チェコで活動するドキュメンタリー作家の2人が監督した『SNS-少女たちの10日間-』は、公開前から本国では物議を醸した話題作です。
本物そっくりに作られた子供部屋のセットのなかで、少女に見える俳優3人(実際は18歳以上)が、ソーシャルメディアにログインすると、そこには想像以上に危険な世界が待ち受けていました。
子どもを狙ったネット上の闇について、一切の妥協なく描いた本作は、子どもを持つ親ならばもちろんのこと、子どもがいなくてもインターネットを使うのならば、一度は見ていただきたい1本です。
- ドキュメンタリーならではの緊張感
- 目を背けてはいけないSNSの闇を取り上げる
- 暴き出した真実によって警察も動かした問題作
それでは『SNS-少女たちの10日間-』をネタバレありでレビューします。
目次
映画『SNS-少女たちの10日間-』作品情報
作品名 | SNS-少女たちの10日間- |
公開日 | 2021年4月23日 |
上映時間 | 104分 |
監督 | バーラ・ハルポバー ビート・クルサーク |
原案 | ビート・クルサーク |
出演者 | テレザ・チェジュカー アネジュカ・ピタルトヴァー サビナ・ドロウハー |
【ネタバレ】映画『SNS-少女たちの10日間-』あらすじ・感想
ネットを使うなら、誰しもが考流べき問題を取り上げた
『SNS-少女たちの10日間-』はチェコで作られたドキュメンタリー作品ではありますが、インターネットと未成年の問題は、チェコに限ったことではありません。
もはや、世界共通の問題事項といえ、多くの親たちが自分たちの時代にはなかったものだけに頭を抱えているのが事実です。
スマートフォンの普及に伴い、日本でも子どもがネットを経由してトラブルに巻き込まれる事件は多くなりました。
その中でも、特にSNSや出会い系サイトなどを通じて未成年が被害にあった事件は、センセーショナルに報道され、多くの人々の関心を引き寄せます。
斎藤あやめ
映画『SNS-少女たちの10日間-』では、その「結果」に至るまでの過程を子ども側の目線で描かれています。
2000年以降に生まれたジェネレーションZの子供たちにとって、物心ついたときから、身近な存在であるインターネットの社会。
彼らは、それ以前に生まれた人間よりも抵抗なく、そして、たやすくその社会に入り込んでしまうのです。
そんな子どもたちを、自分の欲望処理のために利用しようとする大人の多さとその悪質な手口を、本作は誤魔化すことなく暴き出しています。
スクリーンに映るのは、マスメディアが決して伝えないことばかり。
斎藤あやめ
実験が始まって早々、偽の「少女」たちのアカウントに送られてくる申請の数の多さに、監督、スタッフ、そして少女役の俳優陣も驚きを隠せないシーンがあります。
「日本はロリコンが多くて、海外ではそうではない」というイメージを持っていると、劇中で「少女」たちに群がる大人の数に驚かされてしまうことでしょう。
日本であろうがなかろうが、子どもを性的な目で見る人間は世界中どこにでもいるということも、あらためて知ることができます。
インターネットが普及して、約25年。
斎藤あやめ
実験だと分かっていても緊張感走るやり取りの数々
『SNS-少女たちの10日間-』に登場する3人の「少女」たちは、オーディションで選ばれた18歳以上の俳優たちです。
斎藤あやめ
そんな彼女たちが、何人もの男性から送られてくる卑猥な写真、そして卑猥な会話の相手をしていくうちに、精神的に憔悴していく様子がスクリーン越しからも見て取れます。
いくら18歳以上の大人の女性といえども、劇中に出てくる写真やメッセージ、そして会話は、普通に受け流せられる内容でも量でもありません。
撮影には医師や弁護士が付き添い、彼女たちの心のケアは万全に行われていました。
それにもかかわらず、3人の俳優たち、そしてスタッフたちさえも次第に憔悴していきます。
斎藤あやめ
大人たちでさえ憔悴してしまう状況を、ちゃんと相談する相手もいない少女の身に起きてしまったとしたら?
