ニコ・トスカーニ
『カサブランカ』(1943)『市民ケーン』(1941)など、これらのクラシックな名作が果たした歴史的役割を否定する気は毛頭ありませんが、率直に言ってこれらよりも最近のヒット作、主要映画祭の受賞作を見た方が純粋に楽しめると思います。
ただし、古い映画なら100年近く前の映画でも半世紀前の映画でも一緒とは思っていなくて、1960年代の後半あたりから後ろの名作は今見ても十分に凄いと思います。
ニコ・トスカーニ
この記事では、ハリウッド黄金期のクラシック映画と70年代の名作映画の違いを紹介しつつ、おすすめの70年代アメリカ映画の定番をご紹介します!
目次
- 1.クラシック映画(1940~50年代)の特徴
- 2.1960年代に何が起きたのか?アメリカン・ニューシネマの誕生
- 3.1970年代の名作映画おすすめ20選
- 3.1『M*A*S*H マッシュ』(1970)
- 3.2『フレンチ・コネクション』(1971)
- 3.3『時計じかけのオレンジ』(1971)
- 3.4『ダーティハリー』(1971)
- 3.5『ゴッドファーザー』(1972)『ゴッドファーザー PART II』(1974)
- 3.6『エクソシスト』(1973)
- 3.7『悪魔のいけにえ』(1974)
- 3.8『狼たちの午後』(1975)
- 3.9『チャイナタウン』(1974)
- 3.10『ジョーズ』(1975)
- 3.11『スティング』(1973)
- 3.12『ロッキー』(1976)
- 3.13『タクシードライバー』(1976)
- 3.14『アニー・ホール』(1977)
- 3.15『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』(1977)
- 3.16『ディア・ハンター』(1978)
- 3.17『天国の日々』(1978)
- 3.18『ゾンビ』(1978)
- 3.19『エイリアン』(1979)
- 4.1970年代おすすめ名作映画20選まとめ
クラシック映画(1940~50年代)の特徴
ニコ・トスカーニ
以下、偏見まみれのクラシック映画の特徴です。
長いので、後述の70年代おすすめ映画の項まで飛んでいただいても結構です。
中途半端なサイズの画面がダラダラ続く
ロマンティックな『風と共に去りぬ』(1939)シリアスな『市民ケーン』コミカルな『アパートの鍵貸します』(1960)人情ものの『素晴らしき哉、人生!』(1946)など、これらはいずれも歴史的名作と評価されているクラシック映画で、いずれも毛色の異なるバラバラのジャンルの名作です。
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『市民ケーン』は『Mank/マンク』(2020)の解説記事を書くために、今年久しぶりに見返しましたが、おっさんになった今みても「退屈」という印象は残念ながら変わりませんでした。
まず演出の特徴から入りますが、古い映画、特に古いハリウッド映画は大きく寄るでも引くでもない中途半端なサイズの画面がダラダラ続くものが非常に多いです。
『市民ケーン』は引き画の長回し(ステージング)を多用する映画史的にはかなり革新的な演出が使われていますが、身も蓋もない話をすると、同じようなことをやっても現代の映画監督の方が遥かに洗練されています。
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ちなみにエリア・カザンの保守的な『波止場』(1954)がアカデミー賞を受賞した年、日本映画の金字塔『七人の侍』(1954)がヴェネチア国際映画祭の銀獅子賞を受賞し、日本映画が国際的な地位を高め始めていました。
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画面の密度、カット構成のバランス、編集のリズム、脚本の洗練度、描写のリアリティなど『七人の侍』は15年ぐらい時代を先取りしている感があります。
同じ年に『二十四の瞳』(1954)というこちらも日本映画の歴史的名作が公開されていますが、同作も時代を考えると信じられないほど革新的な作りで、しかも『七人の侍』とまるで真逆なことをして成功しています。
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描写にリアリティーがない
