『映画 えんとつ町のプペル』は革命家・西野亮廣が贈る夢追い人へのエール!逆風と戦い続けた男の集大成を考察

『えんとつ町のプペル』は革命家・西野亮廣が贈る万人に響く実験映画!西野の歩みと重なる物語を考察!

出典:『映画 えんとつ町のプペル』公式ページ

2020年12月25日(金)にキングコング・西野亮廣が原作・脚本・製作総指揮を務めた『映画 えんとつ町のプペル』が公開されます。

33人の分業制という異例の体制をとり4年をかけて作られ、絵本では異例の45万部を突破する特大ベストセラーとなった「えんとつ町のプペル」を『海獣の子』『鉄コン筋クリート』のSUTDIO4℃が映画化。

2020年最後の話題作として大規模公開され、原作者・西野亮廣も数々の宣伝活動や新たな試みを行っています。

なぜ西野はここまで本作にこだわりを込めているのか、何を伝えたいのか、ここまでどのような歩みを進めてきたのか?

ミルトモ編集部が独自の解釈で『映画 えんとつ町のプペル』と西野亮廣の関係について書いてみました。

シライシ

※筆者は本記事を執筆段階で『映画 えんとつ町のプペル』を見ていません。ただし、すでに公開されている『映画 えんとつ町のプペル』の脚本は読んでいるという状態です。

『映画 えんとつ町のプペル』あらすじ【ネタバレなし】


町中にある煙に覆われ、外界とは隔絶されたとある町。

そこに配達屋が落とした心臓によってたまたま生まれたゴミ人間。

『えんとつ町のプペル』

(C)西野亮廣/「映画えんとつ町のプペル」製作委員会

町はハロウィンの最中で、そこで街を駆け回る少年たちとゴミ人間は出会います。

少年たちはゴミ人間と各家を回りますが、彼が本物で仮装では無いことを知ると汚い言葉を浴びせ、追い払ってしまいます。

そんな時、彼はえんとつ掃除屋のルビッチと出会い仲良くなります。

ルビッチはゴミ人間に「ハロウィン・プぺル」と名付け、夜通し遊びました。

『えんとつ町のプペル』

(C)西野亮廣/「映画えんとつ町のプペル」製作委員会

翌朝、ルビッチはプペルに「ホシ」を知っているかと尋ねてきます。

ルビッチの父・ブルーノはかつてこの町を「えんとつ町」と呼んでいました。

町では人々は空を見上げることを禁止されていましたが、ブルーノは煙の向こう側に美しい「ホシ」があると紙芝居でみんなに呼びかけていたのです。

『えんとつ町のプペル』

(C)西野亮廣/「映画えんとつ町のプペル」製作委員会

ブルーノはそのせいで周囲から嘘つき呼ばわりされ、その後、突如姿を消しました。

父があると言い続けた「ホシ」を見たいと願うルビッチは、プペルと冒険の旅に出ますが…。

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「えんとつ町のプペル」は革命家・西野亮廣の物語

西野亮廣

黒い煙で覆われた「えんとつ町」に住む人は、青い空を知りません。
輝く星を知りません。
見上げたところで何も無いので、町の人達は見上げることもありません。
そんな中、煙突掃除屋の少年とゴミ人間だけは、「あの煙の向こう側に何かあるんじゃないか?」と黒い煙の向こうに想いを馳せます。
ところが町の人たちは、「あるわけないだろう」と二人を嘲笑い、容赦なく叩きます。

「えんとつ町」は夢を持てば笑われて、行動すれば叩かれる現代社会の縮図で、『えんとつ町のプペル』は僕自身の物語でもあります。

テレビの外に飛び出した日、絵本を描き始めた日、あの日この日。
前例の無い挑戦を選ぶ度に、暇を潰すように笑われ、日本中から叩かれ、
悔しくて震えた夜は何度もありました。

出典:『映画 えんとつ町のプペル』公式ページ

上記は『映画 えんとつ町のプペル』の公式ページに掲載されている西野亮廣のコメントです。

はっきりと本人も言っていますが、結論としてそもそも「えんとつ町のプペル」は西野亮廣の物語として作られています。

自分の夢のために突き進み、前例を破りまくり、世間から叩かれまくり、それでも前を向いて努力をやめない西野亮廣こそ、分厚い煙を突破して「ホシ」を見たいと願うルビッチとプペルであり、そして「えんとつ町のプペル」こそ、彼が「ホシ」を見るために乗る「船」なのです。

