1998年、後世に残る問題作が公開されました。
それが、典型的なアメリカの一市民である男が自分の“日常”を全世界に放送されていることを知り、そんな人生からの脱出を試みる映画『トゥルーマン・ショー』。
衝撃の設定が驚きと感動を生み、人々の心を掴んだダーク・コメディです。
この作品で主人公のトゥルーマンを演じたジム・キャリーがゴールデングローブ賞主演男優賞を、トゥルーマンにとっての悪敵であるクリストフを演じたエド・ハリスが助演男優賞を受賞したことでも話題となりました。
時代が変わってもリアリティー・ショーの人気が衰えないように、『トゥルーマン・ショー』への支持も時代を超えてきました。
今回はそんな名作映画『トゥルーマン・ショー』をネタバレありでご紹介します。
目次
『トゥルーマン・ショー』作品情報
作品名 | トゥルーマン・ショー |
公開日 | 1998年11月14日 |
上映時間 | 103分 |
監督 | ピーター・ウィアー |
脚本 | アンドリュー・ニコル |
出演者 | ジム・キャリー エド・ハリス ローラ・リニー ノア・エメリッヒ ナターシャ・マケルホーン ホーランド・テイラー ブライアン・ディレイト ブレア・スレイター ピーター・クラウス |
音楽 | ブルクハルト・ダルウィッツ |
【ネタバレ】『トゥルーマン・ショー』あらすじ
平凡な毎日
離島の町に暮らすトゥルーマン(ジム・キャリー)は、「会えない時のために、こんにちはとこんばんは!」が口癖の明るいサラリーマン。
特に大きなことは起こらないけれど、何不自由なく平凡で幸せな毎日を過ごしていました。
いつか海の向こうへ行くことを夢見ていますが、小さい頃に海難事故で父親(ブライアン・ディレイト)が死ぬのを目の前にしてから水恐怖症になり、憧れのフィジー島に旅行に行くことすらかなわず、一度も島から出たことのない人生を送っています。
そんなある日、通勤途中に亡くなった父親とよく似た人物を見かけます。
本当に父親かどうか確認しようとしましたが、タイミング悪く周囲の人々や車に邪魔され、再会には至りませんでした。
作り物の人生
父親らしき人物を見たトゥルーマンは、学生時代のある出来事を思い出します。
当時、トゥルーマンはローレン(ナターシャ・マケルホーン)という女性に恋していました。
しかし、ローレンはいつも周りを気にしていて、何かに追われているような素振りを見せます。
そんなローレンとトゥルーマンがお互いの気持ちを確かめ合った日、ローレンは自分の名前は偽名で本当はシルビアという名前であること、トゥルーマンはこの世界の中で常に監視されていることを告げます。
突拍子のない告白にトゥルーマンが戸惑っていると、ローレンは突然何者かに連れ去られ、それ以降会うことはありませんでした。
この出来事を通勤時の出来事と重ねたトゥルーマンは、自分の周りで何かおかしなことが起きているのではないかと疑い始めます。
トゥルーマンはシルビアがフィジー島にいると聞いていたので、真偽を確かめるために出向こうとしますが、家族に反対されてしまいました。
それもそのはず。
実は、トゥルーマンの生活は24時間態勢で生中継され、全世界で放送されていました。
生まれた時から島中の監視カメラで撮影されており、家族や妻、友人、島中の人々さえ番組のために用意された俳優なのです。
トゥルーマンの人生は、全てがこうして作られたものなのでした。
深まる疑念
トゥルーマンは妻のメリル(ローラ・リニー)や友人のマーロン(ノア・エメリッヒ)が普段会話の中で商品の説明や宣伝のような文句を言うこと(=CM代わりの演出)を不思議に思います。
さらに、アルバムを見ていると、結婚写真に写るメリルが指をクロスさせていること(=嘘をついても罰が当たらないように祈るポーズ)に気付き、疑いを深めていきます。
やがて不審感を募らせたトゥルーマンはメリルを連れて町から抜け出そうとしますが、狙ったように渋滞に巻き込まれたり、事故が起きたりと、逃げ道を絶たれてしまいます。
これらはもちろん番組側が町からトゥルーマンを出さないために行っている工作です。
その後、町からの脱出失敗に落ち込むトゥルーマンのために、番組は死んだはずの父親との感動の再会を演出しました。
しかし、トゥルーマンは身の回りで起こるタイミングが良すぎる出来事の数々はやはりおかしいんだと気づき、誰にも言わずにある計画を実行するのでした。
ある日、眠っているトゥルーマンの映像を流していた番組スタッフは、あまりに動かないトゥルーマンを不思議に思います。
視聴者も異変に気づき心配し始めた頃、番組側は友人役であるマーロンに確認しに行かせました。
すると、いびきをかいて眠っていたのがトゥルーマンではなく人形だったことが発覚。
トゥルーマンは見事に番組や視聴者を欺き、逃走したのでした。
平凡だったはずの毎日を捨てて…
番組プロデューサーのクリストフ(エド・ハリス)は、慌ててトゥルーマンの捜索を始めます。
製作側のスタッフだけでなく、島中の俳優たちも総動員で探しますが、なかなか見つかりません。
島自体が巨大なセットであるため、いなくなることなどありえないはずなのに…。
皆が固唾を飲んで見守る中、クリストフはついに気がつきます。
