「完璧なエンディング」だった『トイ・ストーリー3』から9年。
ウッディたちがスクリーンに帰って来た!
新しい冒険の始まり、そしてラストにウッディが下す決断とは!?
- 傑作と言われる『トイ・ストーリー3』の続編。意志を持つおもちゃたちの本当の幸せとは何かを、観客に問いかける作品に仕上がっています。
- 新しく仲間入りするキャラクターは、先割れスプーンで作ったちょっとおバカで可愛いフォーキーを筆頭に、みんな魅力一杯。そして『トイ・ストーリー3』ではいなかったボー・ピープが再登場。
- 『トイ・ストーリー4』は「おもちゃたち」の物語というよりも「ウッディ」の物語。
それではさっそく『トイ・ストーリー4』のレビューをしたいと思います。
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目次
『トイ・ストーリー4』作品情報
作品名 | トイ・ストーリー4 |
公開日 | 2019年7月12日 |
上映時間 | 100分 |
監督 | ジョシュ・クーリー |
脚本 | ステファニー・フォルサム アンドリュー・スタントン |
声優 | トム・ハンクス ティム・アレン アニー・ポッツ トニー・ヘイル キーガン=マイケル・キー ジョーダン・ピール クリスティーナ・ヘンドリックス |
音楽 | ランディ・ニューマン |
【ネタバレ】『トイ・ストーリー4』あらすじ・感想
ますます進化した映像技術。おもちゃたちの質感はもちろんのこと、移動遊園地の美しさや雨のシーンのリアルさは絶品
『トイ・ストーリー』が生まれて、すでに四半世紀。
映像技術の進歩はすさまじく、近年のピクサー作品も見るたびに感嘆のため息をもらしていたわけですが。
今回はまた、一段上のレベルにやってきたなあと感動して、それだけで泣きそうになるレベルです。
ウッディやバズたちのお馴染みの仲間はもちろんのこと、今回の新キャラクターである、ぬいぐるみのダッキーとバニー。
ふわふわ、もふもふ感がたまりません。
フォーキーの「手」の部分であるモールも、再現率高すぎです。ピクサー恐るべし。
久し振りに登場したボー・ピープと羊たちの、陶器の硬質感。これも素晴らしい。
まあ、見ながら「あれ、スカート…」とか「陶器なのに動き滑らか過ぎじゃ…」とふと思いもしましたが、まあ、それは置いておいて。
ボーというキャラクターの外見は以前の方が好きなんですが、技術的には手放しで称賛したい。それくらいの絶妙さです。
また、冒頭のウッディとボーの9年前の別れのシーン。
この時の側溝の水の流れや、大降りの雨。
まさに実写と見間違うレベル。
ここまで表現されると、作品への没入感も増すというものです。
何より、移動遊園地をウッディとボーが見下ろすシーンの、美しさと言ったら。
ピクサーは『リメンバー・ミー』でも、映像美にうっとりさせてくれましたが、今作はまた違う美しさ、素晴らしさを見せてくれます。
この先どこまで進化していくのか。
今から新作『オンワード』が見られる時が楽しみでなりません。
新キャラクターであるおもちゃたちは、技術の進歩で造形もリアルでばっちり
新キャラクターがメインで活躍してくれる分、今回は残念ながらウッディ、ボー、バズ以外の旧キャラクターは、あまり出番がありません。
ファンとしては、とても寂しい。
さて、そんなおもちゃたちの中で、今回初めて持ち主に作り出されたフォーキーが登場します。
ゴミ箱に捨てられていた先割れスプーン、アイスバーの棒、モールで作られたフォーキー。
予告で見た時は、これは可愛いのか?と、何とも不思議な気持にさせてくれるキャラでしたが、ウッディにとっては重要な存在でした。
子供はそうやって、自分でおもちゃを作るよね、とボニーがフォーキーを作る場面はしみじみとしてしまいました。
