東日本大震災からまもなく11年。その1週間前となる3月4日(金)に、曽根剛監督×『カメラを止めるな!』の上田慎一郎脚本によるヒューマンドラマ『永遠の1分。』が公開されます。
「東日本大震災を題材にしたコメディ映画を撮る」という、文字だけだとやや不謹慎に感じられるキャッチコピーですが、本作には震災との向き合い方、そして3・11を忘れてはいけない大切さを、様々な人物の視点で描いたドラマが印象的な作品でした!
・被災者、そして部外者の目線も丁寧に描く
・いろんな震災との向き合い方を肯定するドラマ
それでは『永遠の1分。』をネタバレなしでレビューします。
目次
『永遠の1分。』あらすじ【ネタバレなし】
日本で震災のドキュメンタリーを撮ろうとするが人々は…?
アメリカ人のディレクター・スティーブ(マイケル・キダ)は、撮影中にトラブルを起こしてばかりで、ボスをいつも怒らせていた。
スティーブと相棒のカメラマン・ボブ(ライアン・ドリース)は、日本に行って災害のドキュメンタリーを撮ってくるよう命令される。
コメディを得意とするスティーブは嫌がるが、断ればクビと言われ、しぶしぶボブと2人で来日することに。
しかし、スティーブは言われた通りドキュメンタリーを撮る気などさらさらなく、ニンジャ映画を撮ろうとはしゃぐ始末だった…。
日本では通訳を担当する小林レナ(ルナ)がガイドを務め、さっそく都内で3・11についてインタビューを行う。しかし多くの人々は東北の現状をよく把握していないどころか、あまり気に留めていない様子すら感じられた。手ごたえのなさを感じたスティーブだが、実際に東北を訪れると考えは一変する。10年近く経った今でも、そこではまだ震災後の立て直しが行われている最中だった。
震災のコメディ映画の制作を決意するスティーブ
後日、スティーブは3・11の復興演劇の練習に遭遇する。そこで記者の女性・マキ(片山萌美)から津波を表現する演技の練習をしていると教えられる。津波を演技で表現するのは不適切ではないかと感じるスティーブに、マキは実際に演技を観に来てほしいと言い残す。
演劇は被災した水族館で行われ、被害当時の辛い出来事だけでなく、前向きに生きる水族館の職員たちを表現した内容だった。観客からも前向きな作品が見れてよかったという声を聴いたスティーブは感化され、3・11を題材にしたコメディ映画を作って、被災地を励まそうと決意する。
しかしボブはこれに猛反対。アメリカ人である”部外者”の自分たちが、戦争など人間の愚かさをコメディにするのはまだしも、自然災害を笑いのネタにするのは強いバッシングを受けると説明する。それに対してスティーブは、自然災害はただ悲しむだけしかできないのかと疑問を抱く。
ロスに旅立った被災者の歌手
引き続き取材を続けるスティーブは、被災地の人も笑顔になるために工夫をしていたり、気が滅入らないように楽しく過ごせるよう務めている人も多くいることに気づく。スティーブの活動を聞いた被災者の中には「被災していない方でも、震災を取り上げてもらうのはありがたい」と話す人もいた。
しかしいざ制作しようとするも、どこの制作会社もバッシングを恐れて取り合ってくれない。そこで記者のマキがスティーブ達の活動を記事にするが、編集長の勝手な修正により、スティーブは被災地を応援する人ではなく、被災をネタに金を得ようとする部外者のように取り上げられてしまった。編集長に対して怒りをあらわにするマキだが、編集長は「部外者は黙っていろ」と言い放つ。彼もまた被災地である福島の出身だった…。
八方ふさがりになったスティーブは諦めて帰国を決意する。その途中、乗ったタクシーの運転手から、被災によって息子を亡くした女性シンガー・レイコ(Awich)の話を聞く。
レイコは被災後に夫を残してロサンゼルスに移り、歌のせいで息子を亡くしたという罪悪感を持ったまま過ごしていた。ある日、レイコは友人のパーティーである人物に出会い、考えが少しずつ変わり始めるが…。果たしてレイコはふたたび歌うことができるのか?そして、スティーブのコメディ映画は無事制作されるのか?
『永遠の1分。』感想
震災を絶対に忘れてはいけない理由
震災から約10年後を舞台にしている本作ですが、現地ではまだ復興作業の真っただ中である場面は、これまで震災に対して関心のなかった・被災をしていない人からすると、かなりショッキングな場面となっていました。
スティーブ達が取材をする場面では、コーディネーターから当時の過酷な状況を聞いて、言葉を失うスティーブ達の姿が映し出されます。その表情は演技ではなく、マイケル・キダ自身が大きなショックを受けているようにさえ見えました。このパートはどこかドキュメンタリータッチにも感じられ、より被災地の現状がリアルに伝わってきます。
しかし被害はこの震災に限らず、津波に至っては何度も起きているのです。それにも関わらず、人々はまたこの地に戻ってきてしまいます。スティーブがその理由を尋ねると、コーディネーターは「(被災したことを)忘れてしまうからだと思います」という衝撃的な言葉が返ってきました。
被災した人でさえ、長い年月が経てば当時のことを忘れてしまうのです。この言葉を聞くと、本作のように震災をテーマにした映画や番組が今も取り上げられることは、すごく意味のあることだと痛感します。
被災者・部外者の目線も丁寧に描く
本作では被災者だけでなく、被災を経験していない、いわば部外者の目線も丁寧に描いています。主人公のスティーブはアメリカ人。被災をしていないだけでなく、国籍的にも部外者です。それゆえ、どうやって被災者に寄り添った内容の映画を作ればよいか苦悩する様子を描いています。
制作会社は「震災のコメディ映画」と聞けば炎上を恐れて取り合わない。外国人が震災を取材と聞けば、ネガティブな題材で金儲けを企んでいると誤解されるなど、スティーブの意志に反することばかりです。
被災者の中にも「震災を題材にしてくれることはありがたい」というものも入れば、「部外者に口出ししてほしくない」と訴える人もいました。ひとつの答えを押し通すのではなく、被災者・部外者ならではの苦悩を描くことで、同じ震災でも受け止め方はそれぞれあるのだと教えてくれます。そしてそれは、どれも間違いではないことを表現していました。これは後述する「様々な震災との向き合い方を肯定する」意味に説得力を持たせてくれます。(とはいえ、許されない行為に走る人が一部いましたが…汗)
いろんな震災との向き合い方を肯定するドラマ
本作の最大のテーマは、タイトルに「永遠」とあるように、3・11のような被害を決して忘れてはいけないというメッセージだと感じます。
しかしそれは説教臭い内容ではなく、あくまで忘れないために様々な震災との向き合い方があってもいいじゃないか、という前向きなドラマとして描いていました。
今作でスティーブがコメディという手法をとったのも、自分が得意とするジャンルで何か被災地にできることはないかと考えた結果です。決してゴシップとして面白おかしく震災をネタにしているわけではありません。
その一方で、被災した人にはそっとしてほしいと願う人、今もなお悲しみから抜け出せない人がいることも事実。そうした人を否定することもなく、どんな感情を持っていても3・11の出来事を風化させないことが重要だと、スティーブの強い意志から感じ取れます。
あらゆる震災との向き合い方を肯定する作品は、震災から10年以上たった今でこそ意味を持つと感じられる良作でした!
『永遠の1分。』あらすじ・感想まとめ
・被災者・部外者の目線を優しく丁寧に描く
・いろんな震災の受け止め方があっても良いと肯定してくれる作品
以上、ここまで『永遠の1分。』をレビューしてきました。
ヤマダマイ