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『Mank/マンク』の解説記事でも書きましたが、ハリウッドでは1934年にヘイズ・コード(プロダクション・コード)という自主規制条項が成立しています。
1930年代、アメリカではカトリック系の保守派を中心にした「礼節同盟」が「映画のランク付けを行う」と主張していました。
映画の内容、および描写で主導権を握られてはたまらない映画業界は先手を打ち、自ら自主規制条項を設けました。
これが1968年まで続くことになるヘイズ・コードです。
ヘイズ・コードは商業映画を「道徳的な価値を持つもの」と定義したので、不道徳な描写は徹底排除されました。
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キスシーンはギリギリセーフでしたが、キスしてる時間に規制(3秒まで)がかかるぐらいにとても保守的な規制条項でした。
なのでクラシック映画では撃たれても血が出ませんし、男女がベッドインしようとしたらその瞬間にフェードアウトです。
第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦を題材にした『史上最大の作戦』(1962)は当時の大ヒット作で、興行・批評の両面で成功しましたが、弾丸が当たっても血が出ないし、弾着効果も何か嘘くさいです。
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『欲望という名の電車』(1951)はスタンリー(マーロン・ブランド)がブランチ(ヴィヴィアン・リー)に性的な乱暴をする……ことが暗喩されるシーンがありますが、もちろん乱暴をする場面そのものは描かれません。
そのくせ、クラシック映画は男性が女性の顔を殴るような場面は平気で出てくるし、平気で人種差別的な表現が出てくるので現代人からしたらそっちの方がよほど問題です。
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アメリカは銃社会なのでクラシック映画でも銃をバンバンぶっ放すシーンは出てきますが、クラシック映画では銃撃の時の反動、というか発砲という行為に対する重みが感じられません。
『マルタの鷹』(1941)にしても、『駅馬車』(1939)にしても、ただ銃口から白煙が上がっただけにしか見えないです。
クラシックな名作『カサブランカ』(1942)には登場人物の一人が酒場でピアノを弾いている場面が何度か出てきますが、手の動きと音が合っておらずどう見ても弾いてるふりです。
『007 ドクター・ノオ』(1962)の初代ジェームズ・ボンド(ショーン・コネリー)は、アクションの動きが素人臭くてあんまり強そうに見えません。
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そんな規制の中で、当時の映画監督たちは工夫をしました。
サイコサスペンスの先駆者的存在になった『サイコ』(1960)は様々なテクニックを開発したアルフレッド・ヒッチコック(1899-1980)の代表的な作品ですが、『サイコ』ではいきなり人が殺されるシーンが出てきます。
ヘイズ・コードで「残酷なシーンなど、観客に恐怖を与える場面」「殺人の手口の描写」はNGです。
ヒッチコックは直接的な描写を省くことで規制条項のギリギリをつき、あのシャワーシーンの殺人場面を演出しました。
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1960年代も終わりごろになると変わってきて、アメリカン・ニューシネマの先駆者だった『俺たちに明日はない』(1967)やバイオレンス映画の傑作『ワイルドバンチ』(1969)では血がブーブー出ます。
こうして1960年代にヘイズ・コードは形骸化しはじめ、1968年に正式に廃止されました。
以降、アメリカ映画界は年齢別のレイティングシステムに移行し、R指定映画ではどんどん大胆な表現ができるようになります。
俳優のしゃべり方が変。演技が不自然
ハンフリー・ボガード(1899-1957)でもケーリー・グラント(1904-1986)でもジェームズ・スチュワート(1908-1997)でも同じですが、クラシック映画に出てくる俳優は皆が一様に早口で話します。
早口気味で身振り手振りは大げさで、セリフ回しは仰々しく、一言で言って不自然です。
何も仰々しくて不自然なのが必ずしも悪いわけではなく、これが当時(1950年代初めぐらいまで)の流行だったということなのでしょう。
