「世界一有名な探偵は誰か?」
そう聞かれたらほぼ異論なくシャーロック・ホームズの名前が挙がるのではないでしょうか。
シャーロック・ホームズは19世紀末から20世紀にかけて活躍した私立探偵です。
スコットランド出身の作家アーサー・コナン・ドイル(1859-1930)の創作した一連の推理小説の主人公で、誕生から一世紀以上経過した今も世界中で人気を誇る信じがたいほど息の長いコンテンツです。
派生した映像作品も山ほど制作されています。
2020年も9月23日よりナンシー・スプリンガーが創作したシャーロック・ホームズの20歳年下の妹を主人公にした『エノーラ・ホームズの事件簿』が配信中(Netflix)。
公開延期になったガイ・リッチー監督版の『シャーロック・ホームズ』シリーズ三作目(と言うのは微妙で監督はデクスター・フレッチャーに交替)も2021年には公開の予定です。
さて、そんなシャーロック・ホームズですが、元々どんな姿だったのか意外とご存知ない方も多いのではないでしょうか?
ホームズには熱狂的なファンも少なくないので、読者の方には釈迦に説法な方もいるかもしれません。
ニコ・トスカーニ
目次
シャーロック・ホームズとは何者か、小説・ドラマ・映画、モデルまで徹底解説!
シャーロック・ホームズという人物
シャーロック・ホームズシリーズはほぼすべての作品が、親友であり助手であるジョン・ワトソン医師の残した記録という体裁で書かれています。
二篇だけホームズ本人が語り手になっているエピソード(『ライオンのたてがみ』と『白面の兵士』)があり、前者では引退した姿のホームズが出てきます。
映像作品だとイアン・マッケランがホームズを演じた『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』(2015)は最晩年の姿が描かれています。
ちょっと脱線しましたが、1887年に発表された記念すべき一作目である『緋色の研究』(または『緋色の習作』とも訳される)も御多分に洩れずワトソンの視点で語られていますが、ワトソン視点でホームズはこんな風に描写されています。
- 身長は6フィート(およそ180cm)を超えている。非常に痩せているので、実際より背が高く見える。
- 肉の薄い鷲鼻。おかげで、彼は俊敏で、決断力のある人間に見える。
- 両手はいつもインクで汚れ、化学薬品のしみがついていたが、手先は恐ろしく器用。
- 文学、哲学、政治学の知識は皆無。
- コペルニクスの地動説も太陽系の仕組みも知らない。
- 毒物一般に精通しているが、園芸のことは知らない。
- 一目見ただけでどの場所の土であるか、当てることができる。
- 化学の知識――深い
- 解剖学の知識――正確だが、系統だったものではない。
- 今世紀に起きた凶悪犯罪はすべて、細かいところまで知っている。
- ヴァイオリンを上手に弾く。
- 棒術、ボクシング、剣術の達人。
- 英国の法律に関する実用的知識は豊か。
(小林司、東山あかね 訳から抜粋)
ニコ・トスカーニ
こういういかにもライトノベルや漫画に出てきそうなキャラクター設定は当時、何もドイルの作品に限ったものではありませんでした。
アンソニー・ホープ(1863-1933)が1894年に発表した『ゼンダ城の虜』などに登場するルドルフ・ラッセンディル男爵は武術の達人で五か国語を操り、勇敢な人物でもあります。
ヘンリー・ライダー・ハガード(1856-1925)が1885年に発表した『ソロモン王の洞窟』を初めとするシリーズに登場するアラン・クォーターメイン卿はもう少しひねくれていますが、切れ者で射撃の達人です。
19世紀のイギリスは好調な経済成長と義務教育導入による識字率の向上で通俗文学が大いに進化しましたが、これは今でいえば漫画雑誌が続々新規刊行され連載少年漫画が人気を博するようなものです。
ホームズやクオーターメインやラッセンディル男爵のようなキャラクターが登場するのは当然の流れと言えるでしょう。
ニコ・トスカーニ
現代の少年漫画が人気作になると簡単に終わらないように、当時の通俗文学も人気シリーズになると簡単に終われませんでした。
ホームズが悪の親玉であるジェームズ・モリアーティ教授と対決して生死不明になる『最後の事件』で、ドイルは本気でホームズのシリーズを終わらせるつもりでした。