『えんとつ町のプペル』

(C)西野亮廣/「映画えんとつ町のプペル」製作委員会

それは彼の周りにいる仲間たちもハッキリ語っていることですし、西野亮廣という人間を少しでも知っていれば「重なる部分がある」と気づくはずなので、本人ももうあっさり公言しているのでしょう。

ここでまず西野亮廣の芸人、絵本作家としての歩みを振り返ってみましょう。

西野亮廣は小学2年生の時にお笑い番組のマネをして人気者になり、好きな人に話しかけられるようになってから「面白い人になりたいと決意」し、芸人になることを決意します。

その後、西野は1999年に梶原雄太とコンビ「キングコング」を結成、ハイスピードな掛け合いの漫才を売りにデビュー2年以内にNHK上方漫才コンテスト最優秀賞、ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞、OBC上方漫才大賞新人賞、第30回YTV上方お笑い大賞最優秀新人賞を受賞。

2001年には冠番組とラジオがスタート、伝説の人気番組『はねるのトびら』も始まり、そして第一回M-1グランプリで決勝進出するなど、怒涛の大活躍を見せました。

この当時の西野はキングコングのネタ作りを担当し、NSC在学中から漫才ネタを作りまくって突っ走っており、この当時はお笑い芸人として頂点を取ることを目標にしていたといいます。

シライシ

その当時のことはキングコングの公式Youtubeチャンネルで対談形式で語られているのでぜひご覧ください。

その後、梶原が忙しさの中で体調を崩し、約3ヶ月間休養した時期がありました。

そして25歳の時に西野はこのまま芸人として活動していても5年後、10年後、自分が納得できる面白いことができている未来が見えなくなったと言います。

芸人として売れても、そのはるか先にはまだたけし、さんま、ダウンタウンがいたと…。

シライシ

普通の芸人ならそれはしょうがないと割り切るところでしょうが、「一番面白い人になりたい」という夢のあった西野はそれではダメだと思い、「テレビの活動から軸足を抜く」ことを決めたといいます。

その時から西野の次の目標は「世界でてっぺんを獲る」こと。

そして、まだ何をやるのかも決めていなかった時に、その頃に親交の深かった大御所・タモリから勧められて絵本を描くことになった西野。

今でも西野は「ディズニーを超える」と宣言していますが、絵本は世界に打って出るにしても翻訳しやすいですし、それこそハリウッドやディズニーが莫大な制作費をかけて他をぶっちぎろうとしても絵本というジャンルには制限があります。

まず一人から始められて、そこから大きく展開していけると考えた西野は世界を狙って絵本を書き始めました。

彼は当時をこう振り返っています。

25~26歳の頃。
このままだと何者にもなれずに終わってしまいそうな気がして、テレビの仕事から軸足を抜きました。
今でも好きで好きでたまらないテレビの仕事が、それほど得意では無かったのかもしれません。

「次に始める仕事は、『世界』に繋がっているモノにしよう」とだけ決めて、毎日いろんなエンタメに触れて、毎晩呑み歩いていました。

その頃、誰よりも一緒にお酒を呑んでいたのがタモリさんです。

「テレビの仕事から軸足を抜いた」といっても、新しくテレビの仕事を取りに行くのを辞めただけで、レギュラー番組はたくさん残っていましたし、そのうちの一つは、日本で一番視聴率をとっている番組でした。

つまり、『露出』があからさまに減ったわけではないので、とても表向きには「軸足を抜いた」ようには見えてなかったでしょうし、「テレビの世界の外で挑戦したい」という話は、本当に近しいスタッフにしか話していませんでした。

しかし、きっとタモリさんには見透かされていて、毎週のように「西野。何してんだ? どうせ暇だろ? 呑みに行くぞ」と誘っていただきました。

呑みの席では毎回フザけた話に終始したわけですが、ときどき、本当にときどき、ひどく酔っ払った夜に、真面目な話をしました。

その夜、タモリさんから言われた言葉を今も鮮明に覚えています。

「西野。時代を追うなよ。時計の針は一周回って、必ずお前のところにやってくるから、その場にいろ」

その後、たくさんのブームが始まっては終わり、始まっては終わり…その都度都度で、ブームに乗る人達を羨ましく思ったこともありましたが、タモリさんからいただいた言葉を信じて、毎夜ひたすらアトリエに籠り、まるで世間から相手されていない作品制作に没頭しました。
『人事を尽くして天命を待つ』というやつですね。