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加えて、英語を熱心に勉強している人なら気付くかもしれませんが、1930年代から1950年ごろまでの映画俳優が話す英語は何か発音が不自然です。
これは気のせい…ではありません。
不自然に聞こえる理由は、彼らが間大西洋アクセント(Mid-Atlantic accent, Transatlantic accent)で話しているからです。
間大西洋アクセントは北米英語とイギリス英語の特徴を混ぜ合わせて「標準化」した人工アクセントで、20世紀初頭にアメリカの上流階級で生まれてのちに演劇、映画でも盛んに用いられました。
政治家が公の場で話す英語でもあり、第32代アメリカ合衆国大統領フランクリン・D・ルーズベルト(1882-1945)の話している英語などは間大西洋アクセントの例です。
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キャサリン・ヘップバーン(1907-2003)とケーリー・グラントは当時を代表する大スターですが、どちらも間大西洋アクセントの典型例として知られており、二人が共演したクラシック映画の名作『フィラデルフィア物語』(1940)は、映画における間大西洋アクセントの典型例として挙げられます。
なお、理由は不明ですが、20世紀も後半になると間大西洋アクセントは廃れた文化になり上流階級の間でも演劇でも映画でも使われなくなります。
ただし、以降の映画でもたまに何かしらの効果を狙って、あえて間大西洋アクセントで話している例があるのです。
『スターウォーズ』旧3部作(1977-1983)のダース・ベイダー(ジェームズ・アール・ジョーンズ)は間大西洋アクセントで話しています。
ダースベイダーは映画史上最も有名な悪役の一人ですが、どうも古いディズニー映画に「悪役はイギリス訛りか間大西洋アクセントで話す」というお約束があったのでそれに従ったみたいです。
間大西洋アクセントは地位の高さを表す演出装置としても時折使われており、こちらも『スターウォーズ』のキャラクターですが、パブリックな場で話すときのレイア姫(キャリー・フィッシャー)やアミダラ女王(ナタリー・ポートマン)も間大西洋アクセントで話しています。
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間大西洋アクセントはアメリカ人が聞いても変らしいです。
ざっと”mid-atlantic accent”ググってみたところ、
“Why Do People In Old Movies Talk Weird?”(なぜ古い映画に出てくる人たちは変な話し方をするのか?)
“TRANSATLANTIC ACCENT: WHY DID ACTORS IN OLD MOVIES HAVE WEIRD ACCENTS?”(間大西洋アクセント:なぜ古い映画に出てくる俳優は変なアクセントなのか?)
みたいな感じの記事やyoutubeの解説動画がありました。
ちょっと脱線しましたが、少なくとも1940年代までの映画はほぼこの「仰々しく早口気味に間大西洋アクセントで話す」演劇的な不自然演技一辺倒です。
変化の始まりは1950年代で、このころからリアリティを追求したメソッド演技派が台頭し始めます。
その初期代表例が先ほども名前の出た『欲望という名の電車』(1951)です。
主演のマーロン・ブランドは映画界におけるメソッド演技派の草分け的存在で、以後、ジェームズ・ディーン、ポール・ニューマン、ロバート・デ・ニーロ、ダスティン・ホフマン、アル・パチーノ、メリル・ストリープ、エレン・バースティンなど1950-1970年代にかけてメソッド派のスター俳優が誕生し、演技はリアルな方向へと向かっていきます。
なお、このメソッド演技というのも何もないところから始まったわけではなく、ルーツはロシア演劇のアントン・チェーホフ(1860-1904)の時代まで遡ります。
チェーホフは同じ古典演劇でも、シェイクスピアとは対照的なアンチクライマックス的作風です。
俳優、演出家のコンスタンチン・スタニスラフスキー(1863-1938)はそのスタイルに合わせ、静かで抑制のきいた演技スタイル「スタニスラフスキー・システム」を生み出しました。
そのスタイルをさらに発展させたのが、20世紀のアメリカで誕生した「メソッド」です。
メソッドは舞台が発祥のスタイルですが、エリア・カザンが映画界に持ち込んで映画でも用いられるようになりました。
