ニコ・トスカーニ
映画監督は映画に関する「演出」をします。
演出をすると映像制作において様々なプロセスに関わらなければならないわけですが、映画監督になるような人はもともとどんな仕事をしてどんな勉強をしてきたのでしょうか?
どんな人がどうやって映画監督になるのでしょうか?
今回は、映画監督がどんなキャリアパスで映画監督になるのか。
実際のパターンを紹介していきたいと思います。
ニコ・トスカーニ
目次
映画監督になるにはどんな方法がある?
映画監督になる方法①現場からのたたき上げ
かつて映画界には撮影所システム(スタジオ・システム)と呼ばれるものがありました。
アメリカを発祥元とする撮影所システムは国によって微妙に違いますが、以下のような特徴を備えていました。
- 映画製作会社が撮影スタジオを所持する。
- 監督、脚本、俳優、プロデューサー、技術スタッフなどがスタジオと長期契約する。
アメリカでは「スタジオによる製作・配給・上映の所有権が独占禁止法違反にあたる」と司法判断が下り、戦後から1950年代にかけてシステムが崩壊しました。
日本では1970年代に映画産業そのものが斜陽になったことで、スタジオに多くの人員(社員)を抱えておく体力がなくなり、このシステムは崩壊しました。
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日本が生んだ大巨匠、黒澤明(1910-1998)のキャリアは典型的な撮影所システムパターンです。
黒澤は26歳の時に夢だった画家の道を諦め、ピー・シー・エル映画製作所に入社、助監督として現場で経験を積み、『姿三四郎』(1943)で監督デビューを果たしています。
同じく撮影所の助監督からスタートした溝口健二(1898-1956)、スタジオの社員アニメーターからスタートした市川崑(1915-2008)、撮影所の撮影助手からスタートした木下惠介(1912-1998)や、他にも岡本喜八(1924-2005)、小林正樹(1916-1996)、野村芳太郎(1916-2005)、熊井啓(1930-2007)、大島渚(1932-2013)など戦前生まれの有名映画監督は大体が撮影所に入社→経験を積んで映画監督デビューのパターンです。
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降旗康男が84歳で死去、「鉄道員」「あなたへ」など高倉健とのタッグで知られるhttps://t.co/WV5TInREY5 pic.twitter.com/xYYPymFBub
— 映画ナタリー (@eiga_natalie) May 26, 2019
この撮影所システムの良いところは「商業映画の現場で経験を積める」ところにあります。
商業映画の現場で経験を積めるということは、商業映画の規模でしか使わないような機材を使う経験値が積めるということでもあります。
クレーンやドリーなどの大がかりな移動撮影で使う特機はそれ自体が非常に高価なうえ、操作する専門のオペレーターが人手として必要です。
そういった事情から低予算の映画で使われることはありえません。
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こういった機材は使ってみないと使い方がわかりません。
が、撮影所システム育ちの監督は下積み時代からこういう特機を使っているのでカメラワークが多彩でダイナミックです。
前述した監督たちだと特に野村芳太郎は画面の動きが大変にダイナミックで、『砂の器』(1974)などその技巧が頂点に達した「商業映画」ならではの演出が見られます。
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少なくともわが国で映画の現場たたき上げ監督はもはや希少な人種で、生き残りと言えば東映の社員監督(現在は独立)だった橋本一、日活の社員だった中田秀夫がいるぐらいです。
たたき上げの伝統が今でも一応生きているのがピンク映画で、ピンク映画経験者から時折、メジャー系の映画監督が出てくる場合があります。
例として「相棒」シリーズでお馴染みの和泉聖治、硬派な社会派映画で知られた若松孝二、『おくりびと』(2008)で国際的にも知られることになった滝田洋二郎、『感染列島』(2009)『64-ロクヨン-』(2016)など今や大作映画のイメージが定着した瀬々敬久などはピンク映画の出身です。
是枝裕和は制作会社のADからスタートし、ドキュメンタリーのディレクターから映画監督に転身しています。
逆にアニメ界は今もたたき上げがメインで、大抵の有名監督はアニメーター出身です。
御大の宮崎駿もそうですし、もう少し下の世代の庵野秀明や細田守も元はアニメーターです。
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アメリカでもベテランの映画監督はたたき上げが多いです。
スティーヴン・スピルバーグはテレビの演出で経験を積んで劇場映画デビューしています。
マーティン・スコセッシは「B級映画の帝王」と呼ばれたロジャー・コーマンのもとで経験を積みメジャー映画でデビュー。
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スティーブン・ソダーバーグはフリーランスの編集者として経験を積み、長編映画デビューしています。
ポール・トーマス・アンダーソンはテレビのプロダクション・アシスタントを経験して短編映画で監督デビューしています。
CM、ミュージックビデオの演出から映画監督になる例も散見されます。
『her/世界でひとつの彼女』などで知られるスパイク・ジョーンズはその両方の分野で活躍して映画監督になった例で、監督デビュー以降も時折ミュージックビデオを手掛けています。
