過程が本編を通してずっと描かれます。

イッシー

正直、2時間2分という尺の大部分を使ってそこまで描く必要があるのかとは思いましたが。

そのようにして現実の社会を直接的に描いたアメコミ映画というのは無かったと思います。

どうしても同じような作風になりがちなアメコミ映画というジャンルにおいて、『ジョーカー』のような異質な映画が作られたことの意義は大きいと思います。

アメコミ映画の歴史を振り返ってみれば、時々その後のアメコミ映画の転換点となるような作品が公開されています。

『ジョーカー』も転換点となるような作品としてアメコミ映画の歴史に刻まれることになると思います。

作り手達はここまで現実の社会の事を直接的に描いたアメコミ映画でも、良いものを作ればたくさんの人たちが観てくれることに気が付きました。

そしてこれからもアメコミ映画というのは、数多く作られていくと思いますが『ジョーカー』のような社会派映画のような作品も作られることでしょう。

賞レースでも高い評価を受けています。

イッシー

今後、どんな社会派風アメコミ映画が作られていくのか楽しみです。

まとめ

イッシー

ここまで『ジョーカー』という映画について述べてきましたが、自分のような否定派というのは少数だと思います。公開された当時は否定派の意見をほとんど目にしなかったですからね。

『ジョーカー』を大絶賛している人も、本記事を読んでこういった意見もあるのかというふうに思ってもらえるととても嬉しいです。

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