出典:西野亮廣公式ブログ

その後、西野は処女作「Dr.インクの星空キネマ」を4年かけて完成させ、「ジップ&キャンディ ロボットたちのクリスマス」、そしてタモリが原案を担当した「オルゴールワールド」を発表。

そして、後の項で詳しく書きますが、異例の分業制で描かれたベストセラー絵本「えんとつ町のプペル」を作り上げます。

「西野。時代を追うなよ。時計の針は一周回って、必ずお前のところにやってくるから、その場にいろ」

タモリのこの言葉通り、西野が最初は笑われ避難された数々の挑戦は、十数年を経て多くの人を動かし、世界に打って出るための大作エンタメ映画の誕生までやってきました。

西野の実験精神

西野はキングコングとしてデビューした際に、当時はダウンタウンのネタに影響を受けたボケが飄々としゃべるタイプの漫才が主流だった中、テンポよくボケの手数で攻めて、衣装も私服ではなくビシッとスーツで決める漫才スタイルを考案、そのスタイルで数々の賞を受賞しました。


彼はその時に、自分の中で考えた実験を試すことが大好きになったと語っています。

そしてこうやったら上手くいくんじゃないか、もしくはこの分野に進んでみたら何かあるんじゃないか、そういう西野の実験精神は芸人以外の仕事を始めてからも続いているのです。

執筆家、実業家としての顔も持つ西野はオンラインサロンも開いており、そこでも革新的なことを常々発信していますが、それを取り上げているときりがないので、絵本の制作に関して彼が行った実験について書きます。

西野が絵本「えんとつ町のプペル」を分業制にした理由

「えんとつ町のプペル」は冒頭にも述べたように35人の分業体制(西野が一人一人面接)によって作られています。

絵本は基本は一人、分かれても台本と作画担当という程度の分業というのがそれまでの絵本制作の常識でしたが、「えんとつ町のプペル」は西野亮廣が脚本・監督という立場で、35人の異例の分業体制で4年半をかけて作られました。

絵本作家・にしのあきひろはデビュー作「Dr.インクの星空キネマ」からボールペン画で細かいタッチの描画を続けていました。

芸人業をしながら作ったとは思えない手の込んだ凄まじいクオリティで、芸人をしながら絵本作家ができるかという”実験”を成功させています。

ちなみに、いわゆる芸能人が片手間で描くようなヘタウマな絵ではなく、圧倒的な細かいタッチにこだわったのは、いずれ絵本を横展開して映画やアニメ、もしくは実際に劇中の建物を再現しようとなった時に、ヘタウマでは相手にされない、他のクリエイターが具現化したくなるような描き込みをしなければダメだと思ったからだそう。

西野亮廣は最初から壮大なエンターテイメントビジネスを意識して絵本を描いていました。

シライシ

そして、西野はそこから一段階また実験を進めて「絵本をチームで作る」試みを始めたわけです。

その理由に関して彼はブログで下記のように語っています。

今回の作品『えんとつ町のプペル』は、「そもそも、絵本って、なんで一人で作ることになっているのだろう?」という疑問からスタートしました。

僕はこれまで、ボールペン一本で、ずっと一人で絵本を描いてきました。

ただ、あるとき、「絵本は、どうして一人で作ることが常識になっちゃってるんだろう?」という疑問を持ちました。

たとえば、映画だと、監督さんがいて、助監督さわがいて、カメラマンさんがいて、脚本家さんがいて、照明さん、音響さん、メイクさん、美術さん、役者さん……いろんな人が、その人の得意技を持ち寄って、一つの作品を作ります。

ドラマも、バラティー番組も、漫画も、学校も、会社も全部そう。分業制です。
その方が「より良いモノ」ができるから。

しかし、絵本だけは作家が一人で作ることになっています。
分業があったとしても、せいぜい「文=〇〇、絵=〇〇」といった感じで二人。

なぜ、絵本だけは『分業制』がないのだろう?
一人で作った方が良い作品もあるだろうけど、
複数人で作った方が良い作品もあるだろうに。

なんで? なんで? なんで?

