2011年3月11日、午後2時46分。
マグニチュード9.0、最大震度7という日本の観測史上最大となる巨大地震が発生し、大津波が福島第一原子力発電所(イチエフ)を襲ったあの日。
浸水で全電源を喪失、ステーション・ブラック・アウト(SBO)に陥ったイチエフは冷却不可能な状態に陥ります。
このままではメルトダウン(炉心溶融)により、想像を絶する被害がもたらされることは明らか。
最悪の場合、被害範囲は東京を含む半径250㎞、その対象人口は約5,000万人にのぼると官邸は試算。
残されたベントという方法は世界で未だ実施されたことのない、作業員たちが原子炉内に突入し手作業で行うことが要求される危険な作戦でした。
原作は門田隆将による90名以上に話を聞き執筆したノンフィクション「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」。
渡辺謙、佐藤浩市など豪華キャストで、使命感と郷土愛に貫かれ、壮絶な戦いに身を投じた人たちを描いた作品です。
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目次
『Fukushima 50』作品情報
作品名 | Fukushima 50 |
公開日 | 2020年3月6日 |
上映時間 | 122分 |
監督 | 若松節朗 |
脚本 | 前川洋一 |
原作 | 門田隆将 |
出演者 | 佐藤浩市 渡辺謙 吉岡秀隆 緒形直人 火野正平 平田満 萩原聖人 吉岡里帆 斎藤工 富田靖子 佐野史郎 安田成美 |
音楽 | 岩代太郎 |
【ネタバレ】『Fukushima 50』あらすじ
2011年3月11日、午後2時46分。
福島第一原子力発電所(イチエフ)を襲ったマグニチュード9.0、最大震度7の巨大地震。
福島第一原子力発電所、原子炉一号機、二号機を操作する中央制御室(通称:中操)の当直長だった伊崎利夫(佐藤浩市)は、サービス建屋が崩れ落ちるのではないかと思われるほどの揺れに襲われながらも、原子炉の緊急停止(スクラム)に備え、部下たちに指示を出していました。
運転員たちは、制御棒が入って無事原子炉が緊急停止したことをパネルで確認。
また非常用ディーゼル発電機(略称:DG))も起動し、非常用の炉心冷却装置(ECCS)も異常なく待機していることも確認されます。
いつもの訓練通り、マニュアル通りに事は進んでいて、伊崎はこの時はまだ順調だと思っていました。
免震重要棟の緊急対策室(通称:緊対室)で、対策の陣頭指揮を取り始めていた福島第一原子力発電所所長である吉田昌郎(渡辺謙)は、部下たちに慌てず対応するよう指示。
原子炉建屋、タービン建屋など重要な施設は海面から10メートルという高さにあるイチエフ。
しかし、歴史上この地に襲来したことがない10メートルをはるかに超える巨大な大津波に襲われ、DG建屋は水没してしまいます。
そのため全電源が喪失し、原子炉が制御不能になるステーション・ブラック・アウト(SBO)が発生。
原子炉は「停める」「冷やす」「閉じ込める」の三段階を経て、初めて制御されます。
中操にいる現場の作業員から報告を受け、緊対室に詰めていた東電職員たちの背筋が凍り付きました。
原子炉が「冷やせない」ということは、いずれメルトダウンによって想像を絶する被害が出てしまうからです。
福島原子力発電所には第一、第二あわせて10基の原子炉があり、吉田が想像した最悪の事態はチェルノブイリの10倍の被害。
それは「東日本の壊滅」を意味していました。
電力を喪失した暗闇の中、中操に残り懸命に作業する伊崎たち。
状況を把握しきれない東電本社(本店)や官邸からの指示に怒りを覚えながらも、事態を収拾すべく部下たちを鼓舞する吉田。
しかし、事態は悪化の一途を辿り、原発周辺の住民たちは避難を余儀なくされます。
そこには伊崎の家族の姿もありました。
現場に残されたたった一つの方法は、ベント。
冷却水が蒸発して圧力が上昇している格納容器内の、蒸気を外に逃がして圧力を下げること。
どんな状況なのかまったくわからないまま、原子炉に突入して手作業で排気作業を行う…。
この危険な手段は未だかつて、世界で実施されたことのないものでした。
吉田からメンバーを選んでくれと託された伊崎は、中操にいる部下や、駆け付けてくれたベテランたちにベントに行くメンバーを募ります。
伊崎自身が手を挙げ、誰か俺と一緒にと言うと同時に、次々と挙がる運転員たちの手。
「俺が行きます!」「僕が」
ベテラン運転員である大森(火野正平)に残って指揮を執れと言われた伊崎、まだ年若い青年たちを除いた中から6人がベントに向かう「決死隊」として準備を始めます。
