1967年に公開され、ダスティン・ホフマンをスターダムに押し上げた伝説の映画が4Kデジタルリマスター版として復活しました。
美しい映像と音楽、リアルな人間のダメなところの描写、そして有名なラストシーンなど見どころしかない傑作です。
- 恋愛映画かと思って見ると度肝を抜かれる正しくない人々の物語
- サイモン&ガーファンクルの美しい音楽
- 解釈の分かれるラスト
それではさっそく不朽の名作『卒業』をレビューしたいと思います。
目次
『卒業』作品情報
作品名 | 卒業 |
公開日 | 1968年6月8日 |
上映時間 | 105分 |
監督 | マイク・ニコルズ |
脚本 | バック・ヘンリー カルダー・ウィリンガム |
出演者 | ダスティン・ホフマン アン・バンクロフト キャサリン・ロス マーレイ・ハミルトン ウィリアム・ダニエルズ エリザベス・ウィルソン |
音楽 | ポール・サイモン デイヴ・グルーシン |
【ネタバレ】『卒業』あらすじ・感想
新しい時代を作ったアメリカンニューシネマの初期作
1967年は『俺たちに明日はない』と『卒業』というアメリカ映画史にとって転換点となる作品が公開された年です。
それまではハリウッドが倫理的に映画を自主規制し、エロもグロも反体制もない綺麗な映画だけを作っていたヘイズコードと呼ばれる規定があったのですが、それが撤廃された67年に公開されたのがこの2本。
両方とも社会現象的な映画となりました。
それまでに描かれていた漂白された世界観ではなく、セックスもバイオレンスも不道徳な人々も実際の現実と同じように存在するリアルな世界が描かれた映画です。
『俺たちに明日はない』は1930年代のボニー&クライドという実在の強盗カップルの物語を映画化し、反体制的なアウトローが大恐慌時代に民を搾取していた銀行を襲って民衆から英雄視され、そして最終的には権力側から抹殺されるという作品でした。
この映画は『明日に向って撃て!』や『ワイルドバンチ』『バニシング・ポイント』にも通じる無軌道な犯罪者たちの破滅の物語の系譜を作り出しました。
それまでハリウッドが避けてきていたアウトローたちを英雄的に描き、権力側や社会の大人たちを信用できない良くない存在として登場させ、そしてハッピーエンドでは終わらない、というスタイルは60年代後半~70年代中盤までのアメリカ映画の主流となったアメリカン・ニューシネマと呼ばれる映画群の基本パターンでした。
一方で今回に取り上げる『卒業』はどんな映画なのか。
本作の主人公ベンジャミンは犯罪者でもないし、劇中で死んだりもしません。
彼は大学に行って卒業したばかりで、将来はエリートになれる人間です。
しかし、この映画は紛れもなく若者がそれまでの良きこととされていたアメリカ人の人生に疑問符を突きつける、まさにアメリカン・ニューシネマ的な映画です。そしてハッピーエンドではありません。
ベンジャミンがエリートでありながら自分が何をしたいのか、何になりたいのか何もわからないまま大学を卒業してしまい、故郷に帰ってきて途方にくれているところから、本作『卒業』は始まります。
彼が地元の空港に降り立って自動スロープを突っ立ってゆっくりと進む姿に、有名なサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」という曲が流れるオープニングから退廃的なムードがビンビンに漂っています。
この曲も有名ですが、バラード調の雰囲気に対し、内容は「人間はみんな暗闇に囚われて誰も理解し合えていない」という歌詞。
これも主人公ベンジャミンの心情を表しています。
誰も自分のことなんてわかっていないし、自分も他人のことはわからない、大人は信用できない、何にもなりたくない。
これは当時ベトナム戦争真っただ中で、アメリカの若者たちの間に社会や大人に従わず、キリスト教も信じず、伝統的な生き方もせず、自由に生きていくというヒッピームーブメントが起きていたのも関係していたのでしょう。
ベンジャミンはその時代の若者を集約した存在と言えます。
また、ベンジャミンは大人になりたくないどころか、子供、いや胎児に戻って何にも考えなくてよかった時代に返りたいという願望を描いているようにさえ見えます。
彼がプールで水に潜るのをカメラが同じく水に飛び込んで追いかける印象的なショットがありますが、これは羊水に戻りたいというベンジャミンの気持ちを映像で表現しています。
水中眼鏡越しに親の顔を見るというカットもあり、現実を他人事のように見ていることも表しています。
本作は、そんな彼がステレオタイプ的な生き方を捨てる決意をし、自分で進む道を決めるまでの物語です。
とは言え、その道が正解のようにも見えないのがアメリカン・ニューシネマイズムと言えますが。
ドロドロすぎるドラマ
本作は、主人公のベンジャミンが花嫁を連れ去るあまりにも有名なラストだけが独り歩きして有名になっているため、ラブロマンスの名作と思っている人が多いのではないでしょうか。
しかし、そう思って観ていると、ベンジャミンがいきなり地元の卒業記念パーティーで父親の知り合いの奥さんであるミセス・ロビンソンと出会って誘惑され、最初はちょっと拒むもののすぐに肉体関係になってしまい、ズルズルと毎晩寝るという展開になってしまうので意表を突かれます。
