『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』(2021)が数回の公開延期を経てほぼ一年遅れでようやく公開になりました。
『007/カジノ・ロワイヤル』(2006)より世界一有名なスパイ007/ジェームズ・ボンドを演じていたダニエル・クレイグは本作を最後にボンド役を卒業。
ボンド役就任から卒業まで十五年は六人の歴代ボンドでも最長の就任期間となりました。
就任当時は三十代だったダニエルも現在では五十代。
今のところ最年長だったロジャー・ムーアも五十代でボンドを卒業しているのでどうやら五十代がボンドの”賞味期限”というのがお約束のようです。
今回は歴代最長のボンドとなったダニエル・クレイグ=ジェームズ・ボンドを振り返ってみたいと思います。
目次
■そもそも007/ジェームズ・ボンドとは?
詳しくは別の拙記事
ジェームズ・ボンドはイギリスの作家イアン・フレミング(1908-1964)によるスパイ小説、およびこれを原作とするスパイ映画シリーズの主人公です。
イギリスの秘密情報部(MI6)で国際的に活動するエージェントで、007は彼に与えられたコードナンバー。
こちらもジェームズ・ボンドの名前とともに有名で007の通称でもよく知られています。
最初の映画作品は『007/ドクター・ノオ』(1962)ですので、既に半世紀近く続く非常に息の長いコンテンツです。
すでにフレミングの原作はすべて使い尽くされており、現在はフレミングの世界観や設定を踏襲したオリジナルストーリーで映画が制作されています。
原作はもともとかなり地味な作品で、小説第一作の『カジノ・ロワイヤル』(1953)は本編のほとんどをボンドがカジノでポーカーしているような内容でしたが、映画の派手さに引っ張られたのかボンドはスーパーマン化していき、現在のパブリックイメージは原作より映画の方に近いと言えます。
■かなり異色なダニエル・クレイグ版007
007シリーズは現在まで二十五作品がシリーズとして発表されています。
当初のシリーズはかなりの低予算であり、『007/ドクター・ノオ』は製作費100万ドルに過ぎませんでした。
同作は5900万ドルもの興行収入を記録し、007はドル箱シリーズとなります。
そこから元々ハードボイルド路線だったはずの007は荒唐無稽なファミリー映画に転身。
それが頂点に達したのがロジャー・ムーア時代の『007/ムーンレイカー』(1979)でした。
原作の『ムーンレイカー』は荒唐無稽ではあるもののもっと地味で、全編イギリス国内で物語が進行していました。
それが1970年代の大ヒットシリーズ『スターウォーズ』に引っ張られたのか、映画ではついにボンドが宇宙にまで飛び出します。
ロジャー・ムーアがボンドを卒業し、ティモシー・ダルトンに交代したタイミングでシリーズは原作に近いハードボイルド路線に戻りますが、ダルトンはわずか二作品でボンドを卒業。
ピアース・ブロスナンがボンドに就任すると再び荒唐無稽ファミリー映画路線に戻ります。
ブロスナンが卒業するとダニエル・クレイグがボンドに就任し、ここで再び大きく路線が変更されます。
権利の関係で映画化が塩漬けされていたシリーズ第一作『カジノ・ロワイヤル』が交代後の第一作の原作に選ばれ、極めてシリアスかつハードボイルドでありながら、大作ならではダイナミックさも兼ね備えたモダンな作風になります。
ティモシー・ダルトン時代のボンドはハードボイルドでありながらもなんとなく大雑把な作りでしたが、ダニエル版のボンドはもっと緻密でモダンな趣があります。
もっとも内容面へのこだわりと、それに加えておそらくダニエルが007をきっかけに売れっ子になってしまってスケジュール調整が難しくなったのもあって、制作間隔が長くなり、就任期間の長さに反して作品数は少なめです。
以上、少々前置きが長くなりましたが、ダニエル・クレイグ時代の007シリーズ五作品を振り返りレビューしていきたいと思います。
■『007/カジノ・ロワイヤル』(2006)
ダニエル・クレイグ=007の第一作目です。
原作は前述のとおり、イアン・フレミングの原作シリーズ一作目『カジノ・ロワイヤル』。
ボンド役交代によりシリーズは完全にリブートされ、設定が大幅変更されています。
ジェームズ・ボンドは1968年生まれになっており、物語開始時点で三十代後半だったことになります。
ロジャー・ムーア、ティモシー・ダルトン、ピアース・ブロスナンと就任当時四十代の俳優が続いていたので、かなり大胆な若返りです。
彼らのイメージのせいかボンドはなんとなく、四十代以上の成熟した大人のイメージがありましたが、実はこの年齢設定にも原点回帰志向が伺えます。