どのようなものかかいつまんで説明すると、「いかにしてリアルで生々しい演技を生み出すか」という方法論です。
その方法は、役柄についてじっくり考えるために自分が演じるキャラクターの履歴書を考えるという基本的なものから、見た目に説得力を持たせるための肉体改造まで様々でした。
その中心地がニューヨークの俳優養成所アクターズ・スタジオで、アクターズ・スタジオは現在でも名門として知られています。
『ゴッドファーザー PART II』(1974)で映画デビューしたリー・ストラスバーグ(1901-1982)は1949年にニューヨークのアクターズ・スタジオの芸術監督に就任しており、伝説的な演技トレーナーとして知られた人物です。
ストラスバーグと仲違いしたステラ・アドラー(1901-1992)は舞台を中心に活動し、彼女もメソッドの演技トレーナーとして高名な存在です。
現役だとクリスチャン・ベールやホアキン・フェニックスが、バリバリのメソッド俳優ですね。
彼らは激やせと激太りを繰り返して体調不良になったり、アル中の役を演じるために本当にアル中になったりで、良くも悪くもやりすぎメソッド俳優は話題になります。
メソッド流のやり方を批判する意見もあり、メソッド全盛の時代が到来してもローレンス・オリヴィエ(1907-1989)はシェイクスピア劇風の大袈裟スタイルを変えることがありませんでした。
オリヴィエはダスティン・ホフマンと共演したとき、メソッド流の準備をするホフマンを見て「おいおい、ただパッとやればいいだけだろ」と言い放ったとか。
オリヴィエとホフマンが共演した『マラソンマン』で、オリヴィエはアカデミー賞候補になっています。
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少々説明が長くなりましたが、かくして、1950年代から1970年代にかけて演技スタイルはハキハキと人工アクセントで話す大げさ一辺倒から、肩をすくめてモゴモゴ喋るスタイルへと多様化していくことになります。
1960年代に何が起きたのか?アメリカン・ニューシネマの誕生
ニコ・トスカーニ
ですが、映画界も時代とともに変わりました。
最終的に1970年代の歴史的名作を挙げて稿を締めくくる予定ですが、1970年代に映画が突然変わったわけではなく、1960年代にすでに劇的な変化が見られるようになっています。
特に1960年代の変化の潮流が生み出したものが、アメリカン・ニューシネマです。
かつて、ハリウッドは大作映画一辺倒でした。
少数の大手映画会社が寡占的に映画産業を独占していたスタジオ・システムが独占禁止法違反と司法で判断され、テレビとの競争が激化しはじめたことも重なって1950年代になると崩壊します。
1960年代になると独立系映画会社への依存度が高まり、スタジオ・システムのもとシステム化された従来の大作商業映画と作家性の強い作品とで二極分化していきます。
社会も変わりました。
1960年代は「政治の季節」と呼ばれており、黒人の地位向上を目指した「公民権運動」、ピルによる避妊を認める「性改革」、ベトナム反戦運動などが起こって社会がリベラルな方向に向かっていきます。
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1960年代にも、昔ながらの大作映画も制作されました。
『アラビアのロレンス』(1962)は大作主義と作家主義が上手く嚙み合った名作で、その年のアカデミー賞を受賞しています。
一方、『クレオパトラ』(1963)、『スター!』(1968)などの大作が興行的に致命傷レベルで失敗しており、大作主義が必ずしも成功しないことが証明されてしまいました。
方向性を見失ったハリウッドは新人でもデキる監督には相当な裁量を与えるようになり、それまでとは明らかに違う毛色のアメリカ映画が生み出されていきます。
こうして制作された新しい映画たちの一群が「アメリカン・ニューシネマ」です。
破滅的な『俺たちに明日はない』、『ワイルドバンチ』、若者がただ放浪しているだけでアンチクライマックスな『イージー・ライダー』(1969)、難解で抽象的な『2001年宇宙の旅』(1968)、厭世的な『真夜中のカウボーイ』(1969)、シニカルな『卒業』(1967)などは、明らかにそれまでのハリウッド映画とは異なる作品です。
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こうした流れは1970年代に受け継がれ、映画はもっと大胆な表現が許されるメディアへと変化していきます。
