この度、四肢軟骨無形成症の青年、池田英彦の初主演・ 初監督にして遺作『愛について語るときにイケダの語ること』(6月25日(金)よりアップリンク吉祥時ほか公開)の予告編を解禁致します。
加えて、各界の著名人より沢山のコメントも頂戴しました。
映画『愛について語るときにイケダの語ること』予告編&コメント解禁!
これは虚構なのか!?ノンフィクションなのか!?
余命宣告を受け障害を持った青年がカメラを自身に向けた時、愛について、そしてそのダークサイドが赤裸々に映し出される!
四肢軟骨無形成症のイケダは身長100センチ。
スキルス性胃癌ステージ4の宣告を受けた彼は、生きているうちにセックスをたくさんしたいと考え、その過程でカメラを回し始めます。
その楽しみを覚えたイケダはある企みを思いつきます。
「僕の本当の姿を映画にして、見せつけてやる」
そして、20年来の親友である脚本家・真野勝成を巻き込み、虚実入り乱れた映画の撮影を始めます。
エンディングは初めからイケダの死と決まっていました。
「僕が死んだら必ず映画館で上映してほしい」と言い残してイケダは2年間の闘病後に逝去。
あとにはイケダが「作品」と呼んだ不特定多数の女性とセックスを記録した映像をはじめとする、60時間を超す素材が遺されました。
この度、解禁された予告編では、冒頭にイケダが、自身の彼女らしき女性に、「人に愛してるって言ったことある?」と尋ねる場面から幕を開けます。
次にビデオカメラを持ったイケダが上半身裸の姿を鏡にさらし、現在、抗がん剤治療を続けている最中と語り、腹部にある痛々しい手術痕が映し出されます。
そして、親友の真野がカメラをまわし、イケダ自身が出演する映画を撮ろうとしているらしい様子も垣間見えます。
その後、彼女らしい女性と、一緒にブランコに乗ったり、スーパーで買い物したりと仲睦まじい二人の様子が映し出され、余命宣告を受けた最後の日々を精一杯楽しもうとしているイケダの姿がみてとれます。
しかし後半、「残されたのは膨大なセックスの記録―」とテロップが入り、延命治療を続けてすっかり瘦せこけてしまったイケダが、「(この映画には)僕のダークサイドが出てくるから。それをフィクションとして出すのか、ノンフィクションとして出すのか」と語ると、真野が「ノンフィクションしかねえだろ、それは」と突っ込みます。
その後の映像では、引き出しのブラジャーを漁る姿、ラブホテルらしき場所で、半裸でベッドに向かうイケダの姿など、相当怪しい気なショットの数々が映し出され、映画の中で一体何が起きたのか気にかかるところです。
また本作へは、すでに原一男、能町みね子がコメントを寄せていますが、さらに漫画家のしりあがり寿さんより「「全人類」必修!生きることヤルことの「基礎教養」。」と壮大な絶賛コメントが到着。
その他映画監督の山下敦弘、前田弘二、堀井威久麿、相澤虎之助、美術家・ドラァグクイーンのヴィヴィアン佐藤、女優・文筆家の睡蓮みどり、漫画家の巻来功士、俳優の片山萌美らからもコメントが到着しました。
一筋縄ではいかない、各界の識者からも賞賛を浴びる超問題作。
果たしてイケダが死の間際に遺したかったものとは―今は亡き一人の青年の愛とセックスを巡るメッセージをぜひ、劇場で受け取ってください。
Gallery
しりあがり寿(漫画家)コメント
エンターテイメントでも芸術でもなく、「全人類」必修!