ところが読者から抗議が殺到し、結局ドイルはホームズを復活させます。
ドイルの先輩であるハガードの生みだしたアラン・クォーターメインも『洞窟の女王』で死亡していますが、これに対しても読者から抗議が殺到。
ハガードは以降の作品でも回想などの形でクォーターメインを復活させています。
ニコ・トスカーニ
しかし、そこはやはり2世紀前の話だけあって、現代の少年漫画にはあるまじきところもあります。
ホームズがコカインを嗜む設定です。
後々ワトソンがやめさせたようですが、19世紀末当時コカインは危険性が十分理解されておらずハロッズ(ロンドンの老舗デパート)でも売られていたぐらいで、コカインをやるのは大して珍しい習慣でもなかったことは考慮すべきでしょう。
海を渡ったアメリカでも、当初のコカ・コーラ(ジョン・ペンバートンが1886年に発明)にはコカインの成分が含まれていました。
コカ・コーラのコカとはコカイン成分を含むコカノキの葉が原材料に使われていたことに由来します。
ニコ・トスカーニ
だだし、原典のホームズがそうだったように『エレメンタリー』のホームズもワトソンが説得してクスリの悪癖を止めさせています。
この世にはホームジアン、またはシャーロッキアンと呼ばれる熱心を通り越したレベルの熱狂的なファンがいます。
ホームジアンはワトソンを実際の執筆者、本来の執筆者であるドイルはワトソンの出版エージェントもしくはゴーストライターと位置づけて実在の人物としてシャーロック・ホームズを研究しています。
中には「ホームズは公式には引退した後、サセックスで養蜂をしている。蜜の効果で老いることなく、今なお、謎の事件解決に陰からそっと手を貸している」だとかトンデモ説を唱えている人もいるぐらい極まった人たちです。
ニコ・トスカーニ
複数のシャーロック・ホームズ年表が複数のホームジアンによって発表されており、映像化するときに考慮しなければならない点であるホームズの年齢についても言及されています。
ドイルの作品には多少矛盾する設定があるため、ホームズ年表はホームジアンによって少しバラつくのですが、初登場時のホームズは20代後半だったと考えるのが妥当なようです。
映像作品のホームズだと10年続いた『シャーロック・ホームズの冒険』(1984-1994)のジェレミー・ブレット(撮影当時50歳から60歳ぐらい)や『バスカヴィル家の犬』(1959)を初め3度にわたってホームズを演じたピーター・カッシング(最初にホームズを演じた時40代半ば)が正統派と評価されているため、何となく中年・壮年のイメージがありますが、原作準拠であればもっと若くても全然おかしくないことが分かります。
人気シリーズとなったイギリスBBC制作の『SHERLOCK/シャーロック』(2010-2017)でホームズを演じたベネディクト・カンバーバッチは開始当時まだ30代前半でした。
「新ロシア版ホームズ」の通称で知られる『名探偵シャーロック・ホームズ』(2013)ではホームズは27歳の設定になっています。
ニコ・トスカーニ
また、第一作である『緋色の研究』を執筆した当時、ドイルはまだ25歳でした。
後述する通り、ドイルは複数の要素をモデルにシャーロック・ホームズというキャラクターを想像していますが、年齢については作者の等身大だったようですね。
逆に原作に反する設定で定着してしまったものもあります。
鹿射ち帽(ディアストーカー)はシャーロック・ホームズが描写されるとき高確率でお見かけするアイテムですが、作中ではっきりと「鹿射ち帽をかぶっている」と描写されたことはありません。
鹿射ち帽のイメージが定着した理由はシドニー・パジェット(1860-1908)の挿絵で描かれたことがあり、そのイメージが定着したためのものです。
余談ですが、パジェットの挿絵とテレビドラマでホームズを演じたジェレミー・ブレットはそっくりです。
モデルがブレットなのではないかと思えてくるぐらい似てます。
有名な決め台詞“Elementary, my dear Watson.”「初歩的なことだよ、ワトソン君」もそうです。
ニコ・トスカーニ
アメリカの舞台俳優ウィリアム・ジレット(1853-1937)が原作のセリフをアレンジして生みだしたもので、後に映画で10回以上にわたってホームズを演じたベイジル・ラスボーン(1892-1967)がこのフレーズを多用し、「ホームズの名言」として定着しました。
