クラスに一人はいるタイプの悪ガキだった、石田将也を中心に描かれる物語。
人と人との関わり方の難しさ。コミュニケーションをテーマにした作品です。
キャッチコピーは「君に生きるのを手伝ってほしい」。
- 高校生のセンシティブな部分がリアルに描かれた作品
- 感動の押し売りは一切なし
- 特別な世界の、特別な物語ではなくて。あなたの“これまで”に一度は掠ったことのあるシーンがきっとある
それではさっそく映画『聲の形』をネタバレありでレビューしたいと思います。
▼動画の無料視聴はこちら▼
目次
『聲の形』作品情報
作品名 | 聲の形 |
公開日 | 2016年9月17日 |
上映時間 | 129分 |
監督 | 山田尚子 |
脚本 | 吉田玲子 |
原作 | 大今良時 |
出演者(声優) | 入野自由 早見沙織 悠木碧 小野賢章 金子有希 石川由依 潘めぐみ 豊永利行 松岡茉優 |
音楽 | 牛尾憲輔 |
主題歌 | aiko「恋をしたのは」 |
【ネタバレ】『聲の形』あらすじ
主人公、石田将也の人生の分岐点
石田将也。どこにでもいる、クラスの悪ガキ。
好奇心のままに時にふざけて、時に誰かをからかったりいたずらしたり、退屈は自分の一番の敵だと言うように日常にあらがう少年。
ある日、将也のクラスに転校生がやってきます。
西宮硝子という名の、ふんわりした雰囲気の女の子。
黒板の前、担任の隣で硝子はスケッチブックを取り出して耳が聴こえないことをみんなに伝えました。
先天性の聴覚障害をもつ硝子は、筆談用のノートを使ってみんなと仲良くしようとします。
最初は周りもそれに応じて友好的に接しているのですが、だんだん面倒になったり疎ましく思ったりしていきます。
植野直花を筆頭に硝子を無視し始めるクラスメートたち。
さらにはそんな状況になっても硝子と仲良くしていた佐原みよこを偽善者扱いし、佐原は不登校になってしまいました。
将也にとって硝子は最高の退屈しのぎでした。
硝子の耳元で大きな声を出したり、補聴器を壊したり、ノートを池に捨てたりどんどんエスカレートしていく“退屈しのぎ”。
周りは面白がって見ていたり、我関せずと傍観していたりで止めるような子はいませんでした。
補聴器は決して安価なものではありません。
それが何度も壊れる、壊される。
さらには学校で耳にケガを負ったことを不審に思った硝子の母親が学校に相談をします。
それが発端で開かれた学級会で、すべては将也のせいだということになります。
面白がって見ていた子も、傍観していただけの子も、みんなが将也一人の責任にしました。
将也の母・美也子は補聴器の総額170万円を、硝子の母・八重子に手渡し謝罪します。
母親同士だけの会話のあと、将也の元に戻った美也子の耳からは血が流れていました。
それからの日々、クラスでいじめの標的になったのは将也でした。
自分が硝子にしたような嫌がらせを受ける毎日。
周りの態度は一変してしまったのに硝子だけは学級会以前と変わらない態度で将也に歩み寄ろうとします。
将也はそれが余計に悔しくて硝子に手を上げ、取っ組み合いのケンカになります。
そして数日後、硝子はまた転校してクラスを去りました。
高校三年生、春
硝子が転校して時間が過ぎても、将也に対するみんなの態度は変わりませんでした。
高校に進学しても状況は変わらずに、誰も信じられず、そしてどんどん自己否定をするようになっていく将也は、周りの他人の顔に×マークが見えるようになっていきます。
他人の顔を認識できない。顔を見て話せない。他人が怖い。
そんな状態を克服できるはずもなく高校三年生になる春。
小学生のあのときの後悔や罪悪感から、将也は手話を習得していました。
硝子に謝罪をするために。
そして硝子のいる手話教室を訪れ、なぜか謝罪より何より「友達になってくれ」と伝えてしまいました。
それを受けた硝子は感動して嬉しそうにOKします。
同じころ、将也は一生懸命バイトして貯めた170万円を母・美也子に返します。
あの日、壊した補聴器の弁償として美也子が支払った170万円。
部屋を綺麗に片付け、カレンダーを破り、そのお金を渡した意図はすべて消化してから自殺をするため。
美也子はそれを見抜いていて、将也を止めます。
こんなお金いらないから死ぬなと。