考えてみると、その答えは、すごく単純な理由で…
絵本は5千部~1万部でヒットという小さな小さな市場なので、つまるところ制作費をかけることができないのです。

人件費を支払えないから、一人で作るしかない。

ものすご~くリアルな事情です。
そういった事情があって一人で作ることになり、それを続けていくうちに『絵本は一人で作るものだ』という常識になりました。

しかし、どうだろう?

絵を一枚描くにしても、
空を描くことと、森を描くことと、キャラクターを描くとと、建物をデザインすることと、乗り物をデザインすること……これらは微妙に業務内容が違います。

「魅力的なキャラクターを描くのは苦手だけれも、空を描かしたら誰にも負けない」
という絵描きさんはいらっしゃるでしょうし、
「森を描かしたら私が一番だ!」という絵描きさんもいらっしゃるでしゃう。

ならば、みんなの『得意』を持ち寄って、一つの作品を作ろう!
その為に必要なものは制作費だ!

…ということで、去年、「今度は僕一人ではなく、チームで作る!その為に、お金が必要です!」と、分業制で作ることを明言し、クラウドファンディングで支援を募ったところ…

実に3000名以上の方に支援していただき、

1013万1400円

という制作費が集まりました。
本当にありがとうございます。

この作品においての私の役目は監督・脚本・絵コンテです。

出典:キングコング西野公式LINEブログ

このような理由で、西野は「えんとつ町のプペル」を分業制で作ったのです。

そして、そのお金が足りなくてもそれで諦めず、製作中の2015年当時はまだそれほど主流ではなかったクラウドファンディングを行い、無事絵本を出版。

「色を塗るのは苦手」と自覚していた西野主導の絵本は分業制のおかげで圧倒的筆致に加えて豊かな色彩も手に入れました。

その後、「えんとつ町のプペル」は5,000部で御の字と言われる絵本業界では異例中の異例である45万部を超える大ベストセラーとなりました。

この分業制も、クラウドファンディングも、世間では「ゴーストライターかよ」「自分で作れ」「楽して金儲けしている」と叩かれまくりましたが、そんな雑音を振り切っています。

「えんとつ町のプペル」の主人公、ゴミ人間・プペルとルビッチは、煙に覆われた町の中で「ホシ」を目指して、周りから嘲笑われ、迫害されながらも最終的には空に昇って「ホシ」を見ることになります。

シライシ

そんな「えんとつ町のプペル」の物語は自身の新しい挑戦をバカにされまくった西野の体験をもとに作られていますが、それを作る過程でもまた叩かれるような挑戦をし、そしてそれを乗り越えた結果も物語の結末とかぶっているのが面白い点です。

「えんとつ町のプペル」を無料公開した理由

そして西野は、上記のように苦労して作り上げた「えんとつ町のプペル」の内容をネットで無料公開します。

2016年10月に「えんとつ町のプペル」が出版され、大評判で発行部数10万部を超えたばかりの2017年1月のことでした。

絵本を無料公開した理由を西野は下記のように語っています。

実は今回、この絵本を最後まで無料で公開したのは、とても勇気がいることでした。僕だけでなく、この作品に携わっているスタッフは、この絵本の売り上げで生活をしているからです。ただ一方で、「2000円の絵本は、子供が、子供の意思で手を出すことができない」という声も耳にしました。

たしかに、2000円は決して安くない値段です。僕は子供に届けたいと思うけれど、「お金」という理由だけで、受け取りたくても受け取れない子がいる事実。

だったらいっそのこと、「お金なんて取っ払ってしまおう」と思いました。『えんとつ町のプペル』を、お金を出して買いたい人は買って、無料で読みたい人は無料で読める絵本にしてしまおう、と。

せっかく生んだ作品も、お客さんの手に届かないと、生まれたことにはなりません。10万部《売れる》ことよりも、1000万人が《知っている》ことの方が、はるかに価値があると僕は考えます。

それに、人間が幸せになる為に作り出した『お金』で、人間に格差ができるのなんて、やっぱり全然面白くない。お小遣いなんて貰えない幼稚園児や小学生が、出費が重なって金欠になった学生や主婦が、何かの事情で本屋さんまで足を運ぶことができなくなってしまった人達が、それでも手に入れられるモノにしたい。

今回の無料公開が、どう転ぶかは分かりません。この絵本の制作には4年半を費やしました。もしかすると、この挑戦により、一冊も売れなくなってしまうかもしれません。しかし、たとえそうなったとしても、たくさんの人が『えんとつ町のプペル』を知ってくれさえすれば、また次の挑戦ができると僕は信じています。

今、足がプルプル震えているのですが、皆様に1つだけお願いがあります。「おい、西野!お前のその心意気、買ったぞ!」という方は、ぜひこの記事をシェアしていただけないでしょうか?