コナン・ドイルとシャーロック・ホームズ
『日本沈没』『復活の日』などSFの傑作を残した小松左京氏は、執筆の前に莫大な量の調べものをしていたそうです。
小松氏はフィクション作家ですので、作中で起きる出来事は歴史的事実でも現代のドキュメントでもありません。
何もないところから創作は生まれないという実例だと思います。
ドイルはいくつかの要素を元にして世界一有名な探偵を作り上げました。
重要な要素の一つがジョセフ・ベル医師(1837-1911)です。
ベルはドイルがエディンバラ大学医学部の学生だった頃の恩師です。
彼は「患者の診断には観察力が必要」と説いており、実際、自身も非常に優れた観察眼の持ち主で、訪れる患者の外見から病名だけでなく、職業や住所、家族構成までを言い合てて学生たちを驚かせていたとか。
ベルをホームズ役、ドイルをワトソン役にした『コナン・ドイルの事件簿』(2000-2001)はベルがホームズのごとく事件を鮮やかに解決するミステリードラマです。
実際にベルが医師として警察の捜査に協力することはあったようですが、もちろんドラマの内容はフィクションです。
この「医師としての観察力」という要素がモデルとなっているのがテレビドラマ『Dr.HOUSE』(2004-2012)です。
ヒュー・ローリー演じる感染症専門医のグレゴリー・ハウスは鋭い洞察力、観察力、豊富な医療知識で他の医者が匙を投げた患者の診断を行っていましたが、ハウスの方法論は突き詰めるとホームズやベル医師のやっていたことと同じです。
主人公の名前がハウス=家なのは、ホームズ→ホーム→家→ハウスから来ている一種の洒落でホームズシリーズのワトソンポジションのキャラクターがウィルソンなのはモーリス・ルブラン(1864-1941)が自作で(無許可で)ホームズを登場させた際、ワトソンに当たる人物の名前をウィルソンに変えたことに由来しているものと推測されます。
なお、シャーロック・ホームズにあたるキャラクターは「エルロック・ショルメ(Herlock Sholmès)」になっています。
これはシャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)のアナグラム(並べ替え)です。
ハウスの住所が221B Baker Street(ホームズの住所と同じ)であることからも、『Dr.HOUSE』ははっきりシャーロック・ホームズを意識していることがわかります。
ニコ・トスカーニ
当時ベイカー・ストリートにあったのは84番までです。
しかし、20世紀の前半に行われた区画整理でベイカー・ストリートはかつてのヨークプレイスとアッパー・ベーカー・ストリートを吸収し番地が大幅に増えます。
1932年にはベーカー・ストリート215–229を占めるアビ・ハウスが完成。
アビ・ハウスは、21世紀に入ってから取り壊され跡地は高級賃貸マンションになっています。
また、1990年にはベーカー・ストリート239のビルにシャーロック・ホームズ博物館が開館します。
ニコ・トスカーニ
このビルに『ボヘミアの醜聞』で描写された17段の階段があることから、博物館側は「この場所こそ221B」と主張しており、ベーカー・ストリート221Bを示すブループレートが取り付けられています。
ドイルは『緋色の研究』を執筆したころポーツマスで繁盛しているとは言い難い開業医をしていました。
余った時間を有効活用して生活の足しにしようと書き始めたのが一連のシャーロック・ホームズ・シリーズです。
つまりドイルは初期のころアマチュア作家でした。
アマチュアがお手本にするのは当然プロで、ドイルは様々な一線級の文筆家からの影響を認めています。
これについてはドイル自身が”Through the Magic Door”というエッセイを残しており、彼がどのような作品から影響を受けたのか容易に知ることができます。
『緋色の習作』でホームズはエドガー・アラン・ポー(1809-1849)の探偵デュパンとエミール・ガボリオー(1832-1873)のルコック刑事をこき下ろしていますが、実のところドイルがポーとガボリオーから影響を受けたことはドイル自身が認めています。
