『行き止まりの世界に生まれて』は、オバマ前大統領が2018年末に年間ベスト映画の1つとして公表したことでも話題になったドキュメンタリー作品です。
新進気鋭の映画監督であり、本作の出演者でもあるビン・リューは、過酷な人生を生き抜く若者を12年に渡って撮り溜めた映像とともに鮮明に映し出します。
貧困の連鎖や人種差別問題で揺らぐアメリカ社会はどこに向かっていくのでしょうか。
『行き止まりの世界に生まれて』は、2020年に観るのにふさわしい傑作です。
- スケートボードと日常からの解放
- 人種の異なる3人の若者の目に映るアメリカ社会
- 貧困と暴力の連鎖をいかにして食い止められるか?
それでは『行き止まりの世界に生まれて』をレビューします。
目次
『行き止まりの世界に生まれて』作品情報
作品名 | 行き止まりの世界に生まれて |
公開日 | 2020年9月4日 |
上映時間 | 93分 |
監督 | ビン・リュー |
出演者 | キアー・ジョンソン ザック・マリガン ビン・リュー ニナ・ボーグレン ケント・アバナシー モンユエ・ボーレン |
音楽 | ネイサン・ハルパーン クリス・ルッジェーロ |
『行き止まりの世界に生まれて』あらすじ・感想【ネタバレなし】
発展から取り残された都市、ロックフォード
『行き止まりの世界に生まれて』の舞台となるのは、イリノイ州のロックフォード。
ロックフォードは、アメリカの東部から中西部にわたって広がる「ラストベルト」と呼ばれる地域の一部です。
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産業の空洞化に伴って、ラストベルトの主要都市のほとんどが1980年代から20年で、軒並み10%以上の人口減を経験。
かつては農業機械の生産地として知られていたロックフォードも、他の多くの都市と同様に製造業衰退の波に飲み込まれていきました。
ラストベルトは、2016年のアメリカ大統領選において、トランプ陣営の強力な支持基盤となったことでも知られています。
🛣️舞台 – ラストベルトについて
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大接戦となった2016年大統領選挙の際に鍵となったのが、ラストベルト。製造業の街というのは、労組が強いため、伝統的には民主党が強い。しかし、ラストベルトの中でオハイオを含む4州でトランプのが僅差で勝利した#行き止まりの世界に生まれて pic.twitter.com/mn8m4lSjic— 映画『行き止まりの世界に生まれて』| 9.4(金)公開 (@ikidomari_movie) August 22, 2020
”Make America Great Again”というスローガンに象徴されるように、トランプ大統領はアメリカの製造業の復活を声高に訴えて当選を果たしました。
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2020年11月に控える大統領選においても、このラストベルトで支持を得られるかどうかが明暗を分けることになると言えます。
イリノイ大学の調査では、人口流失の割合はロックフォードが州内で最大で、労働者6万人のうち47%が時給15ドル未満で働いていることが明らかにされています。
ロックフォードの暴力犯罪の4分の1は家庭内犯罪(ドメスティック・バイオレンス)によるもので、『行き止まりの世界に生まれて』に登場する3人の若者も父親からの暴力の紛れもない被害者です。
監督であり出演者のビン・リュー
監督のビン・リューは、1989年生まれの中国系アメリカ人で、5歳のときに家族とともにアメリカに渡りました。
しかし、渡米直後に両親は離婚。ビンは母親とロックフォードに移動し、働き詰めだった母親は息子のことを気にかける余裕もありませんでした。
その後、ロックフォードで出会った白人男性と母親が再婚することになります。
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ビンの継父の暴力は人種差別的な一面をはらんでいました。
ビンの母親は子どもを抱え、アメリカで外国人として生きる社会的な弱者です。
そこに巧妙に付け込んだ継父の暴力性について、ビンは以下のように語っています。
(継父は)母のことを「箸」と呼んでいた。それは、僕らを卑しめて、価値のないものに思わせるためだけのものだった。そのやり方は、白人の男性が金銭的にも法的にも助けを必要としているアジア人女性を支配するやり口にも当てはまるものだ。継父と母の関係性や、その結婚の大部分は、僕たちの市民権に関わるものだった。僕は14歳になるまで市民権を得られなかった。継父と母の間には結婚1年目に子どもができて、その子どもを利用した新たな形の支配が生まれたんだ。
出典:「VULTURE “Oscar-Nominated Minding the Gap Director Bing Liu on America’s Masculinity Crisis」より翻訳
二面性をもった父親の記憶と向き合うキアー
キアーは黒人の青年で、父親を亡くしています。
母親には新しい恋人が現れ、自宅での生活にはストレスが絶えません。
そんなキアーの拠り所となっているのはスケートボード。
練習に行けば、心を許す仲間との時間を過ごすこともできます。
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就職を決意したキアーは職を探しますが、結局ありつけた仕事はレストランの皿洗いの仕事でした。