1970年代の名作映画おすすめ20選
ニコ・トスカーニ
『M*A*S*H マッシュ』(1970)
アカデミー賞の主要5部門を独占した『カッコーの巣の上で』(1975)と並ぶ1970年代アメリカン・ニューシネマの代表的作品です。
後に名匠として確固たる地位を築くことになるロバート・アルトマン監督は、本作が出世作になりました。
朝鮮戦争を舞台にした群像劇的なブラックコメディで、群像劇の名手として知られたアルトマンらしい作品です。
内容も演出もアンチクライマックス的で、クラシックなハリウッド映画と明らかに一線を画する新時代の作品でした。
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本作はカンヌ国際映画祭のパルム・ドールとアカデミー賞の脚色賞を受賞しています。
アルトマンは1970年代に『ナッシュビル』(1975)という、こちらも群像劇の傑作を生みだしています。
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『フレンチ・コネクション』(1971)
ニューヨーク市警察の刑事を主人公に、麻薬犯罪を題材にしたサスペンスです。
実際の事件をモデルにした本作は、アドバイザーに現役の刑事を雇い、リアリズムの権化のような作品に仕上がっています。
半世紀以上前の映画ですが演出は限りなくフレッシュで、まるでポール・グリーングラスが1970年代の技術を使って撮影したような先鋭的な作品です。
1970年代はウィリアム・フリードキン監督の全盛期で、本作でアカデミー賞の最優秀監督賞を受賞。
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『時計じかけのオレンジ』(1971)
すでに1960年代に『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』(1964)、『2001年宇宙の旅』で確固たる地位を築いていたスタンリー・キューブリック監督の代表的な一本です。
アーティスティックなSFガジェットのデザインと、優雅なクラシック音楽にのせてバイオレンスが乱れ撃ちされる全編が鮮やかな悪夢でも見ているような刺激の連続で、良くも悪くも一度見たら忘れられない不健康な魅力に満ちた傑作。
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生涯にわたって名匠と評価されたキューブリックですが、アルトマン同様アカデミー監督賞は獲れませんでした。
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『ダーティハリー』(1971)
1960年代にマカロニウエスタンと称された西部劇で主演を張り、アクションスターとしての地位を確立していたクリント・イーストウッドは本シリーズで現代アクションのスターとしても地位を確立しています。
本作は長寿シリーズとなり『ダーティハリー5』(1988)まで5本のシリーズが制作されました。
イーストウッドが演じたハリー・キャラハン刑事は事件解決のためなら法を犯すことも厭わないダークヒーローで、この屈折したヒーローぶりがいかにも1970年代っぽいです。
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『ダーティハリー』のドン・シーゲル監督から受けた影響を公言しており、映画監督イーストウッドの影響元として重要な作品と言えます。
『ゴッドファーザー』(1972)『ゴッドファーザー PART II』(1974)
ギャング映画の歴史は長く、1930年代にはすでに『犯罪王リコ』(1930)や『暗黒街の顔役』(1932)が発表されジャンルとして確立されていました。
ギャングの中でも特に、イタリアのシチリア島を起源とする組織犯罪集団をマフィアと言いますが、今日におけるマフィアのイメージはほぼ=『ゴッドファーザー』でしょう。
抗争や暴力だけなく、マフィアの家族愛や義理人情まで描いた『ゴッドファーザー』は「マフィアを礼賛している」と批判もされましたが、興行・批評の両面で大成功を収めました。
フランシス・フォード・コッポラは本作を監督するまで、まだマイナーな存在でしたが『ゴッドファーザー』の成功により一躍A級監督になります。
