娘たちとの暮らしのために、ネットで見つけた情報を頼りに自力で家を建てようとするシングルマザーと彼女の周囲の人々とのやりとりを描いた映画『サンドラの小さな家』。
- 『マンマ・ミーア』監督と『女王陛下のお気に入り』の制作スタッフが贈る感動作品
- 主演のクレア・ダンの熱演が胸を熱くする
- 予想外の結末に衝撃を受けること間違いなし
ハッピーエンドが待っている、ただのDIY映画と思ったら大間違い。
現代の日本でも起こり得る事例をはじめとした、シングルマザーが抱える問題や障害をも描いた社会派な一面もあるヒューマンドラマとなっています。
衝撃的なラストには、きっと多くの人が驚かされてしまうことでしょう。
目次
映画『サンドラの小さな家』作品情報
作品名 | サンドラの小さな家 |
公開日 | 2021年4月2日 |
上映時間 | 97分 |
監督 | フィリダ・ロイド |
脚本 | クレア・ダン マルコム・キャンベル |
出演者 | クレア・ダン ハリエット・ウォーカー コンリース・ヒル モリー・マッキャン |
音楽 | ナタリー・ホルト |
【ネタバレ】映画『サンドラの小さな家』あらすじ・感想
ただのDIY物語じゃない。1人の女性の再起物語
公開されているあらすじのイメージと本編のギャップが、ここまで大きい映画というのも珍しいでしょう。
『サンドラの小さな家』は、そんな映画です。
斎藤あやめ
あらすじだけ読むと、多くの人が「紆余曲折ありながらも、シングルマザーのヒロインが周りの人々の力を借りて一軒家を建ててハッピーエンド」というイメージを持ってしまうかもしれません。実際に、著者もその一人でした。
しかし、本作では虐待を受けた主人公と虐待を目撃してしまった娘のPTSD症状についてや、アイルランドの福祉事情やシングルマザーの貧困問題など現実的な問題がしっかり描かれています。
「ネットで得た情報をもとに自分で家を建てる」という点に注目して観に行ったり、DIYに興味があって観に行ったりすると、少し肩透かしを食らわせられた気分になってしまうかもしれません。
斎藤あやめ
「主人公が家を建てる」ことは、この映画の見どころの一つなのは違いありません。
しかし、大事なのはその事実だけではなく、そこにたどり着くまでの過程なのです。
離婚後のサンドラが抱える問題は深刻です。
夫の虐待からは逃れることはできたものの、福祉住宅の入居の目処は付かず、いつまで続くか分からない狭いホテルでの仮暮らしに金銭的問題、そして元夫のプレッシャーなどが襲いかかり、確実にサンドラと娘たちが心をすり減らしているのが画面からも伝わってきます。
虐待という酷い問題があったのにも関わらず、冒頭に出てきた離婚前のサンドラと娘たちの方が幸せだったと思えるくらいです。
斎藤あやめ
他人の目を気にすることなく安心して娘たちと暮らすために、サンドラはあてにならない福祉に頼ることは辞め、自分自身で自分たちの家を建てることを決意します。
斎藤あやめ
切実すぎる問題の数々が起爆剤になったとはいえ、ネットで見つけた不確かなセルフビルドの情報を信じて実行に移そうとする彼女に、見ている方は心配ではあるものの、離婚後で一番輝きを感じた瞬間だったかもしれません。
よく映画のヒロインが、チャーミングさやひた向きさで第三者を惹きつけて、結果的に目標を達せするという手法は映画でよく見られるものです。
斎藤あやめ
彼女のチャーミングさは時折、垣間見ることができますが、協力者たちに向かっては発揮されていません。
むしろ、協力者たちから見るサンドラは愛想の良い、いわゆる「愛されるヒロイン」型の女性とは真逆のものです。
実際に、精神的に不安定になっている姿を何度も彼らに見せています。
彼女の切羽詰まった雰囲気と恐ろしいくらいの本気度が人々を動かしてしまったと考えると、「こんな都合よく人が集まるもんか」という天邪鬼な気持ちさえも湧いてきませんでした。
斎藤あやめ
原題の『herself』が持つ深すぎる意味
『サンドラの小さな家』の原題は『herself』です。
「彼女自身、彼女自ら」という意味合いを持つ「herself」は、まさに本作にぴったりな言葉といえます。
斎藤あやめ
本作では、主人公のサンドラ自身が行動を起こし、ただ家を建てるだけでなく、自分自身の人生を新しく立て直していきます。