原作者のフレミングによると、ジェームズ・ボンドの年齢は三十代半ばから後半で、『ムーンレイカー』では三十七歳だったことが劇中の描写からわかります。
パブリックイメージからしたら若すぎるようにも思えますが、原作設定に反しておらず、オリジナルの設定に回帰していると言えます。
前述の通り、原作の『カジノ・ロワイヤル』はかなり地味な話です。
フランスの小さな街だけで殆どの話が完結しており、ほぼ全編が悪役のル・シッフル(マッツ・ミケルセン)とボンドがポーカーで勝負しているスケール感をあまり感じさせない作品です。
映画では大作エンタメとして原作に無い要素をかなり大幅に付け足しており。
ボンドがモンテネグロのカジノでポーカー勝負に出るまでのパートと、モンテネグロを去ってヴェスパー・リンド(エヴァ・グリーン)とヴェネチアに向かい、悲劇的な結末を迎えるパートは完全に映画のオリジナルです。
オリジナルですが、原作のパートと喧嘩することなく全体が調和しており、もともとこのような話だったのではと思わせる見事な構成です。
本作の脚本は007シリーズお馴染みのニール・パーヴィスとロバート・ウェイドが担当していますが、それに加えてアクション大作と全く無縁なポール・ハギスも名前が加わっています。
ハギスはアカデミー最優秀作品賞を受賞した『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)、『クラッシュ』(2004)などで知られるベテラン脚本家です。
アクションとは縁の浅いシリアスで地味な作風の人ですが、彼が加わったことでいい感じにノイズが入ったのではないでしょうか。
クレイグ版ボンドはハードボイルドで泥臭い系のボンドです。
若く無鉄砲で危ういところがあり、ボロボロになりながら事件に決着をつけます。
本作では原作にもない「007のコードネームを与えられたばかり」という設定も付け足されており、「シリーズが始まった」ことを強く印象付ける作りになっています。
監督は過去にも007シリーズを監督しているマーティン・キャンベルで、有名な作家系の監督では無く職人を起用してきたいかにも007シリーズらしいチョイスですが、彼も手堅く良い仕事をしています。
それまで映画評論家には見向きもされなかった007シリーズですが、今までのシリーズに無い重厚な作りが評価され、ダニエル・クレイグは英国アカデミー賞主演男優賞の候補になりました。
今のところ英国アカデミー賞の候補になったボンド俳優はダニエル一人しかいません。
■『007/慰めの報酬』(2008)
本作は驚きの始まり方でした。
007シリーズはシリーズものでありながら、決して続き物ではなく、一作ごとの繋がりはほとんどありません。
ボンドは事件を解決したら去り、ボンドガールは二度と出てきません。
何事もなかったかのように次のシリーズ作品に出てくるだけです。
『慰めの報酬』は『カジノ・ロワイヤル』の直後から物語が始まります。
『カジノ・ロワイヤル』の最後に少しだけ姿を見せたミスター・ホワイト(イェスパー・クリステンセン)が引き続き登場し、ボンドは悲劇の最期を迎えたヴェスパー・リンドの復讐にひた走ります。
この物語の地続き感は原作にもほとんどなかったもので、プロダクションが007シリーズをはっきりと続き物として意識していることがよくわかります。
今までアクションをメインフィールドにしている監督が選ばれていたシリーズですが、監督にはアクションと全く無縁だったマーク・フォースターが就任。
フォースターは『チョコレート』(2001)、『ネバーランド』(2004)など小規模なドラマ作品で手腕を発揮していた人です。
その後、『ワールド・ウォーZ』(2013)という大作映画を手掛けていますが、当時からしたら驚きの人選でした。
ニコ・トスカーニ
やっぱり続編の二作目は難しいという定説は概ね正しいようです。
■『007 スカイフォール』(2012)
本作はまたして驚きの人選でした。
監督はサム・メンデス。
舞台演出家の出身でアカデミー賞最優秀作品賞を受賞した『アメリカン・ビューティー』(1999)で知られる彼もまた、小規模なドラマ作品を中心としていた監督です。
ところがこの起用は大成功でした。
メンデスはドラマ性を重視してアクションシーンを大幅に減らすのではなどという懸念の声も挙がっていましたが、007シリーズらしいダイナミックなアクションはそのままに、重厚なドラマ性を付け足して007シリーズにはあり得ないような偏差値の高い(変な言い方ですが)作品に仕上げました。
特に悪役のシルヴァ(ハビエル・バルデム)とボンドの廃墟でのやり取りなど文学性すら感じさせます。
このシーンでの長回しなどいかにも舞台演出家出身らしい発想で、掛け値なしに今までにのシリーズに無い作品に仕上がっています。