死ぬならこのお金は燃やす、と脅してまでの説得に将也は自殺を思いとどまりました。
ある日、将也は駐輪場で不良に絡まれている男の子を助けます。
個性的な髪形をしたその子は長束友宏、将也にとって久しい“友達”になりました。
最初は相手との距離感がうまく量れずに遠慮しながらの付き合いでしたが、引いても押してくるタイプの長束と次第に打ち解けていきます。
将也が長束をつれて硝子に会いに手話教室に行った時のこと。
一人の少年が、自分は硝子の彼氏だと言って二人を会わせないよう邪魔をしました。
そこに長束が割り入ってちょっとした騒ぎになり、硝子が将也に気付き自分から近づいてきました。
二人で手話教室の近くにある橋の上で談笑していたところ、硝子が取り出した筆談ノートを川に落としてしまい、二人は咄嗟に飛び込んで拾います。
その姿はネットに拡散、通っている高校にも伝わり謹慎処分を受けることとなりました。
謹慎中に公園で姪の面倒を見ていた将也は、偶然にも硝子の彼氏だと言っていた少年と再会します。
少年が家出中だということを知った将也は家に連れて帰り、いろいろと話していくうちにこの子は硝子の妹だということが発覚します。
少年ではなく、少女。名前は結弦。
写真を撮ることが好きな、登校拒否をしている子でした。
広がっていく人と人とのつながり
硝子のために何かしたいと思い立った将也は、小学生の頃に硝子と仲良くしていた佐原みよこを探します。
進学先もわからない佐原を見つける手掛かりに、と声をかけたのは小学校からの同級生で高三の今も同じクラスにいる川井みきでした。
佐原の進学先を聞きだし、硝子と一緒にそこへ向かうと、駅で偶然佐原と再会します。
小学生のころ硝子から逃げてしまったことを後悔していたと打ち明ける佐原。
再会できてよかったと喜びました。
そして街中で偶然、同じく小学校の同級生だった植野直花にも再会します。
みんなが硝子を無視し始めたきっかけとも言える植野は、「いじめていた側といじめられていた側が付き合うなんてありえない」と言い捨てました。
その頃の硝子は、将也に対して恋心が芽生えていきます。
補聴器が見えないようにか、ずっとおろしたままだった髪をポニーテールにして普段とは違う雰囲気でプレゼントを渡し、よく二人で話していた手話教室の近くの橋の上で想いを伝えます。
手話ではなく、勇気を振り絞って肉声で。
しかし“聞こえない”から発声が不自由な硝子の「好き」という言葉を、将也は正しく聞き取れずに「月」だと勘違いしてしまうのでした。
「月」の理由も、突然ポニーテールにした理由もよくわからない将也は、川井みきが髪形を変えたことに気がつき話しかけます。
そのことがきっかけとなり、川井みきとその友達の真柴智とも仲良くなりました。
先日の再会も手伝って、将也と硝子、結弦、長束、佐原、植野、川井、真柴の8人で遊園地へ遊びに行きます。
アトラクションに乗ったりして楽しく過ごしている途中、植野が「たこ焼きが食べたい」と言って将也を連れ出しました。
向かった先のたこ焼き屋の店員は、またも小学校の同級生で。
将也をいじめていた島田という男の子でした。
植野としては二人に仲直りして欲しかっただけなのですが、将也としてはもう消し去りたいほどの過去だったので植野にきつく当たってしまいました。
ディスコミュニケーションの連鎖
遊園地で遊んだ翌日、将也は真柴から硝子がいじめを受けていたことについて聞かれます。
その場には当時を知る川井もいて、話の流れから自分は何も悪くないと主張したかったのか、将也が硝子をいじめていたと声を張り上げて泣き出しました。
静まる教室、クラスメートの視線は将也に向けられ、耐え切れなくなった将也は学校を飛び出して橋へと向かいました。
そこでまた8人が集まるのですが、過去のいじめについて川井と植野がお互いを責め、佐原に飛び火して、みんなが傷つけ合うような言葉を投げ付け合います。
将也はうずくまり、そんなみんなを非難しました。
心配した真柴や長束にも「お前に何がわかるんだよ」と言ってしまい、将也はまた一人になってしまいました。
そのまま夏休みを迎え、みんなで集まるきっかけも失った将也は毎日のように硝子を遊びに誘います。
空元気で無理やり笑っているような将也を、硝子は不安そうに見ていました。
「君に生きることを手伝ってほしいんだ」
ある日、将也は硝子と結弦から家に招かれます。