おそらく、一人で抱え込んでしまうケースがほとんどでしょう。
そして、そんな少女たちの不安や無知を利用して、更なる要求を脅迫するかのように投げかける大人もいることでしょう。
思春期らしい好奇心から、ちょっとした冒険のつもりでソーシャルメディアで大人の男性と交流を持つ少女たちは、決して少なくはありません。
そのほとんどは、親に秘密で行われています。
好奇心からにしても、寂しさからにしても、いずれにせよ足を踏み入れてしまったネットの世界で、何かしらのトラブルに巻き込まれた時、真っ先に少女たち思うのは「親や周りの大人にバレたくない」ということです。
斎藤あやめ
こういったトラブルの一連の流れも映画のなかで描かれており、実験だとわかっているものの緊張感が漂うシーンとなっています。
下手なフィクション映画よりもドラマチックで面白い
『SNS-少女たちの10日間-』は、実に「見せ方」が上手いドキュメンタリー映画です。
ドキュメンタリー映画に、ありがちな中だるみや観客を置いてけぼりにしてしまうような演出はなく、緻密に計算されたストーリーがある映画のように観客を引き込んで離しません。
斎藤あやめ
劇中、要所要所でドラマチックな出来事やハプニングが起きます。
例えば「少女」たちにコンタクトを取ってきた男性が、スタッフの知人だったという事実、攻防戦のような「少女」と男性たちの会話、恐喝、そして歪んだ欲望を晒されることで「少女」たちが精神的に憔悴していく様子さえも、カメラは隠すことなく映し出していきます。
その一つ一つに切迫感があり、妙な緊張感を観客に抱かせると同時に、次に何が起きるのかを見たいという好奇心をも奮い立たせます。
斎藤あやめ
この映画で、印象的かつドラマチックなシーンの一つとして、大学生の青年の存在が挙げられます。
劇中で登場する男性たちの中で、唯一と言っていいほど「まともな男性」である彼との会話には、チャットでやり取りしていた「少女」役の俳優だけでなく、スタッフさえも救われ涙します。
そして、救われたのは彼らだけではありません。
斎藤あやめ
モザイクがかけられた奇妙な男性たちの姿、エフェクトの掛かった不快な声、欲望丸出しの会話、そして隠されているとはいえ性器の画像や自慰する画像などを度々目にして、観客も意外に精神的なダメージを受けています。
女性にいたっては、そんなダメージに加えて「男なんて、みんなこんな生き物なのか」という絶望にも近い気持ちを抱く人もいるかもしれません。
そんな観客のフラストレーションがまさに頂点になったタイミングで、その青年は登場します。
そのタイミングの良さゆえに、観客でさえも彼の言動にはひどく感動させられ、安堵してしまうのです。
斎藤あやめ
前述の通り、『SNS-少女たちの10日間-』では、未成年がいかにしてSNS上で性的被害に合っているかを映し出すだけでは終わりません。
ネットでやり取りをしていた男性たちと「少女」たちが、実際に出会うところまで密着しています。
待ち合わせ場所は、おしゃれなカフェ。
大衆の面前ということもあり、男性たちはネットのようにストレートな欲求を示してきません。
なかには、照れたような様子や落ち着かない様子を見せる男性もいます。
しかし、だんだんと慣れてくると耳を疑うような本音や欲求を平気で彼女たちに投げかけるのです。
ただ、本音を投げかけるのは男性たちだけではありません。
耐えられなくなった「少女」の一人も、一人の男性に対して激しい怒りをぶつけます。
その姿からは「少女」役の立場を忘れてしまっていることが分かります。
斎藤あやめ
映画のラストには、とある人物との対面、そして対立が出てきます。
この場面では「少女」たちだけでなく、監督やスタッフたちも登場し、その人物に映画撮影をしている旨など説明し、彼の言い分を聞き出そうとします。
斎藤あやめ
映画の冒頭からラストまで、ドラマチックな『SNS-少女たちの10日間-』。
赤裸々なシーンは多くありますが、ネットを使い始める前やスマホを持つ前の子どもたちにも見てもらいたい映画です。
ネット世界で出会うかもしれない危険性について学ぶのには、とても良い教材と言えます。
斎藤あやめ
映画『SNS-少女たちの10日間-』あらすじ・ネタバレ感想まとめ
以上、『SNS-少女たちの10日間-』をネタバレありでレビューしてきました。
- ネット社会の今だからこそ、見ておかなければいけない作品
- 未成年が歪んだ欲望の被害に遭うまでの過程を赤裸々に描き出す
- 映画の構成が素晴らしく、最後まで目が離せないドキュメンタリー映画