ポーは純文学の作家として認められていますが、通俗文学も残しており『モルグ街の殺人』は世界初の推理小説(と言われている作品は諸説あるのですが)と言われています。
ガボリオーの『ルルージュ事件』は世界初の長編推理小説と言われています。
ニコ・トスカーニ
彼らの後輩であるアガサ・クリスティー(1890–1976)も『複数の時計』で探偵エルキュール・ポアロの口を借りてドイルの作品を一部批判しながら称賛しています。
ニコ・トスカーニ
“Through the Magic Door”を読むと、ドイルが影響を受けたのは推理小説だけでないこともわかります。
その重要な一本がジェイムズ・ボズウェル(1740-1795)の『サミュエル・ジョンソン伝』です。
文学者サミュエル・ジョンソン(1709-1784)の伝記である同作は、伝記文学の傑作と評されていますが、作者のボズウェルはドイルの同郷で彼にしたら相当な思い入れがあったことでしょう。
ジョンソンは相当な変わり者だったらしく、知的で皮肉屋でちょっぴり困った人だったようです。
ニコ・トスカーニ
劇中、ホームズがワトソンのことを「僕のボズウェル」と評していることからも、その影響ははっきり窺い知れます。
確かに、ジョンソンの知性とエキセントリックさが同居する人物像はどことなくホームズを思わせますね。
ボズウェルとジョンソンが初めて対面した店は今もエディンバラに残っています。
ニコ・トスカーニ
そして忘れてはならないのがドイル本人です。
ホームズがそうであるように、生みの親であるドイルも鋭敏な頭脳の持ち主でした。
警察の杜撰な捜査で濡れ衣を着せられた人物の冤罪を、自らの捜査で明らかにしたことが記録に残っています。
シャーロック・ホームズは架空の人物ですが、ベルやジョンソン、ドイル本人といった実在の人物の要素が合わさって出来上がったキャラクターです。
ニコ・トスカーニ
シャーロック・ホームズとその時代
シャーロック・ホームズ・シリーズの主な舞台になっているのはロンドンです。
旧名はロンディニウム。
ニコ・トスカーニ
この街には二つの警察組織があります。
ロンドン警視庁 (Metropolitan Police Service, MPS)とロンドン市警察 (City of London Police) です。
原文の意味に近づけて前者は首都警察、後者はシティ警察とも訳されることがあります。
ロンドン市警察はちょっと特殊でロンドン市内のシティ・オブ・ロンドン(世界最大級の金融街があるエリア)のみを管轄とします。
シティはほんの2.9km四方しかない狭いエリアですが、古くから自治権が強くロンドン市長(Mayor of London / London Mayor)とは別のロンドン市長(Lord Mayor of the City of London / Lord Mayor of London)が存在しました。
警察ものや探偵もので頻繁に登場するのが、もう片方の警察組織であるロンドン警視庁、通称スコットランドヤードです。
スコットランドヤードはロンドンのほぼ全域を管轄とし、ホームズに依頼を持ちかけるレストレード警部もグレグソン警部もスコットランドヤードに所属する捜査官。
さて、そのスコットランドヤードですが、創設されたのは1829年のことです。
ニコ・トスカーニ
警察のような近代的治安維持組織が誕生したのは18世紀末から19世紀前半頃の話です。
イギリスでは元々、治安の維持は各地域の住民が行うものでしたが、産業革命による工業化と都市化で犯罪が複雑化し、地域住民の自治では手に負えない状態になっていました。
そんな理由から近代的な警察組織が整備されていきます。
複雑化した犯罪といえば、19世紀末のロンドンで歴史に残るショッキングな事件が起きています。
切り裂きジャック(Jack the Ripper、ジャック・ザ・リッパー)です。
切り裂きジャックは1888年に複数の娼婦を惨殺し、署名入りの犯行予告を新聞社に送り付けました。
劇場型犯罪の元祖とされる事件で、今もって犯人は謎のままです。
ニコ・トスカーニ
切り裂きジャックは当時のロンドン市民を震え上がらせました。
当然のごとく、市民はスコットランドヤードに犯人逮捕を期待し、スコットランドヤードも威信をかけて捜査を行います。