もふもふで抱きしめたくなるダッキー&バニーは、妄想することは過激でシュール、しかしつい笑ってしまうような、憎めないぬいぐるみたち。今作ウッディの手助けをしてくれます。
映画鑑賞後は、ぬいぐるみが欲しくなるかも。いい年をして、私も欲しくなりました。
昔のバズを思い出さなくもない、デューク・カブーン。
字幕ではキアヌ・リーブスが声を当ててます。
過去のトラウマを乗り越えるなど、 おもしろキャラのわりには熱くていい男なんですが、でもやっぱりコメディキャラ、という立ち位置で最高です。
ボーと行動を共にしている、小さな人形ギグルも可愛いです。
あの小柄な身体を生かしたシーンを、せっかくなのでもっと観たかったですね。
そして今回の悪役的存在、ギャビー・ギャビー。
アンティークショップのガラス棚に飾られた人形です。
お高いんじゃないですか、と訊きたくなる女の子。
もっとも、彼女がウッディのボイスボックスを狙う理由が、子供に選んでもらいたい、という切実な想いからきているとわかると同情してしまうような背景があるおもちゃです。
彼女の人生、というか、おもちゃ生を考えると胸が痛みます。
なのでウッディの決断の一つも、わからなくもない。
わからなくもないけど、すんなり納得できない、と厄介なファン(=私)の厄介な感情を生むキャラクターなのです。
ギャビー・ギャビーと一緒にいて、彼女の命令を聞く腹話術人形のベンソンさんたちは、まさにホラー。
顔も怖い、動きも怖い、場所も不気味。
今作がずっと、すかっと美しく晴れた青空の下ではなく、どこは薄暗かったり夜だったりするからか、このベンソンさんたちがハマるハマる。
夜道では会いたくないし、階段や廊下にいても怖い。
でもベンソンさんたちの未来は、気になってます。
幸せになっているといいなあ。多分悪い人たちではない、はず。
ただし…とにかく、色々怖いんです。見た目や動きが。
幼い子供さんと鑑賞する親御さんには、注意喚起をしたいところ。
しかし重ねて言いますが、旧おもちゃたちの出番がやはり少なすぎませんかね、ピクサーさん。
大好きなリトル・グリーン・メンたちの活躍が見たかった。
『トイ・ストーリー3』でメインのおもちゃたち、それぞれに見せ場があったことを考えると、この点は寂しすぎます。
『トイ・ストーリー4』は「おもちゃ」の物語から「ウッディ」の物語へ。
『トイ・ストーリー3』は、シリーズの完璧すぎるエンディングを観せてくれた、まさに傑作でした。
シリーズ1から3作を通して描かれた、アンディのお気に入りNo.1だったカウボーイ人形・ウッディの成長、仲間たちとの友情や絆。
そして『トイ・ストーリー3』では、大学生になったアンディとのお別れ。
アンディからおもちゃを譲られたボニーとの新生活が始まって、物語は幕を閉じました。
物語のクライマックスでもある、アンディが最後にとボニーとおもちゃで遊ぶシーン、旅立つアンディをおもちゃたちが見送るシーン。
涙腺が崩壊すること間違いなしの、最高に優しくて切なく、温かいシーンだったわけですが、ピクサーはこの「完璧なエンディング」の続きを世に送り出してきました。
正直あそこまで綺麗に終わった、まさにピクサーの最高傑作とも言える『トイ・ストーリー3』の後に、続編は作らない方が良くないかと製作決定の一報を聞いてから思っていました。
要するに、私はあの『トイ・ストーリー3』のエンディングが、本当に本当に大好きで、あれほど素晴らしいラストは他にはちょっと見当たらないんじゃないか、とまで思っているからです。
大人への一歩を踏み出し旅立っていくアンディを、子供の世界でこれからも生きていくウッディが見送る。
観客をこれでもかと泣かせて感動させた後には、笑えるシーンを持って来て幸せな気持ちで劇場を後にさせるという、とんでもない脚本。
絶賛しかなかったあの時から、はや9年。
『トイ・ストーリー4』は世界中で愛され続けるおもちゃの物語を、『トイ・ストーリー3』の時点では想像もしなかった方向で打ち出してきました。
