『王様とボク』あらすじ・ネタバレ感想!菅田将暉&松坂桃李主演!王様みたいに自由な幼馴染と“ボク”の物語を考察

『王様とボク』あらすじ・ネタバレ感想!菅田将暉&松坂桃李主演!王様のように自由きままな幼馴染と“ボク”の物語を考察

出典:U-NEXT

6歳の頃に不慮の事故にあって以来ずっと昏睡状態だった幼馴染が目を覚ましたという奇跡に“ボク”は浮かれて喜んでいたけれど…?

子どもと大人の狭間で揺れる主人公の心理描写が巧みな作品です。

ポイント

それでは『王様とボク』をネタバレありでレビューします。

▼動画の無料視聴はこちら▼

『王様とボク』作品情報

『王様とボク』

(C)2012「王様とボク」製作委員会

作品名 王様とボク
公開日 2012年9月22日
上映時間 84分
監督 前田哲
脚本 やまだないと
前田哲
原作 やまだないと
出演 菅田将暉
松坂桃李
相葉裕樹
二階堂ふみ
中河内雅貴
松田美由紀
音楽 吉岡聖治

【ネタバレ】『王様とボク』あらすじ


6歳からずっと眠り続けているモリオ

誕生日を迎え、18歳になったミキヒコ(松坂桃李)を祝うパーティーの翌朝。

ミキヒコは恋人のキエ(二階堂ふみ)と初めての夜を越えて、パーティーを開いてくれたトモナリ(相葉裕樹)の住むマンションの屋上で朝を迎えました。

『王様とボク』

(C)2012「王様とボク」製作委員会

帰る間際、ミキヒコはトモナリに「あいつどうなったんだっけ?」と言いました。

あいつ、とは幼馴染のモリオ(菅田将暉)のことでした。

モリオは6歳の時の不慮の事故が原因で、それ以来ずっと眠っています。

パーティーの片付けをしていたトモナリの母(松田美由紀)のもとに、メッセージが届きました。

モリオが目覚めて緊急招集がかかったのです。

その頃、ミキヒコは小学校を訪れていました。

トモナリとモリオと、6歳の男の子たちには広い小学校で「来年になったらこれ全部オレたちのものだぜ!」と楽しそうに話していた頃のことを思い出しながら、事故のあったブランコまで歩いて行きます。

一方キエは、予備校通いで忙しいミキヒコに放っておかれたことが退屈でトモナリのところに遊びに来ていました。

テレビから“12年の眠りから目覚めた奇跡の少年”としてモリオのことが報道されて、2人は画面から目が離せなくなります。

モリオのことは、ずっと暗黙の了解のように口にしないようにして、忘れたフリをして生きてきたミキヒコとトモナリ。

トモナリの母は、モリオの母からの手紙をどこからか引っ張り出してきました。

それは事故から1年経った時に送られたもので「どうかモリオのことを忘れてください。私もみなさまのことを忘れて生きていきたいと思います。」と書かれていました。

そんな手紙を受け取ってもトモナリの母は、ずっと心配でモリオの様子を調べてもらったりしていたことを明かします。

大人になんかなりたくない

モリオが目覚めたことを知ったミキヒコは喜びいっぱいでキエにメールを送り、一緒に病院に行きます。

しかしテレビでモリオのことを目にした冷やかしか何かだと思われて面会を断られてしまいました。

待合室でミキヒコの誕生日の夜のことを話していた2人の後ろを、医師たちが何やらモリオのことらしい話をしながら歩いて行きました。

自力で歩けるわけがないだろう、とか何とか、そんな言葉にモリオを想像せずにいられなかった2人はこっそり病棟へと向かいます。

医師たちが右往左往している時、非常階段の方から物音が聞こえました。

音のする方を辿っていくと階段の踊り場でモリオが小さくうずくまって泣いていました。

ミキヒコが呼びかけると小さく「ミキちゃん」と言いました。

やっと会えたモリオに、嬉しくなってミキヒコが「俺だよ、ミキヒコだよ」と話しかけましたがモリオは混乱して何が何だかわからずに怖がって嘔吐してしまいます。

騒ぎを聞きつけた医師たちが踊り場にやってきて、ミキヒコたちは強制的に帰らされてしまいました。

ミキヒコもトモナリも、またモリオの話をしなくなりました。

ミキヒコ、モリオを連れ出す

ある日、モリオは隔離されていた施設の窓から外へ逃げ出します。

毎日外を通りがかる3人の小学生のあとをつけていくのが日課のようになっていました。

その頃のミキヒコは何だか上の空で毎日を過ごすようになって、突然予備校もバイトもやめます。

両親が離婚して父も母もそれぞれ新しい家庭をもっているミキヒコは、モリオとどこかで一緒に暮らしていこうと考えていました。

18歳になって子どもではなくなったことから、大人になるとはどういうことかずっと考えていたミキヒコは“誰かを守ること”が大人になることだという結論に辿りついていました。

