2月27日(土)より公開となる小森はるか+瀬尾夏美による映画『二重のまち/交代地のうたを編む』。
予告編が完成、さらに映画監督、ミュージシャンなどから多くのコメントが到着しました。
映画の舞台は、東日本大震災で津波の被害を受けた陸前高田。
出来事の体験者から非体験者へ、遠くの未来へ、どうしたらその記憶や記録を手渡していくことができるのか?
本作は、この大きな問いに、新進気鋭のアーティスト「小森はるか+瀬尾夏美」が挑んだドキュメンタリー映画です。
目次
『二重のまち/交代地のうたを編む』予告編完成&七尾旅人氏、濱口竜介氏、こうの史代氏からの絶賛コメント到着
陸前高田を訪れた4人の若者たちが、まちの人々の話を聞き、それを自らの言葉で語り直すプロセスを映し出した予告編。
予告編ディレクターは、小森はるか監督『息の跡』でプロデューサー・編集を務め、『阿賀の記憶』(佐藤真監督)、『ニッポン国VS泉南石綿村』『水俣曼荼羅』(原一男監督)など優れたドキュメンタリーの編集を手がける秦岳志氏。
赤坂憲雄氏(民俗学者)、岡田利規氏(演劇作家・小説家)、小野和子氏(民話採訪者)、寺尾紗穂氏(文筆家・音楽家)、こうの史代氏(漫画家)からのコメントが到着。
さらに、七尾旅人(シンガーソングライター)、濱口竜介(映画監督)からはロングメッセージが届きました。
- 3月6日(土)より、特集上映「映像作家・小森はるか作品集 2011-2020」をポレポレ東中野にて開催。劇場未公開作を含む全9作品(7プログラム)を一挙上映予定(*詳細は追って発表いたします)。
- 本作の中で朗読される物語、書籍『二重のまち』(絵・文:瀬尾夏美)が書肆侃侃房より2月中旬発売。
赤坂憲雄(民俗学者)
二つのまちを往還する声に、身を寄せる旅人たち。
語りえぬ受苦に寄り添い、ただ共に在ること。
ていねいに想うこと、伝えること。
災厄の記憶は風化ではなく、浄化を、と囁く声がする。
岡田利規(演劇作家・小説家)
忘れられるべきでない出来事・思い。
それが、しかし果たしてこの自分にそれを語り継ぐ資格はあるか?と逡巡する若者たちによって、その逡巡ごと、この映画の中で確かに伝えられている!
小野和子(民話採訪者)
この足の下に、もう一つの町が存在する――この感覚が捉える切実な詩情にうたれた。
地割れと怒涛に町は消えたのではない。
そこに生きて「在る」のだ、今も。四人の若者たちの存在は、それを語りつづけるために蒔かれる種なのだ。
こうの史代(漫画家)
これは、ちいさなちいさなタネのような映画。
笑みや涙がこれからいくたびも心に降りつもれば、しずかに目覚めて根と葉をのばす。
それがいつだとしてもその芽を見失わないように、心を澄まして生きてゆこう、そう決めました。
寺尾紗穂(文筆家・音楽家)
どのように足掻いても
私はあなたになれず
あなたの話を再現することもできないのだと
表現者たちが気づいたとき
紡がれた物語はそれぞれに光り始める。
七尾旅人(シンガーソングライター)
3.11震災の年から10年に渡って陸前高田に滞在し、地元の方々とふれあい、失われていく物語を記録し続けて来た瀬尾夏美さんと、小森はるかさん。初めて出会った日、まだ二十歳そこそこだった彼女たちの存在は、僕が「Memory Lane」のような曲をいまも変わらず歌い続ける理由になっていた。
青春期の丸ごとと言ってよい年月を費やして、ただ真摯にひとつの景色を見つめ続けた2人の記念すべき映画が、「人々の記憶を代弁することの困難さ」への言及で幕を下ろした時、言いようのない感動を覚えた。
防潮堤の下に埋もれた、かつての通学路、思い出の小道。「二重のまち」の底層にたゆたう、愛しい人々の記憶。その輝きを、悲しみを、損なうまいと、慎重に言葉を選ぼうとする、いつかの 2人のような、若者たち。新しい語り手たちが抱える懊悩。
記憶のバトンは継がれていく。
過去のために、現在のために、未来のために。この映画を観た誰かが、自らの足元にふと目をやるだろう。
アスファルト、コンクリート、土、草、砂。