そして二人の母親である八重子の誕生日を一緒に祝うことになります。
最初は気まずい空気でしたが、この日のことが発端となり、八重子は将也を少しずつ理解して認めていきます。
そして、みんなで花火大会に行くことになりました。
八重子と結弦が席を外して将也と硝子が二人きりで花火を見ていると、まだ途中なのに突然硝子が“受験勉強のために家に帰る”と言い出しました。
そして、ありがとうと手話で言い残して帰っていきます。
一人で所在なく花火を眺めていたところに結弦が戻ってきて、家に忘れたカメラを取ってきてほしいと将也に頼みました。
硝子のことが気にかかっていたのもあったので快諾して家に向かい、玄関を開けると電気のついていない家の中。
花火が照らす窓の向こう、ベランダから硝子が飛び降りるところでした。
咄嗟に駆け寄り必死の思いで硝子の手を掴んで引き上げますが、その反動で将也がベランダの下に落下、幸いにも落ちたのは水の中だったので一命は取り留めたものの、昏睡状態になってしまいました。
硝子はある夜に将也の死を思わせるような夢を見ます。
その悪夢に真夜中、目が覚めてしまった硝子は足の向くままにいつも二人で談笑していた橋へ行きます。
時を同じくして、将也は病院で目覚めます。
自分の置かれた状況もよくわからないまま、点滴を外して、ふらつきながらも橋へと向かいました。
いくつもの思い出がある橋で出会えた二人。
将也はこれまでずっと伝えられなかった謝罪をし「君に生きることを手伝ってほしいんだ」と言いました。
硝子はそれを受け入れて、前向きに生きようと決意します。
夏休みが終わって、文化祭の季節。
将也は硝子を自分の学校の文化祭に招待しました。
しかし、春に逆戻りしたかのように周りの人たちの顔に×マークが張り付いているまま。
教室の扉を開けたとき、自分に集まった視線が怖くなり、将也はトイレに駆け込みます。
その扉を開けさせたのは、長束でした。
夏休みの前に酷いことを言ってしまってから距離ができたため、将也は長束の顔すら見ることができなくなっていました。
しかし長束は、そんな将也に抱きついて泣きながら謝ります。
心のわだかまりや気まずい気持ちが薄れて、長束の顔から×マークが剥がれ落ちました。
そのあと川井、真柴、佐原、植野とも関係を修復して、みんなで文化祭を回ります。
少しずつ視線を上げることができるようになっていく将也。
周りの人々の顔からも×マークが剥がれていきます。
ようやくこの世界は思っていたより優しく輝いていることに気付いて、仲間たちと笑い合い幸せになろうとしている自分を少し許すことができたのでした。
『聲の形』感想
すごく個人的に思うこと。“いじめ”に対しての話。
本作『聲の形』は、いつかどこかで何らかの形で自分の感想を述べる機会があったら熱量を込めて語りたいと思っていた作品だったりします。
vito
初めに言っておくと、この作品が嫌いなわけでもなければ貶したいわけでもありません。
でもちょっとトゲのある書き方をしていくので気分を害した方がいたらごめんなさい。
あらすじを見た時点で「これは地雷だ」と感じていたんですが、観たら本当に地雷でした。
vito
いじめだとか障害を持つ人に対してのうんぬんっていうのは劇中の軸のひとつでしかなくて、メインテーマとしては人と人との関わり方の難しさ、コミュニケーション、そういう深いところが軸になっていて、それは理解しているし実際いろいろ考えさせられるんですけど…。
vito
ただ、移入できないというだけで共感する部分は少なからずあったりして。
だからこそ逆に嫌悪する部分もあったりして。そのあたりが非常に厄介な作品です。個人的に。
まず私は昔、高校生の頃にいじめられていた人です。
だからこの作品が地雷だと思ったわけです。
さすがに作品内に出てくるような、水の中に鞄とか教科書とか投げ入れられたりしたことはないし、発端も劇的なものじゃなくて、ただ周りがルーズソックスを履いている中で紺のハイソックスで登校しただけのことでした。
vito
物語の冒頭、小学生の頃の将也みたいなのはあからさまないじめっこですが、陰で悪口を言ってるくせに大勢の前では標的に悪意を向ける奴らに対して「みんなやめなよ!」みたいな正義感を振りかざす川井みきも結構アレです。