脚本はお馴染みパーヴィスとウェイドのコンビが続投していますが、アクションと縁の薄い劇作家出身のジョン・ローガンも加わっておりこれもまたいい感じでノイズの乗った仕上がりなっています。
それでいて007シリーズのらしさは失われておらず、変なたとえかもしれませんがモダンさを付け足した高品質な同人誌のような作りになっています。
原作でも詳細には描かれていないボンドの生い立ちにまで踏み込んでおり、ジェームズ・ボンドをここまで深堀りした作品は他にはないのではないでしょうか。
前二作では登場しなかったシリーズお馴染みのキャラクター、マネーペニー(ナオミ・ハリス)とQ(ベン・ウィショー)も登場し、彼らは以降のシリーズにも登場します。
この辺もいかにも同人誌的ですね。
また、極めて異色なことに本作にはシリーズに彩を添えるボンドガールに相当するようなキャラクターが出てきません。
敢えて言うならばM(ジュディ・デンチ)がボンドガール的なポジションに収まっています。
彼女をボンドガールと見るならば史上最高齢のボンドガールでしょう。
登場人物の男率が非常に高く、こういった硬派な作りは非常に筆者の好みです。
ニコ・トスカーニ
『スカイフォール』は興行的にも批評的には大成功し、007シリーズとしてはあり得ないことに英国アカデミー賞の英国作品賞を受賞しました。
ジュディ・デンチとハビエル・バルデムも英国アカデミー賞で助演賞の候補になっています。
■『007 スペクター』(2015)
『スカイフォール』の監督、脚本が続投。
以前のシリーズ作品のテイストをそのまま受け継ぎ、本作もハードボイルドでシリアスな作風です。
ただし、『慰めの報酬』と同じように今作も何となく大雑把な印象が残ってしまいました。
『スカイフォール』に比べボンドが銃をぷっぱなすシーンが増えており、窮地を脱する展開に力技が多く何となく雑です。
悪役のブロフェルド(クリストフ・ヴァルツ)は存在感たっぷりですが、ボンドの力技に結局敗北しており、悪い意味での007シリーズらしさが印象に残ってしまいました。
ニコ・トスカーニ
■『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』(2021)
監督が再度交代。
当初はダニー・ボイルの予定でしたが、クリエイティブ面での食い違いから降板し、日系アメリカ人のキャリー・フクナガが監督に就任しました。
フクナガはインディペンデント系をメインフィールドにしている監督でまたしても007シリーズらしからぬ人選です。
前の二作品では登場しなかった原作でもおなじみのキャラクター、フィリックス・ライター(ジェフリー・ライト)が久しぶりに登場し、『スペクター』に登場したブロフェルドとマドレーヌ・スワン(レア・セドゥ)も続投。
M(レイフ・ファインズ)、マネーペニー、Qも引き続き登場し、主要キャラクター勢ぞろいのいかにも「終わり」を感じさせる顔ぶれがそろっています。
007シリーズは基本的に連続性の無いシリーズだったので、出てくるキャラクターは物語が終わればただ去るだけでした。
公開中作品のネタバレになってしまうので、詳しくは書けませんが本作では殉職するキャラクターも登場し、しつこいようですがはっきりと「終わり」を感じさせます。
連続性、地続き感があるのはダニエル・クレイグ=007シリーズの特徴ですが、本作の終わりは「らしい」終わり方だったと言えます。
ニコ・トスカーニ
■次のボンドはどうなるのか?
以上、今代の007を振り返ってきましたが、今代の007シリーズは今までにない連続性を保ったまま綺麗に文字通りに「終わり」を迎えました。
『ノー・タイム・トゥ・ダイ』をご覧になっていただければ「終わった」ということが嫌と言うほどよくわかると思います。
「終わった」ということは「次が始まる」ということでもあります。
ダニエルがボンド卒業を明言してから、既に数人の俳優が次のボンドとして名前が取りざたされており、その中には黒人のイドリス・エルバ、レゲ=ジャン・ペイジ、アジア人のヘンリー・ゴールディングも含まれています。
今の007はマネーペニーもフィリックス・ライターも有色人種になっているので如何な人種でもあり得ると思いますが、恐らく若返りだけは既定路線なのではないでしょうか。
(なのでアラフィフのイドリス・エルバは無いと思います。Mなら年齢的にあり得るかも)
トム・ハーディ、トム・ヒドルストンなど既に相当有名になっている大物も名前が挙がっていますが、過去の例からしてもボンドはスターが得る役ではなく、演じた俳優をスターにするシリーズなので、おそらく彼らのような超有名俳優は起用されないのではと予想しています。
原作回帰のハードボイルド路線なのか、荒唐無稽なファミリー映画路線なのかはわかりませんが、どのような形で次の007シリーズがお目見えするのか楽しみではあります。