しかし、スコットランドヤードは市民を守ることよりも犯人逮捕のため取り締まりを強化して市民の反発を招いたうえ、結局犯人は捕まりませんでした、
ニコ・トスカーニ
『緋色の研究』が出版されたのは切り裂きジャック事件の前年です。
『緋色の研究』の舞台は多分、1881年だろうと推定されています。
ホームズは第一次世界大戦前夜の1914年にドイツのスパイを捕まえたのを最後に公から姿を消していますので、切り裂きジャック事件発生当時はまさしくホームズが現役だった時代です。
名探偵シャーロック・ホームズは時代のニーズに合った存在だったというわけですね。
ニコ・トスカーニ
歴史的背景でもう一つ。
ワトソンはカンダハル(アフガニスタンの都市)で負傷し、9か月の静養休暇を与えられてロンドンで過ごしているときにホームズと出会った設定になっています。
当時、イギリスは二次にわたってアフガニスタン侵攻をしていましたのでその歴史的事実をバックグラウンドとしています。
ホームズは初めての出会いで、ワトソンを一瞥しただけで「アフガニスタンにいたでしょう?」と推理して彼を驚かせますが、21世紀が舞台の『SHERLOCK/シャーロック』でも「アフガニスタン?イラク?」と聞いてシャーロックがジョンを驚かせています。
ニコ・トスカーニ
シャーロック・ホームズと日本
シャーロック・ホームズシリーズの『高名な依頼人』には聖武天皇と奈良の正倉院の話題が出てきます。
また、ホームズが身に着けているバリツなる謎の格闘技は日本のものであると『空き家の冒険』で語られていました。
『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』にはホームズが日本を訪れるエピソードがあります。
1902年、対ロシア戦略の目的で日本とイギリスは日英同盟を締結しています。
当時、ドイルはまだ現役世代でしたし、知識人でしたので当然、日本には多少の関心を持っていたことでしょう。
ドイルがどの程度、日本のことを知っていたか不明ですが、少なくとも二人の日本人(英語教師の安藤貫一と富豪の薩摩治郎八)と面会した記録が残っています。
ニコ・トスカーニ
19世紀末から20世紀と言えば、幕末から明治で日本史における激動の時代です。
徳川幕府による限定貿易が終わり、海外文化が大量流入してきましたが、我が国は非英語圏にも関わらずシャーロック・ホームズシリーズがかなり早い段階で紹介されました。
最初の翻訳が出たのは1894年です。
記録が無いため、翻訳者不明ですが『乞食道楽』の訳題で『唇の曲がった男』が紹介されています。
その後、大正から昭和初期にかけて続々と翻訳が世に出ることになります。
翻訳者の中には自身も推理作家として活躍した江戸川乱歩(1894-1965)の名前もあります。
英語が堪能だった岡本綺堂(1872-1939)は原著でホームズ・シリーズを読んでおり、それに影響されて『半七捕物帳』 シリーズを書いています。
戦後になると同一の翻訳者によるまとまった形の翻訳が出回るようになります。
今も現役で読まれている延原謙(1892-1977)、大久保康雄(1905-1987)がまとまった翻訳を出したのはともに1950年代のことです。
ニコ・トスカーニ
以降は、多数の作家、映像作家によってホームズの翻案作品が大量に制作されています。
21世紀に入ってからだとHuluとHBOアジアが共同制作した『ミス・シャーロック/Miss Sherlock』(2018)、フジテレビ系列で放送されていた『シャーロック アントールドストーリーズ』(2019)、テレビアニメ『歌舞伎町シャーロック』(2019)が代表例でしょうか。
シャーロック・ホームズとは何者か、小説・ドラマ・映画、モデルまで徹底解説:まとめ
さて、色々と思いつくままにシャーロック・ホームズについて挙げてみましたがいかがでしたでしょうか?
古典と言うとなんとなく読みづらいイメージがあると思いますが、シャーロック・ホームズシリーズは古風でも読みやすく、今読んでも普通に楽しめます。
読めば21世紀の現在でも売れ続けているのも納得していただけるかと思います。
教養として知っておいても損はないので、一度試してみてはいかがでしょうか。
各話が単独で完結しているので何から読んでもあまり印象は変わらないと思いますが、まずは第一作目である『緋色の研究』をお勧めします。