そして目が覚めていきなり大人にならなければならないモリオに、自分たちのように誰かに守られて時間をかけて大人になって欲しいと思ったのです。

ミキヒコはモリオのいる施設を訪れ、たまたまその時、施設を抜け出したモリオのあとをつけていきます。

公園で小学生たちと将来の夢について話していたモリオは、じっと見ているミキヒコに気付き「ミキちゃん」と言って近づきました。

2人はどこか少し緊張しながら喫茶店で話します。

『王様とボク』

(C)2012「王様とボク」製作委員会

窓の向こうからは小学生3人が見守っていました。

それからミキヒコはモリオをバイクで連れ出して、ゲームセンターで遊びます。

声をかけてきた女の子たちとプリクラを撮ったあと、それを眺めていたモリオは「家に帰りたい」と泣き出しました。

モリオは目が覚めてから父とも母とも会えずにいて、母は九州にいると打ち明けました。

本当に6歳の子どものように振る舞い、橋の上から電車が行き交うのを無邪気に見ているモリオの側で、ミキヒコは複雑な気持ちになっていました。

やがて「帰る」と小さく言ったモリオを施設に送り届けたミキヒコは何の言葉もかけることができませんでした。

大人になる、ということとは

モリオの誕生日、ミキヒコは決心してバイクを走らせて19歳になった“王様”を施設に迎えに行きます。

施設の中で王冠をつけてもらってパーティーを楽しんでいるモリオの腕を掴んで連れ出しますが、道の途中でバイクが故障して動かなくなり、2人は走ってトンネルを抜けようとします。

後ろからは小学生3人組が自転車で追いかけてきて、結局モリオは彼らについて行ってしまいました。

それはバイクで転倒したミキヒコがみていた夢のようなものでした。

どこまでが現実だったのか、どこからか夢だったのかと茫然としているミキヒコのところに電話がかかってきます。

「どこにいるの?」と聞いてきたキエに、ミキヒコは「どこだろう…」と返しました。

モリオは誕生日のお祝いの紙の王冠を捨てて、夜の道を歩き出しました。

【ネタバレ】『王様とボク』感想・考察

『王様とボク』の好きなところ

何回見ても結局何だっていうんだろう、と思うところが好きです。

vitovito

たぶん映画を観たことがなくて、ここまで読んでくれている人も“え、結局どういうこと?何だったの?”と思っているんじゃないかなぁ。いや私の語彙力のなさが招いている可能性もあるとしても。