映画はアンディとウッディの幸せだった頃、ウッディとボーとの別れのシーンから始まります。
他の家へもらわれていくボーと一緒に行くことより、アンディのおもちゃでいることを選ぶウッディ。初っ端から泣けます。
そして、時は流れて現在。
アンディのお気に入りNo.1だったウッディも、『トイ・ストーリー4』では持ち主であるボニーに遊んでもらえなくなり、寂しさや悲しみを覚えています。
しかし、おもちゃたちのリーダー的存在であるウッディは内気なボニーを助け、幼稚園で先割れスプーンを使って自作のおもちゃ・フォーキーを作らせます。
おかげでボニーは明るくなりますが、ウッディはますますボニーに忘れられた存在に。
ウッディは、おもちゃは子供たちに遊んでもらうことが使命で一番の幸せ、と思っています。
しかし、子供はやがて成長し、おもちゃで遊ばなくなっていくというのが現実。
遊んでもらえなくなった自我を持つウッディが、悲しみや寂しさを覚えるのも当然。
おもちゃの世界の物語、ある意味理想の夢の世界に、ガツンと現実を突きつけて来るわけです。
子供は移り気。そんなことは重々承知しています。
しかしボニーは、アンディとの約束をもう忘れたの?と冒頭から寂しくなると同時に、驚かされてしまいます。
おかしい、短編ではウッディたちはみんな、幸せに今まで通り過ごしていたのに。
何ヶ月も経っていないのにいったい何が?とすでにここから、プチパニックですよ。
このシリーズ初めて「持ち主に作られたおもちゃ」であるフォーキーは自分をゴミだと思っていて、何度もゴミ箱に自ら入ろうとして、ウッディが必死に止める羽目に。
そしてついに旅行先で、ボニーの元からフォーキーは逃げ出してしまい、彼を連れ戻すためウッディは後を追います。
フォーキーを見つけボニーの元へ戻ろうとするウッディですが、何と長年離れ離れになっていたボー・ピープと再会。
そこから新たなトラブルに巻き込まれていきます。
ウッディはボニーのため、と必死にフォーキーをボニーの元へ連れて帰ろうとします。持ち主であるボニーのために、です。
けれどボニーは、一度もウッディを呼びません。いないことも気にしない。これがあまりにも辛い。
まさか『トイ・ストーリー』で、ここまでやりきれない思いをさせられるとは思ってもみませんでした。
ウッディは再会したボーの手を借りて、アンティークショップにいるおもちゃギャビー・ギャビーに囚われたフォーキーを助けようと奮闘します。
バズも合流し、新しく知り合ったおもちゃたちの助けもありますが、結局救出ミッションは失敗。
とにかくフォーキーを助けようとするウッディは、ボーたちと意見の食い違いがあり、一人アンティークショップに戻って行きます。
ここでバズがウッディから離れるのも、今までの成長を見ていると不自然なんですよね。
バズはウッディを1人になんてしない。絶対一緒に行くはず。
初期のバズに戻ったみたいで、とっても寂しくなりました。
ギャビー・ギャビーは、ウッディの持つボイスボックスを狙っていて、そのためにフォーキーを人質(というかおもちゃ質?)に取っているんですが、そもそもギャビー・ギャビーは自分の壊れたボイスボックスが直れば、子供たちに選ばれると思っているアンティーク人形。
完全な悪役、というわけではなく、同情する余地も大いにあります。
だからこそ、ウッディは大事なボイスボックスを、何とギャビー・ギャビーに譲ってしまう展開になるんです。
もうこの辺りで、ウッディがなぜここまで自分を犠牲をにするのかと、違う意味で泣けてきて。
そしてここで、とても驚く事件が起きます。
ウッディたちと合流するため、仲間たちがボニー一家のキャンピングカーをある意味乗っ取るんです。
カーナビの真似をして話すとか、ええええ?なんですけど。
