『パーティで女の子に話しかけるには』は、ニール・ゲイマンが2006年に発表したSF短編集「壊れやすいもの」に収録された同名の短編小説を原作とした実写映画です。
2017年12月に劇場公開され、2019年9月にNetflixでの配信がスタートしました。
- 「青春」映画の皮を被った異色のパンクロック×SF映画
- 異星人という設定ならエル・ファニングに何をさせてもいいと思ってる
- 難解で独特すぎる世界観と哲学的なメッセージ
それではさっそく映画『パーティで女の子に話しかけるには』をネタバレありでレビューしたいと思います。
目次
『パーティで女の子に話しかけるには』作品情報
作品名 | パーティで女の子に話しかけるには |
公開日 | 2017年12月1日 |
上映時間 | 102分 |
監督 | ジョン・キャメロン・ミッチェル |
脚本 | ジョン・キャメロン・ミッチェル フィリッパ・ゴスレット |
出演者 | エル・ファニング アレックス・シャープ ニコール・キッドマン ブルース・ウィルソン マット・ルーカス イーサン・ローレンス ルース・ウィルソン スティーヴン・キャンベル・ムーア トム・ブルック エラリカ・ギャラハージョ アンナ・スキャンラン ジョーイ・アンサー ヘーベ・ベアーゾール ジャメイン・ハンター |
『パーティで女の子に話しかけるには』あらすじ
1977年のロンドン郊外。内気な少年エン(アレックス・シャープ)は偶然参加したパーティで美少女ザン(エル・ファニング)と出会い、音楽やパンクファッションの話で盛り上がり、恋に落ちる。
しかし、遠い惑星に帰らなければならない彼女と過ごせる時間は48時間のみ。大人たちが押し付けるルールに反発した彼らは、一緒にいるために逃避行するが……。
出典:シネマトゥデイ
『パーティで女の子に話しかけるには』感想レビュー
タイトル詐欺
皆さんは本作のタイトル『パーティで女の子に話しかけるには』という字面を見て、どんな内容を想像しますか?
私は、冴えない男の子が憧れのかわいい女の子と仲良くなるために奮闘する青春ラブコメ映画を想像しました。
やっぱり映画は極力前情報を入れずに観たほうが面白いと痛感しました。
『パーティで女の子に話しかけるには』は、いざ蓋を開けるとディープなパンクロックの世界とB級感が漂う奇妙なSFがクロスオーバーするとんでもない作品です。
主人公はパンクロックが好きだけど内気な男子高校生のエン。
女の子と縁はないけど、ギグに通っては友だちとファンジンを書いて楽しく過ごしている。
ある日、エンたちは不思議な音に惹かれて異星人たちの謎の儀式(?)の場に迷い込む。
そこで美しい異星人の少女・ザンと出会う。異星人たちのコミュニティにおける規律に反抗したいザンは、地球から退去するまでの48時間以内に「パンク」を教えてほしいとエンに頼み、一緒に家を抜け出す。
冒頭のあらすじだけでも意味不明じゃないですか?