偶然知り合った建設業者のエイドや職場の仲間、娘の友達のお母さんなど、ひとりひとりに自ら頭を下げ、協力を願います。
雇い主・ペギーの土地と資金の援助についても、サンドラの母親とペギーの関係性も大きく影響したとはいえ、ただの幸運では片付けられません。
サンドラの行動と熱意にペギーが心を動かされなければ、援助を得ることも難しかったでしょう。
家を建てることで、自分の望む新しい人生を手に入れようとしたサンドラ。
物語では、家作りで発生する問題だけでなく、元夫に娘たちの親権を奪われそうにもなります。
親権を失うかもしれないと絶望にくれるサンドラが「娘たちと暮らせないなら、家なんて建てても意味がない」と自暴自棄になるシーンは、再び私たち人間にとっての「家」というもの重要さを気づかせてくれることでしょう。
たとえ立派な家が出来上がったとしても、一緒に暮らしたいと思っていた人がいないならばその家は何の意味もない、ただの空間でしかありません。
斎藤あやめ
サンドラは、ペギーやその娘、そしてソーシャルワーカーの力も借りて、彼女自身で自分の人生を取り戻すかのように親権を取り戻します。
この裁判のシーンは、ペギーとサンドラの会話、サンドラの証言など、非常に見どころの多いシーンとなっています。
映画『サンドラの小さな家』衝撃すぎるラスト結末
斎藤あやめ
ラストの直前まで「このままハッピーエンドか」と観客に思わせておいて、まさかまさかのどんでん返しが待ち受けています。
あまりのことに呆気にとられてしまう人もいるかもしれません。
斎藤あやめ
物語のラスト、あまりの出来事に意気消沈するサンドラの元に訪れた意外な人物の言葉と、シャベルを片手にしたサンドラの表情から、今がまさに彼女の新しい人生の本当のスタートであり、そして彼女の人生にこれから、どんな困難が襲ったとして「彼女自身」で何度でも建て直していくのだと十分に観客に感じさせて、映画は終わります。
斎藤あやめ
アイルランド古来の精神「メハル」の言葉通りに救われた人々
映画をすでに見た方の中で、建設業者のエイドが口にする「メハル」という言葉が胸に残った方も多いのではないでしょうか。
斎藤あやめ
この「メハル」の意味通り、シングルマザーのサンドラの家作りを助けるために、集まった人々の表情が家が完成する頃には見違えるほど明るく豊かになっていることに気づかされます。
エイド、ペギー、パブの同僚とその仲間たち、娘の友達の母親など、サンドラの家作りに協力した彼らもまた、大なり小なり問題を抱えている人々です。
そんな彼らが、サンドラの家作りのために集まり助け合った結果、自分たちも助けられていたのです。
その様子は、エイドの表情の変化などでも感じられますが、著しいのはペギーの変化でしょう。
前半では、どこか陰気な雰囲気を醸し出し、補助がないと歩行も不安な状態だったペギーが、物語が進むにつれて表情は明るくなりますし、洋服もオシャレになります。
そして、何よりも裁判のシーンあたりから一人で歩いているのです。
斎藤あやめ
サンドラ自身が行動を起こしたからこそ彼女は家を作ることができましたし、そして人生を勝ち取ることもできました。
しかし、その結果は彼女の熱意に打たれて、集まった人々がいたからこそ。
さらに、集まった人々もただサンドラに「与える」だけでなく、彼ら自身も救われるという結末は、まさに「メハル」そのものです。
斎藤あやめ
いろいろ難しい世の中になり、他人とのつながりが気薄になってしまいがちな今だからこそ、ぜひ多くの人に見ていただきたい作品です。
映画『サンドラの小さな家』あらすじ・ネタバレ感想まとめ
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『#サンドラの小さな家 』
全国公開中🏡
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以上、ここまで映画『サンドラの小さな家』についてレビューさせていただきました。
- 家だけでなく、人生をも立て直した主人公の行動力と本気度の高さに惹きつけられる
- 満足度の高さも納得!ラストシーンの主人公から勇気がもらえる
- こんな今だからこそ見て欲しい「人々の絆の素晴らしさ」が感じられる作品