何せアクセルやブレーキまで、操作してしまうんですよ。
移動遊園地内で、車の操作が利かなくなる、これは駄目でしょう。
『ファインディング・ドリー』で車を運転された時も、やりすぎ感は拭えませんでしたが。
そう言えば脚本に同じお名前がありますね。何だか納得。
さて、そんな事件もありつつ、ギャビー・ギャビーもとある女の子と、運命の出会いを果たします。
いいシーンです。思わず、ほろりとしました。
繰り返しますが、感動するシーンです。
でも、ギャビー・ギャビーは多分お高いアンティーク人形で、それを子供が拾った場合、やはり親は一度は拾得物として届けるべき…などど、現実に当てはめたことは、やはり言ってはいけないんでしょうね(笑)
つまり、そこでアンティークショップの店長のおばあさんが来て、その女の子に正式に譲るなんて場面があれば、なお良かったと思ってしまったのです。惜しい。
ラストの賛否が分かれるのは必然のことかも
さて。これからがクライマックス。
なんとウッディは、ボニーの元に戻らずボーと一緒に生きていく、持ち主のいない迷子のおもちゃになる道を選ぶのです。
冒頭のアンディとの思い出で泣き、途中のウッディの扱いに泣き、寝ているボニーに抱きしめられたウッディに泣き、ボイスボックスを譲るウッディで泣いた私、まさに呆然自失の状態に。
予感はあったけれど、どうか外れてほしかった。今もそう思います。
仲間たちとのお別れシーン、泣きますよ。
泣きますけど、ショックの涙です。
別れが思ったよりあっさりとか、無限の彼方へさあ行こうって言わせるのは反則とか、ウッディとバズのコンビがもう観られなくなるなんてとか、そりゃもう感情がぐちゃぐちゃにされます。
ここが今作、賛否分かれる評価になる原因のひとつだと思います。
今までの『トイ・ストーリー』は自我のあるおもちゃが、いつも持ち主の元に帰ろうと一緒にいようとしました。
子供たちと一緒にいることが、おもちゃの幸せだったのです。
一貫して根底に、そんな理念がありました。
しかしそれには、おもちゃをひとつの生命体と見ると、おもちゃたちの自己犠牲、献身があって成り立つ関係なわけで。
結局、おもちゃにも命があると描いた物語が行き着く問題は、自我のある生命は他人に決められた生き方を歩むだけではなく、自らの生きる道を選ぶ自由がなくてはいけないのでは、という結論になったのかと。
ウッディは今まで仲間のため、アンディのため、いつも一生懸命でした。
自らの運命を受け入れ、子供の幸せを思い、持ち主や仲間を愛し。
1作目から大きく成長していますし、みんなの頼れるリーダーになりました。
そんなウッディに、自分の生きたいようにこれからは生きていいよ、というのが『トイ・ストーリー4』。
ウッディの大いなる決断を祝福する作品なんです。
ウッディが「特定の子供」のためだけのおもちゃから進化する、「心の声」を聞いて現状から一歩踏み出す勇気を見せてくれる、そんな物語。
今の時代に合うテーマを、大人も子供も楽しめるコンテンツで描いた、エンターテイメント映画の大作。
しかし頭でわかっていても、感情が追いつかない、厄介なファンの私。
ラストを受け入れるのに三日かかって…も無理でした。
多分まだまだ、きっと無理(笑)
おそらくは、ボニーの描き方ひとつで、かなり違っていたと思うんです。
ボニーがウッディを一度でも名前で呼ぶなり、私のカウボーイと言ってくれれば。
ラストで、ウッディがいなくなったことに気づいてくれれば。
そうすれば、私もすとんと飲み込めたかもしれない。
今作のボニーだと、『トイ・ストーリー3』に戻って、アンディに「この子に渡さないで、大学に持って行って」と訴えたいと思ってしまうんです。
それに、ボニーに大切にされたままのウッディが、それでもボニーから離れ、自分がアンディやボニーと一緒にいて幸せだったからこそ、他のおもちゃたちに持ち主をみつける生き方を選ぶ方が、なお良かったのでは。