たくさんの人に『えんとつ町のプペル』を届けるため、どうか宜しくお願い致します。
最後に。ページ数の関係でカットになりましたが、主人公の一人であるルビッチの父親がルビッチにかけた言葉を、ここに記しておきます。

他の誰も見ていなくてもいい。

黒い煙のその先に、お前が光を見たのなら、

行動しろ。思いしれ。そして、常識に屈するな。

お前がその目で見たものが真実だ。

あの日、あの時、あの光を見た自分を信じろ。

信じぬくんだ。たとえ一人になっても。

出典:新R25

多くの人に作品を届けることを目標にした西野の異例の施策は「えんとつ町のプペル」の認知度をより高めることに成功、そして売上自体もその後伸び続けて45万部を突破しています。

シライシ

そして西野は、「みんなで発信する新しいカタチのエンタメ」と「メインコンテンツは無料、メイキングは有料」というビジネスモデルを作り出しています。

TwitterやFacebook、Instagramの誕生でこれからは単にクリエイターがコンテンツを提供し、それを観客が消費するだけの時代ではなく、これからは観客が観客でなくなり、発信していく側になる時代が来ると西野はいち早く見抜いていたのです。

西野は絵本を無料公開しただけでなく「えんとつ町のプペル」の著作権を手放し、素材を誰もが使えるようにしました。

その結果、「えんとつ町のプペル」をモチーフにした保育園、列車、そして全国各地での「えんとつ町のプペル」の絵本展が開かれるようになったのですが、それは西野主導ではなく「えんとつ町のプペル」のファンが作り出したものです。

上記のような試みは、かなり行動力のある人たちによるものでもありますが、そもそも先ほど話題に出た「クラウドファンディング」も、作品にお金を出すことによってただの観客ではなく「作り手」の一人になれるシステムです。

当たり前ですが、単にいい作品をその場で見て消費するよりも、自分がいいと思って作り手に加わった作品が良いものになる方が楽しいし、気持ちいいと感じる人は多いでしょう。

シライシ

私もクラウドファンディングは参加したことはありませんが、気に入った映画を自分なりの言葉で記事にして周囲に発信していくことの楽しさに目覚め、現状の仕事に至っているので、ただの観客から発信者側に回る気持ちはとてもわかります(笑)

そうやって観客を満足させられるだけでなく、観客をより楽しく発信者側にできるエンタメで西野亮廣は世界の頂点を狙っています。

そしてメインコンテンツを限りなくフリー素材化させた時に、西野はメインコンテンツよりもメイキングのほうが利益を生めると気づいたそうです。

それはもちろんメインコンテンツが圧倒的なクオリティであることが前提ですが、その作品がどう作り出されているのか、どういう意図が込められているのかに興味を持つ人が増え、裏側を知りたがってお金を払うというビジネスモデルです。

西野は自身のオンラインサロンで絵本、映画の「えんとつ町のプペル」の制作過程や様々な出来事を公開し、また自分の考えを発信しています。

ハイクオリティのメインコンテンツでみんなの興味を引き、メイキングを商品にすることによってお金を集めることによって、メインコンテンツ自体は採算よりも純粋なクオリティを高めることに集中できるという仕組み。