ところがそこに欲しい情報が集まって来ないことや、東電の態度に業を煮やした総理(佐野史郎)自らがイチエフにやって来るとの連絡が入ります。
これからの作業の説明をし、何とか総理一行を納得させた吉田。
そしてついに、ベント決行の指示が出ます。
第一陣として大森たち2人が原子炉に突入します。
恐ろしく長く感じた数分間の後、伊崎はいてもたってもいられず原子炉に向かおうとして部下たちに止められます。
そこへ戻って来た仲間からは、成功したとの報告が。
喜びで沸く中操。
しかし第二陣の2人は、あまりの線量の高さに途中で断念せざるを得なくなってしまいます。
すみませんと泣いて謝る2人ですが、90ミリシーベルトを越える被ばく量が確認され、愕然とします。
刻々と線量が上がっていっている、このままでは建屋に近付けなくなる。
そこで名乗りを挙げたのは、前田(吉岡秀隆)たちでした。
1号機に育てられたと言う前田は「自分の方が1号機に詳しい、あいつ(1号機)を助けてやりたい」と訴えます。
しかし、前田たちがベントに向かった直後、緊対室から原子炉の排気筒から白い煙が出ているとの連絡が入ります。
原子炉内で何かが起きている。
伊崎は慌てて、前田たちを呼び戻しに行かせ、何とか原子炉建屋内への突入を止めます。
その後1号機が爆発し、現場は必死に作業を続けるも、二日後には3号機も爆発してしまいます。
行方不明40人の報告に、一度は吉田も崩れ落ちそうになりますが、怪我人は出たものの何とか爆発での死者はいないとわかります。
線量は上がり続け、ついにもう駄目かもと誰もが思った時。
吉田は最低限の人員を残して、まだ700人以上いた人たちへ退避命令を出したのでした。
死を覚悟しながらも緊対室に残ったメンバーたちは、家族へのメールをそれぞれ送信します。
しかし危険な状態であった2号機は爆発を免れ、伊崎たちは家族の元にやっと戻ることができます。
避難所にいた人たちは伊崎たちを責めるでもなく、よくやってくれたと労うのでした。
在日米軍のトモダチ作戦で物資も届き、考えられる中で最悪の事態はとりあえず免れた福島。
しかし、吉田は事故から二年後、58歳という若さでこの世を去ります。
伊崎は関係者以外の立ち入りを制限された町にやって来て、満開の桜並木の中、亡くなった吉田と交わした言葉を思い出すのでした。
原作は門田隆将氏のノンフクション
『Fukushima 50』の原作は「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」というノンフクション小説です。
門田氏が90人を超える関係者たち、東電や協力企業、自衛隊、科学者、政治家、地元の人々に話しを聞いて書き上げた本書は、英語や中国語などにも翻訳され、多くの人の手に取られてきました。
くりす
映画では、吉田所長以外の人々は違う名前になっていますが、本書はご本人たちの実名で綴られています。
あの日、あの時、中操や緊対室でどんなやりとりがあったのか。
危険だとわかっている場所に、作業員たちはどうして飛び込んでいけたのか。
自衛隊の果たした役割は何だったのか。
不幸にも津波で亡くなってしまった若き作業員のご遺族や、避難せざるを得なくなった人々のお話。
当時、ほとんどの日本人が知る術もなかった真実が全編に渡って記されています。
くりす
本書には、作者のイデオロギーは書かれていません。
「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」は、反原発・原発推進派関係なく、命懸けで戦ってくれた人たちの記録として読む価値のある一冊です。
くりす
ぜひ映画と合わせて小説も読んでみることをおすすめします。
『Fukushima 50』感想
「あの日」から9年。今一度震災について考えるきっかけになる意義ある作品
「復興五輪」と銘打たれた「2020年東京オリンピック・パラリンピック」の開催を控えた2020年3月6日。
震災から9年目にあたる年に、今一度震災の記憶と向き合うため、復興への思いを新たにする作品をと製作され、震災の起きた日の5日前に公開されたのが、本作『Fukushima 50』です。
20代以上の日本人なら誰もが一生忘れることができないだろう東日本を襲った大地震、予想をもしなかった大津波、そして原発事故。
日本はどうなるかと心配し、恐怖におののきながらもテレビが伝える速報を見守っていた時から、すでに9年の時が過ぎました。