そんなことをグルグル考え続け、最終的のはランドセルCMを見て、泣きそうになりましたよ…。
あのCMは、とっても優しい世界です。厄介なファンにとっては。
心温まりすぎです。求めていた世界線なんです。
でも現実では、あんな世界はもう見られないんです(泣)
これが泣かずにいられようか、てなものです。
しかし、ここでまた厄介なのは、今回のテーマが決して間違ったものではなく、子供たちのみならず、大人にとって大切なことのひとつではある、ということ。
それを伝えるのに人気コンテンツを使うのは、それだけたくさんの人に訴えかけることができ、大変に効果的。
ピクサーというか、親会社ディズニーとして、時代に合わせたメッセージを発信するのは、企業としても当然の姿勢。
最近のディズニー傘下の映画は、女性の自立、多様性、現状からの脱却などを、一貫して描いています。
しかしそれを「おもちゃの物語」にも適応させようとして、そのせいでシリーズの前作までで描いてきたことと齟齬が生まれてしまったように感じられます。
そして、まだまだ小さな子供たちの求めるものと、乖離してしまったのでは、と。
少し辛口になりますが、結論ありきの物語で、ウッディを旅立たせるため、これでもかとウッディを冷遇したの?と言いたくなる展開です。
だから、ボニーの性格づけも変わり、ボニー父もウッディを踏むの?と。しかも二度も。
製作、というよりピクサーのゴタゴタは聞いてます。
監督も変わり、脚本も当初から大幅な変更があったことも。
降板した脚本家の、哲学の相違という言葉も気になります。
だからでしょう、今までとは作品の根底に流れるものが、どうにも違うように感じるのです。
「トイ」のストーリーで、ウッディというキャラクターを使って「人間社会」をテーマに描く。
そのことには、意義があると思います。
悩んでいる人の背中を押す、素晴らしいラストでもあるのでしょう。
だからこそ、もっと丁寧にキャラクターを描いて欲しかったと、一個人としては残念に思わずにはいられません。
映像美は素晴らしく、笑えて、泣けるのも確か。
キャラクターが亡くなったわけでもなく、これほど見終わって感情が揺さぶられるのも、やはり『トイ・ストーリー』ならでは。
感動して泣くか、悲しくて泣くか。
観る方の中での「おもちゃ」の意義や存在、誰に感情移入してしまうかで、感想ががらりと変わりそうな映画。
それが『トイ・ストーリー4』です。
涙もろい方は、ハンカチの用意を忘れずに!
ちなみに私は『トイ・ストーリー3』で、映画館で見知らぬ子供たちにガン見されるレベルで泣きましたが、今回はそこまでではないものの、ハンドタオルは必要なレベルで終わりました。
つまり、どのみち泣けます。
最後にひとつだけ望むのは、アンディがウッディがいなくなったことを知るのが、少しでも遅くありますように。
できれば知らずにいてほしい。ずっとずっと先まで。
『トイ・ストーリー4』まとめ
Celebrate the 4th with some old friends. See the whole gang in theaters now! #ToyStory4 pic.twitter.com/Qs8GFYsxPH
— Toy Story 4 (@toystory) 2019年7月4日
以上、ここまで映画『トイ・ストーリー4』について紹介させていただきました。
- ボニー父、お前だけは私は絶対許さない。絶対にだ。
- これで仲間たちが離れ離れなんて嫌だよ、と私の中に根強く残る子供部分が駄々をこねるので、続編は作って下さいお願いしますピクサー様。
- これほど人によって評価が違いそうな映画も珍しいかも。なのでこれは自分の目で確かめてみるべし!
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