決して彼が望んだ仕事ではありませんでしたが、生活のためにフルタイムで仕事を続け、徐々に家族を経済的に支えられるようになります。
キアーは、父親に対して複雑な感情を抱いています。
ビンのインタビューに対して、父親から時に暴力を受けていたと語るキアーですが、後にその行為に対して謝罪があったことも覚えていると言います。
父親の突然の死はキアーにとって人生を揺るがす出来事でした。
父親が亡くなって初めてその存在の大きさに気付き、キアーは父親が残した言葉の数々を鮮明に思い出します。
「白人の友達がいても、黒人であるということを忘れるな」という父親の忠告は、キアーにこれから待ち受けるであろう困難を予想して発せられた言葉に他なりません。
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親から子への暴力は決して許されません。
その一方で、そこに介在する愛情や尊敬の念というものは簡単に葬り去ることができないものです。
「家庭内暴力の被害者だった」という共通の経験をもちながら、『行き止まりの世界に生まれて』が捉えるそれぞれの物語は決して同一ではありません。
加害者と被害者としてのザック
ビン、キアー、ザックの全員が家庭内暴力の被害者であるなかで、ザックの物語は少し違った様相を呈していきます。
若いニナとの間に子どもをもうけ、「親として子どものためなら何でもする、善人になるように」と話すザックですが、高卒認定を受けようとしても文字がうまく読めず、就職も難航。
結局子育ての分担は上手くいかず、ニナと激しい喧嘩を繰り返すようになります。
喧嘩はとうとう一線を越え、ニナのことを殴ってしまったザック。
挙句の果てに、部屋にペットを残して家賃も払わないままに、コロラド州のデンバーに移動してしまうのです。
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他人を殴ることがどれほどの傷を与えるのか、嫌というほど分かっているはずです。
それでも、仕事や育児が上手くいかず、結局は暴力に帰結してしまいます。
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しかし、監督でありザックの友人でもあるビンは、問題を野放しにはしません。
ドキュメンタリー監督としてのビン・リューの視点
コロラドからロックフォードに戻り、自暴自棄になるあまり「落ちるところまで落ちてやる」とまで言い放つザック。
ビンは、「なぜ殴ってしまったのか」という問いをザックに投げかけ、彼に自省する機会を与えます。
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加害者であるザックの姿を見ることは、ビン自身の耐え難い記憶を呼び起こすことにもなるからです。
それでもビンは友人と向き合い続けます。
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過去に向き合いきれない母親に半ば呆れたようなビンの表情。
アルコールに漬かるザックも、暴力に気付きながら息子を助けられなかったことを反省するビンの母親も、心から苦しんでいて出口が見出せないのです。
暴力をふるった人間も、暴力の被害者だった人間も、負の連鎖に精一杯向き合おうとしながら、もがいています。
そんな絶望的とも言える負の連鎖に希望の光を当てたのは、他でもないビンの一貫した視線でした。
冷静でありながら、慈愛に満ちたビンの視点からは、『行き止まりの世界に生まれて』に登場する誰一人も取り残させないという強い意志が感じられたのです。
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極めて個人的なビンの物語を出発点としてつくられた『行き止まりの世界に生まれて』は、徐々にビンの周りの人間の苦しみとも交差していきます。
「この映画を作ったのは前に進みたいからだ」とビンが語るように、個人的なセラピーだったはずの『行き止まりの世界に生まれて』は、観客の一人一人が抱える個人的な傷ともつながっていくのかもしれません。
『行き止まりの世界に生まれて』あらすじ・感想
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『#行き止まりの世界に生まれて』
本 日 公 開 !!🛹💨
\\\✨🌟アカデミー賞&エミー賞 Wノミネート‼︎
🌟ロッテン・トマト100%Fresh!!
“”傷だらけのぼくらが見つけた明日ー“”オバマ前大統領も絶賛!!
ラストベルトに生きる3人の少年達の12年間を描く傑作!!https://t.co/gc7K7VVmF5 pic.twitter.com/eByccYZKKt— 映画『行き止まりの世界に生まれて』| 9.4(金)公開 (@ikidomari_movie) September 4, 2020
- ビン・リュー監督の優しさと覚悟に満ちた視点
- 家庭内暴力の記憶が与える影響
- 他者との対話を通して負の連鎖に向き合う若者の姿
貧困の連鎖が暴力を生むということは、2019年大ヒットした映画『ジョーカー』で描かれていたテーマでもあります。
「どのようにして負の連鎖を止めることができるのか」、その問いに答えを出すことは容易ではありません。
しかし、ビン・リュー監督が個人的なセラピーとして撮り始めた『行き止まりの世界に生まれて』という作品は、確実に多くの人々に心に伝播していっているのではないでしょうか。
若い世代が自らの置かれた環境について客観的に考察し、多くのことを学びながら生きていくということ。
それは何にも代えがたい希望のように思われるのです。