誰も見たことのないエンタメを作り上げるために、西野はこの好循環のビジネスモデルを作り出しました。

これは現在「プロセス・エコノミー」と呼ばれています。

大事なのはこのビジネスモデルはお金儲けをするためでなく、コンテンツの質を高めるため、もっと言うと高めざるを得なくなる状況を作るためのものだということです。

シライシ

無料で見られるコンテンツの質が低ければメイキングには興味を持ってもらえないからですね。

ちなみに『映画 えんとつ町のプペル』の冒頭3分とエンドロールがすでにYoutubeに公開されています。


こちらも前代未聞ですが、これも作品のクオリティに自信があって、あとは認知してもらうだけだという状態まで来ているからなんでしょう。


映画公開前にシナリオを発売、冒頭とエンドロールを公開、どれも奇抜な施策ですが、もしかすると今やっている手法が当たり前になる時代が来るかもしれません。

【ネタバレ】「えんとつ町のプペル」絵本と『映画 えんとつ町のプペル』の違い

上記の項で無料公開やみんなで発信するエンタメ、プロセス・エコノミーについて書いてきたのは、その西野の考え方が絵本「えんとつ町のプペル」と『映画 えんとつ町のプペル』の違いに反映されていると思ったからです。

絵本も無料公開されていますし、西野亮廣自ら手掛けた『映画 えんとつ町のプペル』のシナリオも販売されているので、ここからは違いをネタバレありでざっと解説します。

※ネタバレを避けたい方はここから先は読まないでくださいね。

絵本「えんとつ町のプペル」では、クライマックスでプペルとルビッチが風船をつけた船で上昇し、分厚い煙の向こう側の美しい星空を見て物語は終わります。

ここでさらにプペルの正体に関してある事実が明らかになり、感動的な終わりになっているのですが、絵本ではあくまでも「ホシ」を見れるのはプペルたちだけです。

一方、映画版では(シナリオを読んだだけの身で申し訳ないですが)、プペルとルビッチは仲間たちの助けも借りて、空飛ぶ船でえんとつ町の上空まで行くと、爆薬で煙を吹き飛ばし、えんとつ町のみんなに星空を見せてあげるのです。

シライシ

これは大きな違いではないでしょうか。

映画版のクライマックスは自分の夢を叶えるだけでなく、みんなを作り手側にして夢を見せて叶えようとしている西野の挑戦とも重なります。

西野はそもそも「えんとつ町のプペル」の物語を最初から映画化を目標にして考えていたと言います。

映画版の終わり方に関して最初から考えていたのかもしれませんが、絵本版と映画版の終わり方の違いは、西野が「えんとつ町のプペル」を作って横展開していった十年近い年月の変遷にも関係しているように思えます。

シライシ

『映画 えんとつ町のプペル』では、絵本では単に主人公たちを迫害していただけの周りのキャラクターたちが最終的には協力者になって、突破口をみんなで作り出すという展開になっているのも、挑戦の結果仲間を増やしていった西野の姿に重なりますね。

実際、あのHYDEがOP曲を作成し、その曲をもとに『映画 えんとつ町のプペル』を盛り上げるために映画監督の蜷川実花がMVを制作したり、


芸人仲間たちも独自のMVを作るなど続々と西野の夢に協力している人が現れています。



また絵本ではいきなり出てきていた空飛ぶ船も、映画では気球に変わり、その制作はルビッチ本人がコツコツと行っています。

「信じていれば望んだ場所に行ける」という絵本のメッセージに加え、映画ではそのために何をするべきか、何が必要なのかが肉付けされており、単に水増しでエピソードを付け足したりしたような部分はありません。

シライシ

『映画 えんとつ町のプペル』は絵本も読んで、そしてそれを作った西野亮廣や関わった人々の物語を能動的に調べれば、より感動できる物語になっています。

「えんとつ町のプペル」で西野がモデルになっているキャラクターは?

さて、「えんとつ町のプペル」は西野自身の物語だと本人が語っているわけですが、では誰に西野自身が投影されているのでしょうか。

シライシ

私の考えでは、ルビッチとプペル、そしてルビッチの行方不明になった父・ブルーノの3人だと思います。

まず、みんなにバカにされながらも「ホシ」があると信じ続けて挑戦するルビッチは、ストレートに「エンタメで世界を獲れるはずだ」と信じて叩かれながらも戦ってきた西野亮廣と直接的に重なります。

『えんとつ町のプペル』

(C)西野亮廣/「映画えんとつ町のプペル」製作委員会

また、ゴミ人間・プペルは誕生の仕方が興味深いです。

突如空から降ってきた心臓の周りにえんとつ町に転がるたくさんのゴミが集まってきて人間の形になったのがプペルです。

えんとつ町は鎖国状態で、人々は上を見上げること禁じられているので、ゴミもやり場がなく地上に溜まっている状態。

シライシ

これは閉鎖的で出る杭は打たれる社会で、道半ばで捨てられてしまったいろんな夢を象徴しているものではないでしょうか。

そのゴミ=破れた夢が集まってプペルになり、最終的にみんなに「ホシ」を見せると考えると、プペルもオンラインサロンを開いて、色んな人の夢を背負って挑戦する西野の投影だと言えるでしょう。