福島の原子力発電所が大変なことになっているというニュースが飛び込んできてからの数日間、原発はどうなるのか、爆発した場合の放射能汚染の範囲は、日本の被害はどのくらいの規模になるのか、に関心が集まっていました。
くりす
しかし福島原子力発電所は、今なお「水との闘い」が続いているものの大爆発を免れ、最悪のシナリオと言われた東日本壊滅を免れました。
全電源が喪失した中で、炉心の冷却ができなくなり、炉心損傷事故に至った1号機から3号機。
水素爆発を引き起こした4号機。
一番危険な状態だった2号機。
おそろしい事故の只中で、それでも最悪の事態を何とか免れようと奮闘してくれていた大勢の人たちが福島原子力発電所にはいたのです。
最終的には700人にも及ぶ人たちの9割は、吉田所長の指示で福島第二原子力発電所に避難し、最低限の人員として残ったのは70人。
女性社員や協力企業の方たちも、この時やっと避難されたのです。
くりす
しかし、一度は避難した方たちも、少ない人数では作業が進まないからと何人も自ら現場に戻って行かれたそうです。
それは東電の社員だけでなく、協力企業の人たちもでした。
本作は地震が起きてから、2号機の圧力が下がるまでの5日間を描いています。
くりす
だからこそ、9年経ったことで大災害で起こった現実をもう一度考えるきっかけになる、そんな意義がある作品です。
映画の冒頭は迫力もあり、素晴らしい出来。しかし「映画」としては少しの不満も
邦画にしてはかなりの予算を投じて製作されたとのことですが、地震のシーンから始まったことには驚きました。
そして、原子炉は緊急停止したと思った矢先の、予想を超える大津波。
そこでやっと出る『Fukushima 50』のタイトルバック。
くりす
予告で何度も観たベントに行くメンバーを募るシーンはわかっていても涙ぐんでしまいますが、ベントの成功、失敗、写真をみんなで撮るシーンも胸が詰まって苦しいほどです。
原作者の門田氏の話で、吉岡秀隆演じる前田のモデルとなった方のエピソードがありました。
ベントに行くため防護服を着る時、一度外した結婚指輪をもう一度付け直すシーンがあるのですが、もし原子炉から戻って来られなかった時、遺体もすぐに回収できなくなった時、この指輪をしていることで何年後であっても家族が自分だとわかるようにと、そういった意味があったそうです。
くりす
事実に基づいた物語なので、ノンフクションである原作との違いは見られましたが、映画になったことで脚色は仕方ないことだと思っています。
総理についても、何を思って、どんな状況で、現場に行こうと考えたのか、原作はしっかりと本人の言葉が記されているため、映画とではイメージが違っています。
それから、伊崎当直長のモデルとなった方のこと。
彼は子供の頃、1号機建設のため日本に来ていたアメリカのゼネラル・エレクトリック社の子供たちとよく遊んでいたそうです。
それこそ、映画の1シーンだったようにラジコンを飛ばしたりして。
くりす
ラストシーンも桜並木は本当に美しく、実際に桜満開の夜ノ森で撮影されたことも素晴らしいとは思いますが、あまりに綺麗に話をまとめて終わるため、この点において美談にすべきではないという感想が出てしまうのも、仕方ないかなと思いました。
改めて考える復興と、今なお続く戦い
政権批判、東電批判または東電擁護、美談にするのは間違い、事実とは違うのでは?など様々な意見がどうしても出る映画です。
くりす
けれど『Fukushima 50』の根本は、地元の工業高校を出ているような本当に普通の会社員の人たちが、現場で自らも被災しながら、命の危険にさらされながらも何とか大惨事を食い止めようとした姿を描いたものなのです。
多くの人たちの努力で救われたと、9年経っていても知ることが結局は一番大切なことだと感じます。
少しずつですが復興は着実に進み、先日ついに常磐線も全線再開しました。
まだまだ先の長い道のりですが、観終わった後、少しでも自分たちにできることを考えてみるのもいいことなのでは。
くりす
震災当時、危険な現場で懸命に作業して下さった多くの作業員、自衛隊員、消防隊員、今なお高い放射線量の中で作業を続けて下さっている方たちに、最大限の感謝と敬意を表して。
『Fukushima 50』まとめ
以上、ここまで『Fukushima 50』についてネタバレありでレビューさせていただきました。
- 吉岡秀隆の見せ場はすべてが名シーン!自衛隊員の言葉には本当に頭が下がる思いになる
- 映画に何かを感じた人は、とにかく原作を読むべし!
- 「映画」として見れば不満も少々ありますが、震災や原発について今一度考えるきっかけをくれる意義のある作品