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PART IIで若き日のヴィトー・コルレオーネを演じたロバート・デ・ニーロはアカデミー賞の最優秀助演男優賞を受賞していますが、彼のセリフはほぼ全編イタリア語で英語字幕がついてます。
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1970年代はコッポラの全盛期で、『カンバセーション…盗聴…』(1974)、『地獄の黙示録』(1979)を産み出しました。
残念ながら1980年代以降は精彩を欠いています。
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『エクソシスト』(1973)
1960年代後半から1970年代はオカルトホラーがブームになり、『ローズマリーの赤ちゃん』(1969)『オーメン』(1976)などが生み出されました。
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『フレンチ・コネクション』で若くしてアカデミー賞監督になったフリードキンは、同作で見せた徹底したリアリズムをオカルトホラーの『エクソシスト』でも見せました。
悪魔と人間の戦いなので、話そのものは嘘まみれですが、劇中の悪魔払いの作法はローマ・カトリック教会の規定に従っており、演出もドキュメンタリーを思わせる生々しい表現に終始しています。
ホラー映画に冷たいアカデミー賞ですが、本作は作品賞候補になり原作・脚本を担当したウィリアム・ピーター・ブラッティが脚色賞を受賞しています。
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『悪魔のいけにえ』(1974)
1970‐1980年代はスプラッター映画がブームになりました。
その先駆けになったのが『悪魔のいけにえ』です。
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当時まだ30歳そこそこだったトビー・フーパーは以降、ホラー映画の名匠として地位を確立し『悪魔の沼』(1977)、『ポルターガイスト』(1982)などを監督しています。
本作の成功以降、『ハロウィン』(1978)『13日の金曜日』(1980)『死霊のはらわた』(1981)『エルム街の悪夢』(1984)などのスプラッター映画がフォロワーとして誕生することになります。
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『狼たちの午後』(1975)
現実に起きた銀行立てこもり事件を映画化した社会派サスペンスの名作です。
立てこもり事件の緊迫感と真夏のニューヨークのうだるような暑さを画面に定着させたシドニー・ルメットの手腕が光っています。
『十二人の怒れる男』 (1957)で監督デビューしたルメットは、1970年代に全盛期を迎えることになります。
『セルピコ』(1973)『ネットワーク』(1976)は『狼たちの午後』と同系統の社会派サスペンス。『オリエント急行殺人事件』(1974)は気軽なエンタメで硬軟織り交ぜたスタイルで高い評価を得ました。
ニコ・トスカーニ
アルトマン、キューブリックと同様に、ルメットも生涯アカデミー監督賞は獲れませんでした。
『チャイナタウン』(1974)
内容は古典的なハードボイルドサスペンスですが、のちにアカデミー賞監督になるロマン・ポランスキーの巧みな演出や『猿の惑星』(1968)で映画音楽に革命をもたらしたジェリー・ゴールドスミスのフレッシュな音楽の効果もあり、古典的な内容でありながらよりモダンで洗練された傑作に仕上がっています。
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『ジョーズ』(1975)
『ジョーズ』はすべてのサメ映画の原点ともいうべき傑作サスペンスです。
技術的に未成熟であるため、サメの姿(撮影用のロボット)が出てくる部分ははっきり言ってチープですが、スティーヴン・スピルバーグは多くの場面でサメの姿を見せず影や音で存在をほのめかす演出を採用しました。
はっきり見せないことが、より恐怖心を煽る結果に繋がっています。
以降、幾度もコンビを組むことになるジョン・ウィリアムズの音楽も、絶大な効果を発揮しています。
この頃スピルバーグはまだ20代でした。
早熟の天才だったスピルバーグはSF映画の傑作『未知との遭遇』(1977)も1970年代に生み出しています。
ニコ・トスカーニ