特にアーケイド・ファイアの”The Suburbs”のミュージックビデオはミュージックビデオと言うより、セリフの無い短編映画と言った方がしっくりくるような内容の濃さです。
『アラビアのロレンス』などで知られるイギリス映画史に残る名匠、デヴィッド・リーン(1908-1991)もカメラマン助手、助監督、編集などを経験して監督デビューしたバリバリのたたき上げです。
『男たちの挽歌』のジョン・ウーは映画会社の助監督から監督デビュー。
『ニュー・シネマ・パラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレはドキュメンタリー制作から映画監督。
『Roma/ローマ』のアルフォンソ・キュアロンはテレビのディレクターから映画監督に転身。
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アメリカの比較的若い世代でちょくちょく見るパターンが大学で映像制作を学んで業界入りするパターンです。
『ラ・ラ・ランド』で若くしてアカデミー賞監督になったデイミアン・チャゼルは卒業論文の一部としてミュージカル映画を製作し監督デビューを果たしています。
トッド・フィリップスは大学在学中にドキュメンタリー映画を製作し監督デビューしています。
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映画監督になる方法②技術者上がり
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ヤヌス・カミンスキー、ロジャー・ディーキンス、ジョン・トールなど、彼らは確たる実績を持つ名だたる撮影監督ですが映画監督としてのフィルモグラフィはゼロです。
比較的最近の例だとクリストファー・ノーラン監督作品で撮影監督を務めていたウォーリー・フィスターは『トランセンデンス』(2014)で監督デビューしましたが、評価は散々でした。
日本映画界の歴史に残る名カメラマンである木村大作は70歳を過ぎて監督デビューし、ある程度の評価を獲得していますが、彼のような例は珍しいです。
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技術畑出身者で最も成功している映画監督は『セブン』『ゴーン・ガール』などのデヴィッド・フィンチャーではないかと思います。
意外と知られていませんが、彼は特殊効果の名門スタジオILMのアニメーターだったという異色の経歴の持ち主です。
『デッドプール』(2016)、『ターミネーター:ニュー・フェイト』(2019)を手掛けているティム・ミラーももともとアニメーター、VFXアーティストだった人。
フィンチャーとミラーはNetflixのアニメシリーズ『ラブ、デス&ロボット』(2019-)で製作総指揮に名前を連ねています。
ティム・バートンはウォルト・ディズニー・スタジオのアニメーターから映画監督に転じています。
また、珍しい例として『アトミック・ブロンド』(2017)、『デッドプール2』(2018)などアクションをメインフィールドにしているデヴィッド・リーチはスタントマン出身です。
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意外なところだとリドリー・スコットはテレビのセット・デザイナー→ドキュメンタリー、テレビドラマの演出→CMディレクター→映画監督という珍しいキャリアパスを辿っています。
映画監督になる方法③もともとプロデューサー
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デヴィッド・O・セルズニック(1902-1965)など作品の内容に口を出しまくる実質監督みたいなプロデューサーもいたそうです。
さて、プロデューサー出身の監督ですが非常に少ないです。
『コールガール』(1971)『大統領の陰謀』(1976)など渋い作風で知られたアラン・J・パクラ。
現役だとガイ・リッチー作品でプロデューサーをやっていたマシュー・ヴォーンぐらいでしょうか。
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映画監督になる方法④脚本家出身
多そうで意外と少ないパターンです。
前述のコッポラは『ゴッドファーザー』(1972)でメジャー監督になるまでB級映画の監督として経験を積んでいましたが、メジャー作品の脚本家でもありました。
『ゴッドファーザー』で監督として有名になる前に、『パットン大戦車軍団』(1970)で脚本家としてアカデミー賞を受賞しています。
オリバー・ストーンも『プラトーン』(1986)で監督として有名になる前に、『ミッドナイト・エクスプレス』(1978)で脚本家としてアカデミー賞を受賞しています。
その他、ポール・ハギス、トニー・ギルロイ、ケネス・ロナーガンなども、もともと脚本家としてキャリアを築いていました。
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今後、注目の例は劇作家・脚本家として確固たる地位を築き『モリーズ・ゲーム』(2017)で監督デビューしたアーロン・ソーキン、作家、脚本家として活躍しテレビシリーズで演出家デビューしているニック・ピゾラットあたりでしょうか。
コミック作家で『シン・シティ』(2005)の監督でもあるフランク・ミラー、
『AKIRA』で知られる漫画家出身の大友克洋、『パプリカ』の今敏なども広義ではこの分類に入るかもしれません。
映画監督になる方法⑤俳優出身