ちなみに、中年女性のミセス・ロビンソンを演じているのはアン・バンクロフト。当時はまだ35歳でしたが、それ以上に円熟した色気がムンムンです。
そのままずっと人目を忍んで何度も会う2人。
中年女性と、恐らくそれまで童貞だった青年の爛れた性愛。
ミセス・ロビンソンはかつて芸術家志望だったものの子供が生まれたことで結婚して夢を諦め、田舎の主婦として鬱屈した日々を送っており、若いベンジャミンの精気を吸っているかのようです。
「え?“卒業”ってそういう意味?」
「ラストで一緒に逃げる花嫁はどこに?」
と、初めて観た人は思うでしょう。
ちなみに主人公とラストで逃げる同年代の美女ヒロインは、映画が始まって1時間くらいでようやく出てきます。
演じるキャサリン・ロスの可憐さも相まって、みんなこのヒロインの方が絶対いいじゃんと思うことだと思います。
ただ問題は、このキャサリン・ロス演じるエレインの正体は、ミセス・ロビンソンの娘だということ。
ベンジャミンとは幼馴染なのですが、彼は彼女の母親と寝ているにもかかわらず、エレインが一途に自分を想っていたことを知ると、ころっと彼女と付き合い始めます。
おいおいおい…と思っていると、ミセス・ロビンソンがやってきて「あんたみたいな人と娘が付き合うことは許せない。別れないなら私との関係をバラす」と脅してくるというとんでもない展開に。
基本的に正しい人が出てこないのですが、その中でもベンジャミンは頭ひとつ抜けてクソなので、見ているこっちとしては「ロビンソンさん、あんたも大概だけどその気持ちはわかるよ」と彼女に肩入れしてしまいます。
なにせ将来何になりたいとも考えてないうえに、人妻と肉体関係を平気で結んで、そのうえその娘と付き合うってとんでもないですよね。
しかし先ほども述べた通り、倫理的に正しくない物語を堂々とやっているからこそ、本作は画期的だったわけです。
主人公は身勝手で、彼が経験する苦労も全部自業自得です。
しかし、止むを得ない苦悩よりも、自業自得のものが多いのが現実の人間というもの。
それまでハリウッドがあまり見せていなかった人間の弱くて悪い部分に焦点を当てること自体が、本作の目的なのです。
そしてベンジャミンは、仕方なくエレインに彼女の母親と寝ていることを告白し、当然のことながら軽蔑されフラれます。
しかし、ベンジャミンは反省もそこそこに、やっぱりエレインに会いたいとストーカー化。
そして彼女が親の勧めで別の男とお見合い結婚しようとしていることを知り、居ても立ってもいられなくて式場に向かいます。
正しくなくても彼の虚無感を埋められるのはエレインしかいないので、ある意味仕方がないことです。
そして、そのまま有名なラストの教会の場面へ。
ベンジャミンは今まさに式が行われている教会のガラス窓をバンバン叩いて「エレイ~ン!」と叫び、エレインもそれを見て「べ~ン!」と叫び返します。
そして、ベンジャミンは教会の十字架を折って、それで止めに入る人間を蹴散らして、エレインを連れて式場を飛び出します。
まぁロマンティックといえばロマンティックですが、どんだけ迷惑かけてんだと突っ込みたくもなりますよね(笑)
ここで使う武器がキリスト教のシンボル十字架というのも、それまでのアメリカの保守社会へのカウンター的な意味合いがあるでしょう。
そしてベンと花嫁衣装のままのエレインは、バスに飛び乗って去って行ってしまいます。
これが名作と名高い『卒業』の大まかなプロットです。
ラストの解釈
いかがでしょうか、正直この話にストレートに感動したり、キュンキュンできる人は少ないのではないかと思います。
このモヤモヤ感。主人公がだいぶ正しくありません。
しかし、このモヤモヤした終わり自体が作り手の目指したもの。
正しくない若者が、それでも自分で道を選んで突っ走ります。
彼は間違っているのですが、それでも無気力だった前半の自分を「卒業」しているのです。
私がこの映画が好きなのは、主人公が正しくない人だからです。
だからこそ感情移入してしまう。自分もそういう部分がないとは言えないですからね。
ちなみに、最後に2人は心が通じ合い逃げ仰せたように思えますが、ラスト数カットでその印象は変わります。
乗り込んだバスには、なぜか老人ばかり。
みんな主人公たちを怪訝な目で見ます。
最初は笑顔だった2人も徐々に不安げな顔になります。
そしてまたも「サウンド・オブ・サイレンス」が流れ、ブロロロとキレの悪い音を立ててバスは出発していきます。
バスの中の老人たちは主人公たちの未来を暗示しており、バスの向かう先は前途多難なこれからの人生のように見えます。
主人公たちが不安な顔になるのも当然です。
その後の彼らのことは私たちが想像するしかないですが、どう考えてもうまくいくとは思えません。
なんなら次のバス停で降りて、教会に謝りに戻りに行ったかもしれません(笑)
この映画は、そんな苦い後味で終わります。だからこそ心に残るんですけどね。
そして若者の漠然とした不安や、大人になりたくない感情は今も普遍的だと思うので、本作は古びず今後も語り継がれていくのではないでしょうか。
今回、せっかく4Kの美しい映像にリマスターされているので、ぜひご覧ください。
『卒業』あらすじ・ネタバレ感想まとめ
以上、ここまで『卒業』について紹介させていただきました。
- こじらせて身勝手な若者の物語
- 恋愛映画ではなく、苦い青春の物語
- 有名なラストも本編を見れば全く解釈が変わります