『スティング』(1973)
1930年代のシカゴを舞台に、詐欺師たちの騙しあいを描いたおしゃれなサスペンスです。
ジョージ・ロイ・ヒル監督はアメリカン・ニューシネマの傑作『明日に向って撃て!』(1969)、文学的な『スローターハウス5』(1972)を同時期に発表しており、1970年代は全盛期でした。
ニコ・トスカーニ
普通にハリウッドらしい大作娯楽映画ですが、1950-1960年代の娯楽映画と比べると表現がよりフレッシュになっており、1970年代における映像表現の進化を感じることができます。
『スティング』作品情報 『明日に向って撃て!』などのジョージ・ロイ・ヒル監督が犯罪コメディに挑戦した意欲作! ……
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『ロッキー』(1976)
お馴染み超人気シリーズ『ロッキー』の一作目です。
当時全く無名だったシルヴェスター・スタローンが自らの脚本を自らを主演にすることを条件に売り込んで成立させた、おそらくは誰も期待していなかった企画で、ごく低予算で制作されました。
ニコ・トスカーニ
ロッキー・バルボアはボクシング映画におけるアイコンになりました。
1960-1970年代は屈折したアメリカン・ニューシネマが全盛を迎えた時代でしたが、『ロッキー』は努力と根性がアメリカンドリームを成立させる超ストレートな正統派ドラマで、まるっきり真逆の方向性の作品です。
以降、屈折したアメリカン・ニューシネマの時代は終焉を迎えることになります。
一作目から半世紀近く経って、さすがにロッキーは引退しましたが、ロッキーのライバルでマブダチだったアポロ・クリードの息子を主人公にした『クリード チャンプを継ぐ男』(2015)も興行・批評の両面で成功しシリーズ化。
ニコ・トスカーニ
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『タクシードライバー』(1976)
『タクシードライバー』は巨匠マーティン・スコセッシの出世作になった作品です。
ニコ・トスカーニ
主人公のトラヴィス(ロバート・デ・ニーロ)は主人公なのに明らかにアンチヒーローです。
精神病質的な傾向があり、思い込みが激しく暴力的で、ラストの血みどろ殺戮劇など、どっちが悪役なのかわからない程の残虐さ。
この屈折具合がいかにも1970年代映画っぽいです。
ニコ・トスカーニ
例えばトラヴィスが勤務を終えてタクシー会社に戻ってくる場面ですが、カメラがトラヴィスをフォローした後、彼はフレームアウトしてしまい、カメラがぐるっと回って周囲の様子を映し出してからシーンが終わります。
主人公がフレームアウトした後、他の人物のリアクションを映すでもなく、状況を説明する訳でもない不思議な演出ですが、孤独でアウトローなアンチヒーローを主人公にしたこの映画と不思議にマッチしています。
『タクシードライバー』はアカデミー賞では無冠に終わりましたが、カンヌ国際映画祭のパルム・ドールを受賞しています。
本作で名前を上げたスコセッシは以降、『レイジング・ブル』(1980)、『グッドフェローズ』(1990)などで地位を不動のものにし、後期高齢者になった今も一線級の映画監督として活躍しています。
ニコ・トスカーニ
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『アニー・ホール』(1977)
1970年代は作家主義的な作品が少なからず作られましたが、ウディ・アレン監督は良くも悪くもその代表的存在といえるでしょう。
アレンの映画は興行的にパッとせず、批評的な評価は高い見る人を選ぶタイプの映画です。
ニコ・トスカーニ
『アニー・ホール』はコメディアンとしてスタートしたアレンが芸風を確立した映画で、長い会話の長回し(ステージング)を多用したいかにもなスタイルが用いられています。
以降、アレンは見る人を選ぶ系監督の地位を確立し、アカデミー賞の常連監督・脚本家になりました。
ニコ・トスカーニ
『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』(1977)
誰もが知ってるSF叙事詩『スター・ウォーズ』の第一作目。
内容の魅力はもちろんのこと技術革新による新しい撮影技法で斬新な映像を作り出し、SF映画史を2歩ぐらい先に進めたかもしれない画期的な作品です。
ニコ・トスカーニ
1970年代映画では『ロッキー』と並ぶストレートなエンタメ作品で、根強い人気を誇り、2021年現在も複数のスピンオフ企画が進行中です。