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有名俳優が監督デビューして話題になったことはありますが、それが評判になったことは少なく、監督として確固たる地位を築いたという例は稀です。
ロバート・デ・ニーロ、ジョディ・フォスター、ジョニー・デップ、ナタリー・ポートマン、アンジェリーナ・ジョリー、シルヴェスター・スタローン、ダスティン・ホフマンなど監督作を発表したスター俳優は結構いますがいずれも評判になったとは言い難いです。
俳優出身監督の代表例と言えば、クリント・イーストウッドをおいて他にいないでしょう。
もともとスター俳優だったイーストウッドは『恐怖のメロディ』(1971)で監督デビュー。
以降もコンスタントに作品を発表し続け、監督として2度アカデミー賞を受賞しています。
2020年で90歳ですがバリバリの現役で、今でも賞レースに食い込むような映画を作り続けています。
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また、スター俳優が監督としてアカデミー賞を受賞した例はロバート・レッドフォード、ケヴィン・コスナー、ウォーレン・ビーティ、メル・ギブソンなどがいます。
コスナーは『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(1990)以外が軒並み低評価。
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ノミネートまで広げると、ジョージ・クルーニー、ティム・ロビンス、ケネス・ブラナーが監督としてアカデミー賞候補になったことがあります。
意外なところだと、『ビューティフル・マインド』のロン・ハワードは子役出身で大人の俳優になってからも『アメリカン・グラフィティ』(1973)に名前のある役で出ています。
往年の名監督シドニー・ルメット(1924-2011)も、もともと子役だった人です。
グレタ・ガーウィグ、ソフィア・コッポラ、トム・マッカーシーも一応もともと俳優です。
スター俳優出身監督で今後が楽しみなのはベン・アフレックです。
監督作『アルゴ』(2012)がアカデミー賞の作品賞を受賞したときは、監督賞の最有力と言われていたアフレックがまさかの候補落ちし物議を醸しました。
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俳優としては『ジャック・ライアン』シリーズでお馴染みのジョン・クラシンスキーも楽しみな存在。
続編が公開される『クワイエット・プレイス』(2018)の演出は見事でした。
『アリー/ スター誕生』(2018)で華々しく監督デビューしたブラッドリー・クーパーも次の監督プロジェクトが発表されています。
日本だと一番の有名例はやはり北野武でしょうか。
世界のキタノはお笑い芸人出身ですが、俳優としても映画、ドラマに出ているので広義では俳優出身と言っていいでしょう。
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映画監督になる方法⑥テレビ演出家出身
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統計を取っているわけではないので、あくまでも印象ですが『踊る大捜査線 THE MOVIE』(1998)を境目にテレビシリーズの続きをそのまま劇場に持っていくというパターンが増えている気がします。
そういう場合、監督はテレビシリーズの演出家がそのまま続投している場合がほとんどです。
最近だとその年の邦画で最大のヒット作になった『劇場版 コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-』(2018)はテレビシリーズの演出をしていた西浦正記がそのまま劇場版でも監督をしています。
【大ヒット御礼舞台挨拶】
左から
西浦正記監督
かたせ梨乃さん
比嘉愛未さん
新垣結衣さん
山下智久さん
戸田恵梨香さん
浅利陽介さん
山谷花純さん pic.twitter.com/B4CeVqquBw— 『劇場版コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-』最新情報 (@codeblue_eiga) August 9, 2018
テレビも映画も映像作品であることに変わりはありませんが、それでも違いはあります。
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テレビの連続ドラマで特にお金がかかっているのはNHKの大河ドラマですが、大河ドラマの制作費は1話あたり6,000万ぐらいが相場です。
対して「大作」と言われる商業映画は10億ぐらいが相場です。
予算があるので人員を大量動員できますし、予算があるので特機も大胆に使えます。
また、テレビはマルチカム(複数のカメラで一斉に撮る)の場合も多いですが、映画は普通シングルカム(カメラ一台で撮影)です。
マルチカムは一度に複数の画が撮れるので効率的ですが、他のカメラが映りこまないようにしなければならないためアングルが限られます。
シングルカムは非効率的ですが映り込みを気にしなくていいので画角のバリエーションが増えます。
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結局のところ、これがテレビ演出家と映画監督の差で普段やらないことを予算が増えたからと言って突然できるようになったりはしないということでしょうね。
もっともテレビ演出家がみんなカメラワーク(特機使い)が乏しいかと言うと、そういうわけではなく「探偵ガリレオ」シリーズでお馴染みの西谷弘は映画では映画らしい演出をしています。