そして、そのプペルのもととなった空から降ってきた心臓は、これもネタバレになってしまいますが、かつてみんなに「ホシ」があると伝えて回っていたルビッチの父・ブルーノのもので、プペルはある意味ブルーノの生まれ変わりでした。

『えんとつ町のプペル』

(C)西野亮廣/「映画えんとつ町のプペル」製作委員会

西野は近年、「エンターテイメントを300年続ける」という前提で作品を作って活動をしていると言います。

たとえ西野本人が死んでしまったとしても、西野の意志は誰かが引き継いで作品を作り続けて影響を与え続けるという状態を目指しているわけですね。

ブルーノは空に昇ったわけではなく、遠くの海まで出た結果、そこで星空を見てみんなにその存在を知らせていました。

彼本人は空には行けず、道半ばで息絶えてしまっていましたが、その意志はルビッチが引き継いで、そしてその意志=心臓自体も周りに夢=ゴミが集まって生まれ変わり、ルビッチと一緒に星空を見ることができたのです。

『えんとつ町のプペル』

(C)西野亮廣/「映画えんとつ町のプペル」製作委員会

そうなると「えんとつ町のプペル」のブルーノの物語も、西野亮廣が不在になった後でもこうなってほしいという意図が込められているのではないでしょうか。

シライシ

一口に「えんとつ町のプペル」=西野亮廣の物語といっても多層的な意味が込められていると思います。

西野が「革命家」と呼ばれる理由

2020年12月18日に発売された「別冊カドカワ 【総力特集】西野亮廣」の表紙にも「”現代の革命家の素顔”」と書かれていますが、なぜ彼はいろんな場で革命家と呼ばれるのでしょうか。

それは単に新しいことをしているから…ではなく、それをみんなのため、みんなで幸せになるために行っているからだと思います。

歴史を紐解いても、革命というのは個人のためでなく、みんなが新たな時代に進むために行われています。

みんながもっと面白く、幸せになれるために新しいことをする。

シライシ

まさに革命家と呼べる姿勢が『映画 えんとつ町のプペル』の物語につながっています。

『映画 えんとつ町のプペル』は革命家・西野亮廣が贈る夢追い人へのエール:まとめ

以上、ここまで「えんとつ町のプペル」と西野亮廣について色々と書いてきました。

あくまでも一意見・考察を書いたに過ぎませんが、本作に西野亮廣という男のエッセンスが詰め込まれているのは間違いないでしょう。

『パラサイト 半地下の家族』がアカデミー賞を制した時にポン・ジュノ監督が「最も個人的なことが最もクリエイティブ」と語ったように、個人の思いが極限まで詰め込まれているからこそ、「えんとつ町のプペル」は多くの人を感動させるものになっているのではないでしょうか。

世界中の人に愛される『ロッキー』シリーズにシルヴェスター・スタローンの人間性が大きく投影されているのにも似ている気がします。

西野亮廣は『映画 えんとつ町のプペル』後も、絵本の構想が次回2作まで決まっていると言いますし、「えんとつ町のプペル」自体も映画で終わらせず、美術館を作る予定もあるとのこと。

エンタメで世界を狙う彼の挑戦はこれからも続いていき、我々には想像もつかないような景色を見せてくれるかもしれません。

一つ言えるのは『映画 えんとつ町のプペル』は、西野亮廣が今後人生を歩んでいろんな挑戦をしていくたびに、また違った見え方になる作品になっている可能性が高いということです。

ずっと西野亮廣が考えてきたことを具現化した作品が、2020年突如世界を暗雲で覆ったコロナ禍と重なり、その鬱屈とした雰囲気を突破する作品になっているのもすごいことですね。

『映画 えんとつ町のプペル』は、見る人すべての気分を晴らし、心の突っかかりと取り除くとともに、上を向く勇気や素晴らしさを私たちに教えてくれるでしょう。

2020年12月25日、ついに全国の劇場で公開されます。お見逃しなく!

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