「海だ!」
水恐怖症のトゥルーマンは勇気を出してボートで海に出ていました。
クリストフはトゥルーマンを引き返させるために天候を悪化させ、嵐や稲妻を起こします。
しかし、トゥルーマンはボートが転覆しても諦めず進み続け、いよいよ巨大なセットの端に辿り着きました。
トゥルーマンが憧れていた海の向こうは、空が描かれただけの壁だったのです。
セットの外に出ようとするトゥルーマンに、クリストフは放送室から語りかけます。
「君はテレビのスターだ、何か言えよ」と。
生まれてからずっとトゥルーマンを見てきたクリストフは、トゥルーマンが出て行くわけないと信じていました。
しかし、クリストフはこう答えます。
「会えない時のために、こんにちはとこんばんは!」
いつもの調子でそう言うと、トゥルーマンはドアの向こうの、外の世界へと踏み出しました。
視聴者は新たな世界に旅立つトゥルーマンの姿に感動し、拍手喝采。
次の瞬間には、他のテレビ番組に興味が移っているのでした。
【ネタバレ】『トゥルーマン・ショー』感想・考察
クリストフという“神”との戦い
トゥルーマンが暮らす町は巨大なドームの中に作られたセット。
太陽や月も用意され、天候すら操ることができる大掛かりなもので、もはや外界と変わりありません。
とはいえ、そこは屋内。
urara
トゥルーマンだけでなく、トゥルーマンの周囲にいる役者たちも30年間同じように過ごしていたと思うと、本当に現実味のない設定です。
それなのに、トゥルーマンの生活はどうしてもリアルに感じてしまい、「自分が同じ立場だったら気が付かないかも…ということは、今生きている世界が屋内だとしても…」と妄想してしまう怖さが今作にはあります。
そして、もう一つ怖いことと言えば、気候の変動や人々の行動が番組プロデューサー・クリストフの一声で簡単に変化するということ。
当たり前のことですが、自然現象や他人の感情に介入できないのはこの世の摂理。
でも、トゥルーマンの暮らしてきた世界では、人の手で変えられてしまうのです。
トゥルーマンが脱出を目指すシーンがとてもわかりやすいのですが、突然の大渋滞、通行止め、挙げ句の果てには嵐を起こし、トゥルーマンは大波に飲まれてしまいます。
このシーンでは「トゥルーマンを殺すつもりか?!」という台詞も登場しますが本当にその通りで、最悪の場合死んでしまってもおかしくないようなことすらクリストフの意のままです。
urara
ラストシーンでトゥルーマンは、クリストフが神のように存在するこの世界から出て行くことを決め、今まで一度も出たことがなかった新たな世界へと旅立ちます。
旅立った先は、私たちが暮らしている現実の世界。
自然を操ろうとするシステムや効率重視の機械化、そして人工知能の進化など、人々の役に立ち、生活を豊かにするための技術は日々発展しています。
しかし、その技術をあまりに行使してしまうと、トゥルーマンが元いた世界と変わらなくなってしまう可能性もあります。
urara
過剰な科学技術の進歩は、人々の幸せを狂わせるかもしれませんね。
リアリティー・ショーの台本ありなし論争
トゥルーマンの人生は、リアリティー・ショーとしてテレビで放送されていました。
そうして全世界に見守られてきたトゥルーマンだけが、その事実を知りませんでした。
urara
例えば、ドッキリやモニタリング系の企画です。
ターゲットがいて、仕掛け人がいて、視聴者がいる。
この構図は非常に多いのですが、あまりにできすぎていると、ある論争が起きがちです。
それが“本当は台本があるのでは?”というものです。
近年はこの論争が起こることを懸念してか、“リアリティー風番組”も増えてきているように思います。
リアリティー風番組は台本があると公言したうえで隠し撮りをしているような作りになっていて、主に恋愛ドキュメンタリー系に多く見られます。
台本があると言われているのにもかかわらず、リアリティー・ショーとして成り立っていることからわかるのは、視聴者は人の生活を覗き見ている感覚や、自分と同じような一般人の隠された生活に興味があるということです。
ただ、それはもちろん娯楽だから、他人事だから楽しめています。
urara
物語のラストでトゥルーマンがセットの出口から出て行く時、「会えない時のために、こんにちはとこんばんは!」と笑顔でいつも通りの挨拶をします。
これに視聴者の多くは感動していました。
たくさんの拍手も送られました。
しかし、次の瞬間には他の番組のことに気持ちが移っていました。
これは劇中のことだけではないと思います。
urara
台本があるかどうかと論争を繰り広げることすら、娯楽の一部なのです。
他人事だから手放しで楽しんで好き勝手なことを言える…。
そんなリアリティー・ショーを楽しむ視聴者へのアンチ・テーゼも含んだストーリーに思えます。
『トゥルーマン・ショー』まとめ
いかがだったでしょうか。
人生で一度は観たい映画との呼び声も高い『トゥルーマン・ショー』。
ジム・キャリーの愉快でシリアスな演技、そして考えさせられるストーリーにハマってみては?
- 時代を超えて愛されるダーク・コメディ
- ジム・キャリーの演技に惹き込まれる
- リアリティー・ショーへの見方が変わってしまう作品