でも、そういう子ってクラスに一人はいたような。
この作品を通して、いじめの当事者じゃなくてもみんなこれまで生きてきた中で、自分の身を掠ったことのあるシーンがあるんじゃないかなぁと思います。
そもそも“いじめ”って言葉が出てきてから何年経ったのか、私が子供の頃から言われ続けているし、時代に合わせてそれも変化しているように思えます。
ただ変化するだけで、この先きっとなくなることはないんでしょうね。
学校という小さな世界の中に自分がいて、自分以外がいる限り。
これまでいじめを用いてどれほどの作品が生み出されてきたのか、世間への影響の大小はあったとしても結局それを見て心にグサグサ刺さるのは、いじめられている人でしかないような気がします。
いじめている方には刺さってないというか、そもそも刺さるような人だったらいじめっ子になっていないでしょうし。
別作品なうえに映画でもなく連続ドラマだけど『家族ゲーム』という作品があって。
vito
同じく武藤将吾脚本のドラマ『3年A組 -今から皆さんは、人質です-』は記憶に新しいかと思います。
番組自体は見ていなくてもCMだったり、ネット上の記事だったりSNSなどで目にしたことのある人は多いのではないでしょうか。
どちらもその時代に合わせたいじめの形を取り上げた作品だと私は思うんですけど…
vito
どんなに強烈な描写を用いても、どんなに人気のある人や影響力のある人が演じても。
自分より弱いもの、目につくもの、気に入らないものを無視して甚振って嘲笑っているのが楽しい人たちとか、周りに同調して何となくやり過ごしているような人たちとか、見て見ぬふりをする人たちはどの時代にもいるんです。これまでも、これからも。
それでも、そんな世の中でも例えば『聲の形』を観たいじめる側の人間が、石田将也の目を通して疑似体験することによって、なにか意識が変わったりしていたらいいなと願ってしまいます。
別にこの映画にそういう目的があって作られたとは思っていないし、あくまで“いじめ”という現象を普遍的な日常の一部として描いた結果、それが私にとってはやけに印象深かったというだけのことです。
vito
『聲の形』の好きなところ
これだけ地雷だの好きになれるキャラクターがいないだの言っているけど、これまでに3回観ています。
理由は、作品としては好きだというのと、もうひとつ。
vito
よくある人気アニメのゲスト声優だとか、ビッグタイトルの洋画吹き替えに芸能人が起用されたパターンの感じってあるじゃないですか。
何も知らずに観ていても「あ、これあの人だ」みたいな。そういうのが全然なかったです。
vito
普通に声優さんが演じているんだとばかり思っていたし、某コマーシャルで♪いくぜ東北っ♪て歌っているあの子と石田少年が重ならなさすぎて驚きました。
声優さんに関してはそんなに詳しいわけではないので、知識に長けている人からしたら「なにを言ってんだ」くらいの感想かもしれませんが、もう少し書きます。
高校生以降の石田将也を演じているのは入野自由。
vito
だから、アッなんかこういう感情ガンガンある人も演じるんだ凄いってなりました。(この程度の知識です)
西宮硝子を演じたのは早見沙織。
この役を演じるにあたって何をどうしたら、ここまで違和感なく表現できるんだろうと思いました。
vito
最初に観たときびっくりしたので、まだ観たことがなければ是非そのあたりもチェックしてください。
ちなみに、ネタバレあらすじを書くにあたって好きなシーンは一切書きませんでした。
『聲の形』まとめ
【OA情報】この後25:54〜は名古屋メ〜テレにて特別番組『映画「聲の形」公開記念特番~映画「聲の形」ができるまで~』放送です✿一部本編も放送されますのでぜひご視聴ください!!https://t.co/nBQX4OOoux pic.twitter.com/KiXgrGOYBw
— 映画『聲の形』公式 (@koenokatachi_M) 2016年9月16日
以上、ここまで『聲の形』について感想を述べさせていただきました。
- 青春ラブストーリー、というよりはヒューマンドラマ
- 周りの人との関わり方について考えさせられます
- 観る人がどういう学生時代を過ごしたか、過ごしているかによって感想が変わるかもしれない作品
▼動画の無料視聴はこちら▼