靴底を支える地面の、その下。
今の私たちを成り立たせる、かつての街について、想像を巡らせずには居られないだろう。
すべては過程の中にあり、けして終わっていない。
濱口竜介(映画監督)
作者たちによって「編む」こととして提示された一連の行為は、観客にとっては不可解な儀式の連続でもある。
なぜ聞くこと、話すこと、そして読むことを繰り返しているのか、それが観客に知らされることはない。
観客は手探りをしながら、この作品と付き合う必要がある。
かえってそのことで発される一言一言が、一つの事件のようにも響いてくる。
人の声を聞くことを生業としている者として言えば、こんな声を聞き続ける体験はほとんどない。
自分の言葉を、自分の身体から切り離さないように発する人たち。
しかしだからこそ、その一言は事態をどこかへ急に連れていきはしない。
彼らは、何かをし「あぐねて」いる。
そのことはわかる。
結論を早急に求める人や、既に出してしまっている人にはこの停滞にも似た「あぐねる」は内向的か、愚かにも映るだろう。
しかし、キャストとして選ばれた4人の若者は、むしろ各々に固有の聡明さによって「あぐねる」のだ。
「編む」という語から示唆される交錯は人との出会いや対話として、上下動は想像の駆動として現れる。
それはむしろ、容易に答えに至ることを徹底的に迂回するための営みとしてある。
「あぐねる」ことが具体的な行為として、運動として提示されていることが、この記録・作品の計り知れない価値だ。
『二重のまち』は、あらゆる場所が「二重」である可能性(もしくは事実)を提示して終わる。私たちにも「あぐねる」ことが必要なのかもしれない。
だが現実に、それが可能な場を構築し、保持することの労苦もまた計り知れない。
誰かがやらなくてはいけないが、誰でもできるわけではない。
瀬尾・小森の十年の営為に、心からの敬意を表する。
『二重のまち/交代地のうたを編む』概要
かつてのまちの上に
あたらしいまちがつくられた
そこへ、四人の旅人がやってくる
ちいさな〈継承〉の
はじまり、はじまり
民話の萌芽のような時間を描いた奇跡の映画。
2018年、4人の旅人が陸前高田を訪れます。
まだ若い彼らは、“あの日”の出来事から、空間的にも時間的にも、遠く離れた場所からやって来た。
大津波にさらわれたかつてのまちのことも、嵩上げ工事の後につくられたあたらしいまちのことも知らない。
旅人たちは、土地の風景のなかに身を置き、人びとの声に耳を傾け、対話を重ね、物語『二重のまち』を朗読します。
他者の語りを聞き、伝え、語り直すという行為の丁寧な反復の先に、奇跡のような瞬間が立ち現れます。
交代地—出来事の体験者から非体験者へ
記憶を手渡し、ちいさな継承をはじめるための場。
本作は、東日本大震災後のボランティアをきっかけに活動をはじめ、人々の記憶や記録を遠く未来へ受け渡す表現を続けてきたアーティスト「小森はるか+瀬尾夏美」によるプロジェクトから生まれました。
『二重のまち』とは、かつてのまちの営みを思いながらあたらしいまちで暮らす2031年の人々の姿を、画家で作家の瀬尾夏美が想像して描いた物語。
陸前高田を拠点とするワークショップに集まった初対面の4人の若者たちが、自らの言葉と身体で、その土地の過去、現在、未来を架橋していくまでを、映像作家の小森はるかが克明かつ繊細に写しとります。
Gallery
『二重のまち/交代地のうたを編む』作品情報
出演:古田春花、米川幸、リオン、坂井遥香、三浦碧至
監督:小森はるか、瀬尾夏美
撮影・編集:小森はるか、福原悠介
録音・整音:福原悠介
作中テキスト:瀬尾夏美
ワークショップ企画・制作:瀬尾夏美、小森はるか
スチール:森田具海
配給:東風
2019年|79分|日本|DCP|
英題:Double layered town/Making a song to replace our positions
2021年2月27日(土)より、ポレポレ東中野、東京都写真美術館ホールにてロードショーほか全国順次公開