そもそもタイトルにある「パーティ」が劇中では全然パーティじゃないですからね。異星人の儀式ですよ。
全身タイツの人間たちが新体操みたいな動きをしていて、そのB級感がまた脳を混乱させます。
中盤以降も、エンと異星人たちはエンと親交のあるパンクバンド一行を巻き込んでギグをやったり抗争になったり、ジェットコースターのように進行する映画です。
「予告詐欺」「タイトル詐欺」などの言葉は主にネガティブなニュアンスで使われますが、『パーティで女の子に話しかけるには』に限っては素晴らしい「タイトル詐欺」です。
エル・ファニングがかわいい
美しい異星人の少女・ザンを演じるエル・ファニングが最高です。
(一般的な地球人とは)ちょっとずれた言動でエンにアプローチしてきたり、一緒に地元の生活を楽しんだりします。
とっても可愛いのですが、こういう“不思議ちゃん”な女の子が自分に猛アピールしてきて、パンクロックにも興味を持ってくれて、とか明らかに製作者サイドの(というかオタクの)願望を詰め込んだエッチでけしからん感じの描写はちょっと引きました。
可愛いからいいんですけど。
ただキュートなだけで終わらないのが本作『パーティで女の子に話しかけるには』の見どころで、エンと親交のある地元のバンド「ディスコーズ」のマネージャーであるボディシーア(ニコール・キッドマン)がザンをアメリカの伝説的なパンクロックバンドのボーカルだと勘違いし、ステージに上げてしまいます。
そこで即興の歌と演奏が始まるのですが、もうとにかくぶっ飛んでいて楽しいシーンです。
あの“不思議ちゃん”な雰囲気だったザンが絶叫すれば、エンもステージに乱入するし、隠れて様子を見ていた異星人たちも「何あれ素敵!」って感じで一緒に踊り始めて、ボディシーアさんは両手を挙げて「最高!」とか言ってます。
カオス。これがパンクです(たぶん)。
難解なテーマも込められた秀作
ここまで書いた内容を踏まえると本作『パーティで女の子に話しかけるには』は「何これー!意味わかんねー!最高―!」という頭を空っぽにして観るタイプの映画のようですが、終盤は唐突にシリアスな展開に突入します。
地球を退去しなければならない48時間が迫り、ザンに過酷な選択が突きつけられます。
異星人たちのコミュニティにおける規律を変えるために地球を去るか、エンとともに地球に残るか、という選択です。
そもそもザンがコミュニティに反発し家を飛び出したのは、「親が子どもを食べる」というルールによって自分が間もなく親に食べられる運命にあったためです。
しかし、ザンは子を宿したことにより、出産することで親となり規律の決定権を得るチャンスが与えられました。
出産のためには地球を離れる必要があります。
食べられる運命にある仲間たちを救うか、地球でのパンクな暮らしを続けるか。
結末はぜひ自身の目で確かめてください。
ここまで「異星人」と書いてきましたが、劇中でエンたちはザンが属する奇妙なコミュニティを“猟奇的なカルト集団”と認識しています。
観客サイドから見て重要なのは“彼らは本当に地球外生命体だったのか”ということではなく“あの奇妙なコミュニティは何を象徴しているのか”です。
映画の舞台である1970年代イギリスのパンクムーブメントには、労働者階級による反体制、反権威主義的な思想が含まれています。
パンクロックを敬愛するエンが社会に不満を持つ労働者階級の若者の象徴で、厳しい規律の中で生きるザンが上流階級の象徴と見ることもできます。
と考えると「親が子どもを食べる」という行為は、名作映画『いまを生きる』で描かれていたような、親が子どもの自由を奪い、親が理想とする人生を歩ませようとすることを意味しているかもしれません。
『いまを生きる』におけるニールは、本作における「親に食われる子ども」の代表例とも考えられます。
上流階級にあってパンクの精神を持つ少女であるザンが、労働者階級のエンに力を借りて大人が敷いたレールを歩む人生に反発する物語のメタファーと捉えることができますね。
また、ラストシーン直前に、ザンの口から意味深なセリフが飛び出します。
彼女が所属する異星人?カルト集団?のコミュニティにおける6つの“コロニー”は、それぞれ「心、精神、声、意思、性、力」の象徴であるとエンに説明します。
それに対してエンはザンの持つ指輪を7つめのコロニー=“心臓”だ、と言います。
そして「心臓とはインターチェンジ、出入り口、その向こうに愛がある」と会話を締めます。
あまりにも突然に哲学的なやり取りが交わされて困惑しましたが、まるで“ザンが属するコミュニティ”=“1人の人間の内面”を表しているかのような会話です。
つまり、『パーティで女の子に話しかけるには』は“恋に落ちた少女の内面”を描いた作品として観ることもできるかもしれません。
カオスなコメディと幅広い解釈、考察の余地を両立した秀作『パーティで女の子に話しかけるには』はとてもおすすめです。
『パーティで女の子に話しかけるには』まとめ
以上、ここまで映画『パーティで女の子に話しかけるには』についてネタバレありで紹介させていただきました。
- タイトルとは裏腹にジェットコースターのような急展開で進む「パンクロック×SF」映画
- 映画が終わるころには皆エル・ファニングの虜
- “労働者階級と上流階級”のメタファーか?あるいは…?幅広い解釈の余地