6歳の時の事故で植物人間同然になってしまった少年が突然目を覚まして、幼馴染だったミキヒコが寄り添おうとする話ではあるんですけど。

18歳という子どもでもなければ大人とも言えない年齢、精神のミキヒコには結局どうすることもできないみたいな雰囲気で終わります。

印象的な取っ掛かりとは裏腹に終わりがすっきりしない映画。

vitovito

何も進まないし何も解決しない。ずっと夢の中にいるみたいな話で、でも何度も見てしまう。私にとっては、そんな作品です。
『王様とボク』

(C)2012「王様とボク」製作委員会

そもそも原作マンガを描いたやまだないとは割とそういう作風なので、そういうもんだと思うしかない。

やまだないとの作品を全部読んだわけでもない私が言えたことじゃないかもしれないけど。

雰囲気モノというか、結局よくわかんないけどオシャレだな!みたいな作品が多いように感じます。

vitovito

蛇足ですが私が一番好きなのは「コーヒーアンドシガレット」です。それはそれとして。

マンガの実写化としてはどうすることもできたと思うんですよ、ミキヒコとキエが疑似夫婦みたいになってモリオを子どもみたいにして3人で暮らしてめでたしめでたしとか。

5年後―みたいな時間すっ飛ばし作戦で、まだちょっと子どもっぽさが残っているモリオを囲んで皆で誕生日パーティーしている場面でめでたしめでたしとか。

vitovito

でもそうしなかった、というのが私の好きなところかもしれません。

現実って割とそういうものですよね。

めでたしめでたしにならないこともある。

何ならその方が多いのかもしれない。

一つの作品に対して考察したり妄想したりするのが好きな私にとっては、『王様とボク』みたいな作品は妄想の種をもらったような気持ちになれて楽しいです。

だから、ちゃんと結末が用意されている作品が好きな人には向かないと思います。

色んなレビューサイトを覗いて軒並み評価が低いのは、たぶんそういうところなんだろうなって感じます。

映画としてはそこまで時間が長くないものとしても結末に向けて見ていて結局どうなったのかハッキリすっきりしないとなれば、それが腑に落ちるものでもないとなれば、5つある☆のうち4とか5は付けないでしょうな。

vitovito

ハッピーエンドとは言えないしバッドエンドとも言えない、大袈裟に言うなら“エンド”がない作品だと私は思ったりもします。

モリオと、ミキヒコと、トモナリ

3人についてあらすじ以外のところでも少し掘り下げた話をしたいと思います。

モリオは6歳の時に遊具の事故にあって以来ずっと眠り続けて、12年後に奇跡的に目を覚ました少年。

よく抜け出していた“施設”は病院から退院したのちに入所したところで、簡単に抜け出せるあたり割とゆるいんだろうなぁという印象です。

vitovito

まぁフィクションの話だからね。白いぶかぶかのパーカーがモリオのイメージを上手いこと可視化しているなぁと思いました。心が6歳のままだから子どもで、真っ白で、でも見た目は18歳になっているっていう。

ミキヒコは予備校に通っていて、物語の冒頭で18歳の誕生日を迎えた少年。

vitovito

あんまり自分の頭のなかにあることを説明するのが得意じゃない面があったり、どこか“大人になる”ことを受け入れられずにいる節があるのかな、と私は思います。

目を覚ましたモリオを連れ出した時、側で中身が6歳のままであることを目の当たりにして何を思ったんだろう。

あんなに自分が守ってやりたいとか、時間をかけて大人になっていくのを支えたいみたいな感じで息巻いていたのに現実に直面したら怖くなったのかな。

怖くなったというか単純に「これは無理だ」と思ったのかな。

vitovito

考察厨の私としては、自分が自身で思っているほど大人ではなかったことにも直面してしまって愕然とした、という見解です。

トモナリは画面に映っている時いつも家にいてゲームしている少年。

でも作中でミキヒコが乗っていたバイクはトモナリのを貸してあげていたものだから、引きこもりっていうわけではなくて普通に外に出かけるのも好きなんだと思う。

最後の方にある場面で1人、トイレで泣いていたのはどうしてなのかがわからないんですよね…。

キエが、誕生会にモリオも呼ぼうって提案した後で泣いてるんですけど。

そしてトモナリは映画の中で一度もモリオには会っていない。

vitovito

これはそれこそ私の妄想的な解釈なんですけど、子どもという位置にモリオがいて、トモナリは大人。ミキヒコはその間で揺れ動いているところの比喩なんじゃないかなって思うんです。

トモナリのいる場面には大体母親も一緒にいて、つまり大人側の人間で。

目覚めてからのモリオの側には、小学生の3人組が大体一緒にいることから子どもということを表していて。

ミキヒコはトモナリといたりモリオといたりすることもそうだし、モリオを迎えに行く時に通るトンネルが境目となって“揺れ動いている”のを表しているような気がします。

そうなってくると恐らくラストでミキヒコが転倒していたのは、トンネルのトモナリ側だったんじゃないかなぁ…みたいな。

でも自分でも子どもだか大人だかわからないから、キエからの問いの答えも“どこにいるのかわからない”だった。的な。

vitovito

最後の最後にモリオが王様の王冠をポトンと落として歩き出すのも、これから大人になっていくことの比喩なんだろうな、というのが私の妄想含めた見解となっております。いやホント妄想のしがいのある話ですよ。

『王様とボク』まとめ

以上、ここまで『王様とボク』をレビューしてきました。

ポイント
  • ストーリー性はあるものの、良くも悪くも雰囲気映画って感じの作品です
  • ハッピーエンドなりバッドエンドなり“終わり”を求める人には向いてないと思われます
  • ちょっと不思議な世界観、でもファンタジーではなくて現実寄り、そんな作品が好きな人におすすめ。ついでに考察とか妄想が好きな人にも超おすすめ。

▼動画の無料視聴はこちら▼