生きることヤルことの「基礎教養」。
山下敦弘(映画監督)コメント
昔のAVみたいな画質に風俗嬢とコビト症のイケダさんが絡み合っている。
不思議と猥褻さは無い。
ホドロフスキーの映画や “ザ・ノンフィクション”を思い出したりしてたら、滝藤賢一に似てしまったイケダさんが出てきて映画が終わった。
試写室を出て新橋駅に向かう途中、急に涙が出そうになったけど、ここで泣いたらあの世のイケダさんにニヤニヤされそうで我慢した。
悲壮感ゼロの壮絶な生き様でした。
前田弘二(映画監督/「まともじゃないのは君も一緒」)コメント
ずっと、池田さんの魅力にやられっぱなしでした。
まるで池田さんのマジックにかかったように、出会う人もみんな魅力に溢れてて、ニンマリしちゃう。
カメラを向ける真野さんと池田さんとの関係が微笑ましいし、羨ましいしで。
なんて素敵な、青春バディムービーなんだ!と思いました。
みんなにはこの映画はどう映るんだろう。どんなマジックをかけられるんだろう。
どう観てもらってもいいよって言ってくれてるような、自由で寛容な映画。
僕、大好きです!
堀井威久麿(映画監督/「香港画」)コメント
可哀想で、守られるべき、小人。
そんな私たちが漠然と思い描いている障害者像を、イケダは完膚無きまでに破壊してくれる。
彼も我々と同じく清濁様々な欲望を持ち、必死に生きてる、普遍的な人間の一人なのだ。
表現の自由と禁忌の境界線をめぐるスリリングな冒険。
本当に揺さぶられた。
必見の一作。
空族 相澤虎之助(脚本家・映画監督)コメント
イケダさんの瞳、その体を支える手のネイル。
倒れたプーさん。
そして登場人物たちのはにかんだ笑顔と笑い声。
この映画は愛 についての映画ではなく、愛の映画だと思う。
それは観せることではなく与えることに賭けた映画だからだ。
ハムレットの言葉を借りるならば
“いつかの亡霊(愛)は悪魔の仕業やもしれぬ。もっと確かな証拠が欲しい。それには芝居こそもってこいだ”
キックボードに乗ったイケダさんは軽やかにラインを越える。
ヴィヴィアン佐藤(美術家/ドラァグクイーン)コメント
それと同時に、カメラの前では「演技をする自分」について言及する。
カメラという呪術的な道具は、「愛」と「演技」を持って、「生」と「死」を丸裸にしてしまう。
映像はいつしかイケダの裸体を何度も通り抜け、何物かを映し出す。
メディアとは常に遺され、残された者たちへの遺言となる。
睡蓮みどり(女優・文筆家)コメント
嘘とか本当とかどうでもよくって、セリフかセリフじゃないかもどうでもよくって、ただ小さな身体を通して語られる言葉や、言葉にしなかったことが、耳や目に残り反響を続けている。
会ったこともないけれど、私は確かにイケダさんと出会うことができました。
巻来功士(漫画家)コメント
池田さんといえば、以前我が家で会食した時の事を思い出す。
その時と同じ穏やかさの彼がそこにいた。
抗えないモノ(死)までハンディキャップの一つとして受け入れようとする強さが画面にあった。
淡々とした表情は五体満足なのに どこかが病んでいるボクらの心に微笑みかける。
そして、力を与えてくれる。
片山萌美(俳優)コメント
『あー、面白かった』と、正直に思った。
あっという間に時間が過ぎ、池田さんの愛を、人生の一部を見せてもらえたのは、贅沢で濃厚なひと時。
この映画に心臓鷲掴みにされる人多いんじゃないかな。
ちなみに私もそのひとりです。
原一男(映画監督)コメント
主人公は四肢軟骨不形成症、いわゆるコビト。
その彼が自らのセックスを我が身を晒して撮ると決める。
一見スキャンダラスに見えるが、実は優れて知的冒険心に満ち、精神の働きの充実さを示す、生きた証なのである。
能町みね子(エッセイスト/漫画家)コメント
いかんともしがたい醜さやかわいさが体というものから濃密に匂ってくる。
心と体を分けて、体はただの入れものだとするという考え方、私は最近あまり好きじゃない。
厄介な奴だけど、体は切り離せない自分の一部である。
映画『愛について語るときにイケダの語ること』作品情報
企画・監督・撮影・出演:池田英彦
出演:毛利悟巳
プロデューサー・撮影・脚本:真野勝成
共同プロデューサー・構成・編集:佐々木誠
配給・宣伝:ブライトホース・フィルム
URL:https://ikedakataru.movie
2021年6月25日(金)よりアップリンク吉祥寺にて最初で最後のロードショー!
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