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『ディア・ハンター』(1978)
度々映画の題材になっているベトナム戦争ですが、ベトナム戦争を扱った映画で初めてアカデミー作品賞を受賞したのが『ディア・ハンター』です。
翌年には同じくベトナム戦争を背景にした『地獄の黙示録』(1979)がカンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞。
続く1980年代にはアカデミー最優秀作品賞を受賞する『プラトーン』(1986)が世に出ることになります。
映画は有名なロシアンルーレットの場面をはじめ、戦場の狂気が容赦なく描かれる1970年代映画らしい攻めた作りで、のちのベトナム戦争物と比べても大変に充実した出来です。
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『天国の日々』(1978)
ウディ・アレンと同じく、良くも悪くも作家性が強く観る人を選ぶ系なテレンス・マリックの初期代表作。
マジックアワーにこだわり、ロングショットを多用した絵画を思わせるアート映画です。
ニコ・トスカーニ
大作主義時代のハリウッドでは作られなかった種類の映画で、マリックもまた1970年代という土壌が生み出した才能と言えるでしょう。
マリックは本作でカンヌ国際映画祭の監督賞を受賞しています。
ニコ・トスカーニ
マリックは本作の後しばらく沈黙し、『シン・レッド・ライン』(1998)でカムバックすることになります。
『ゾンビ』(1978)
ゾンビは今やホラー映画のアイコン的存在になっているモンスターです。
元ネタはブードゥー教の信仰で、映画での初登場は『恐怖城』(1932)なので、映画との付き合いは一世紀に到達しようかという長さです。
ニコ・トスカーニ
その現代版ゾンビのイメージを決定づけたのが『ゾンビ』です。
『ゾンビ』は極めて低予算で制作されましたが、大ヒットしました。
本作もまた、往年の大作主義を否定する形で成功した1970年代らしい作品と言えます。
ニコ・トスカーニ
その姿勢は特定の人種から経緯を集め、『ゾンビ』を正面からパロディー化した『ショーン・オブ・ザ・デッド』(2004)のエドガー・ライト監督と主演のサイモン・ペグはロメロの『ランド・オブ・ザ・デッド』(2005)に自ら志願してゾンビ役で出演しています。
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『エイリアン』(1979)
ご存じ長寿シリーズ『エイリアン』の第一作目です。
「航行中の宇宙船の中」にシチュエーションを絞ったソリッドな作りで、SFの設定と「密閉空間でどこからか凶悪な不明生物が襲い掛かってくる」というホラーの要素を組み合わせた画期的な作品です。
以降、エイリアンはシリーズ化され、どんどんスケールアップしていきます。
監督は当時まだ若手監督だったリドリー・スコット。
スコットは以降、『ブレードランナー』(1982)『グラディエーター』(2000)などの傑作を発表していきます。
ニコ・トスカーニ
1970年代おすすめ名作映画20選まとめ
- 『M*A*S*H マッシュ』
- 『フレンチ・コネクション』
- 『時計じかけのオレンジ』
- 『ダーティハリー』
- 『ゴッドファーザー』
- 『ゴッドファーザー PART II』
- 『エクソシスト』
- 『悪魔のいけにえ』
- 『狼たちの午後』
- 『チャイナタウン』
- 『ジョーズ』
- 『スティング』
- 『ロッキー』
- 『タクシードライバー』
- 『アニー・ホール』
- 『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』
- 『ディア・ハンター』
- 『天国の日々』
- 『ゾンビ』
- 『エイリアン』
いかがでしたでしょうか?
映画は一世紀程度の間に劇的に変化したメディアで、その歴史を紐解いていくとそれだけで本が数冊かけるぐらいの事件が起きています。
個人的に1960-1970年代は変化が大きなうねりとなった時期で、もっとも劇的な変化を遂げた時期だと思います。
時代に思いを馳せながら観ると、より映画を楽しめる気がします。
最後に身も蓋もないことを言うと、映画なんて観たいもの勝手に観ればいいだけだと思うのですが、このようなまとめ記事が何かしらの一助になれば望外の喜びです。
ニコ・トスカーニ