テレビシリーズの映画版である『容疑者Xの献身』(2008)、『真夏の方程式』(2013)は内容もテレビシリーズから完全に独立しており単独で楽しめる配慮がされています。
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逆にアメリカでは映画監督として活躍した人がテレビを手掛ける例が増えているように思います。
『24 -TWENTY FOUR-』(2001-)をきっかけに日本でも海外ドラマブームが起きましたが、多チャンネルのアメリカではさらに競争が激化しており、テレビドラマのレベルが凄まじい勢いで上昇しています。
ギレルモ・デル・トロ、デヴィッド・フィンチャー、スティーブン・ソダーバーグ、リドリー・スコットなど積極的にテレビに関わる大物監督は少なくなく、予算面でも明らかに映画とドラマの格差が縮まっています。
デルトロのSFドラマがはじまってた。Amazonビデオでも観れるけど、これはプライム会員無料じゃないのか。
「パシフィック・リム」ギレルモ・デル・トロ監督がドラマ界に降臨! http://t.co/RHgbq4Tc2o pic.twitter.com/makryGVKeN
— Hero of the Day (@herooftheday22) October 3, 2015
アメリカの芸能界には舞台俳優→映画俳優→テレビ俳優という序列がかつてから存在するらしいですが、2019年のアカデミー賞で演技部門を受賞した4人の俳優は4人ともテレビのプロジェクトを抱えており、俳優にとってもテレビは魅力的なプロジェクトになっているようです。
映画監督になる方法⑦映画評論家出身
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「映画評論家の経験がある」程度まで範囲を広げてもピーター・ボグダノヴィッチ、パク・チャヌク、ポール・シュレーダーの名前が挙がる程度。
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映画監督になる方法⑧舞台演出出身
古い例で有名どころだと、まずは名門俳優養成学校アクターズ・スタジオの創設者だったエリア・カザン(1909-2003)でしょうか。
カザンは舞台演出家として大きな成功を収め、映画に進出。
映画監督として『紳士協定』(1947)、『欲望という名の電車』(1951)『波止場』(1954)『エデンの東』(1955)などの古典的名作を残しています。
アート映画界の名匠として名高かったスウェーデンのイングマール・ベルイマン(1918-2007)も舞台演出家出身。
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現役であれば最大の成功例はサム・メンデスでしょうか。
『アメリカン・ビューティー』(1999)のような比較的小規模な作品で評価された人ですが、今では『007 スカイフォール』(2012)、『1917 命をかけた伝令』(2019)のような大作でも手腕を発揮しています。
意外なところだと『トレインスポッティング』のダニー・ボイルも舞台演出家出身で、舞台の後にテレビ演出を経験し、それから映画監督になっています。
映画監督になる方法⑨インディーズ出身
ニコ・トスカーニ
1970年代、日本の人材育成システムの軸だった撮影所システムが崩壊しました。
それに伴って当時の若い映像制作者が8㎜フィルムで自主制作の映画を作り始めます。
2020年4月に亡くなった大林宣彦はインディーズから有名になった人です。
そんな時代の潮流に乗ってぴあフィルムフェスティバル(PFF)が誕生しました。
PFFは自主映画のためのコンペ、「PFFアウォード」を備えており、1984年には映画製作助成制度である「PFFスカラシップ」が開始されました。
この助成制度で園子温、矢口史靖、熊切和嘉、李相日、内田けんじ、石井裕也などがデビューを果たしています。
その他、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭、TAMA NEW WAVEなども登竜門として有名です。
ニコ・トスカーニ
「カメラを止めるな!」公開200日目
写真は200日前の僕たち。この先の未来を知るよしもない僕たち。200日前が大昔のようで昨日のようで。
今日もあの日と同じ場所 池袋シネマ・ロサ @Cinema_ROSA で舞台挨拶があります。奇跡は現在進行系。 pic.twitter.com/KeEwMgVoVc
— 上田慎一郎 (@shin0407) January 7, 2019
海外の例だと今や超大物になったクリストファー・ノーランは若いころに製作費6,000ドルという超低予算のインディーズ映画『フォロウィング』を制作して評判になっています。
スペインの名匠ペドロ・アルモドバルも自主製作映画をきっかけにデビューしています。
映画監督になる方法⑩その他
名匠スタンリー・キューブリック(1928-1999)はもともと雑誌のカメラマン。
ニコ・トスカーニ
また、トム・フォードと言えば世界的な名デザイナーですが、『シングルマン』(2009)で監督デビューし、映画監督としても高く評価されています。
映画監督になるにはどんな方法がある?:まとめ
以上、思いつく限りの例を挙げてみましたが、結局、映画監督に多いのは「映像業界で別の仕事をしていた人が経験を積んで監督デビュー」というパターンのようです。
ニコ・トスカーニ
やはり映像の演出をする以上、映像に関わる経験を積むことが一番の近道なのでしょうね。
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