ほとんどの作品で”ふくよかすぎる”人物・物体を描く存命の芸術家、フェルナンド・ボテロ。彼のルーツと「ボテリズム」の秘密を追ったドキュメンタリー映画『フェルナンド・ボテロ 豊満な人生』が4月29日(金・祝)よりBunkamuraル・シネマほかにて全国順次ロードショーします!
「南米のピカソ」と称される、ボテロのアートに対する熱い思い。そして人生との向き合い方について知ることのできる、貴重かつ親しみやすい映画となっていました!
・楽しくなければアートじゃない!ボテロのポリシーとは?
・芸術は物事を変えることができない?
それでは『フェルナンド・ボテロ 豊満な人生』をネタバレなしでレビューします。
目次
『フェルナンド・ボテロ 豊満な人生』あらすじ【ネタバレなし】
フェルナンド・ボテロの画家人生
フランスのとあるレストラン。ボテロとその子どもたちが集まる食事の席で、ボテロは芸術家を目指すことになった当時を振り返ります。
コロンビア・メデジンで幼少期を過ごしたボテロですが、当時の町は司祭が支配しており、ボテロも両親も宗教に関心がないため、窮屈に感じていました。そんな中で、ボテロは闘牛士になるための養成学校に通います。
ところが闘牛の絵を描くことにハマってしまい、練習よりも自分の絵を売るように。これが画家として、初めて作品を生み出した瞬間でした。
その後は、地元の商業誌でイラストレーターを務めながら、画家を目指すように。当時のボテロの絵は、現在のようなふくよかな作風ではありませんでした。やがてヨーロッパへ留学して絵画を学ぶも、資金が尽きてコロンビアに帰国。ここでボテロに「ふくよか」な作風が誕生するアイデアがおりてくるのです。
これを機に、ボテロの作風はより確固たるものになっていき、世界的にも評価されるようになります。
息子・ペドリートの死
しかしボテロ一家にある悲劇が起きます。それは愛する息子・ペドリートの事故死。まだ幼いペドリートは車にはねられ、ボテロや息子の前で息を引き取ります。さらにボテロはペドリートを助けようと、彼の体に刺さった金属片を取ろうとした際に、利き手の一部を失ってしまいました。
ボテロは心身ともに傷つき、何か月も絵が描けなくなってしまいます。やがてボテロはアトリエにこもると、何枚もペドリートの絵を描き続けました。完成した絵は、どれもボテロならではの明るい色彩がなく、かわりに地味で暗いながらも、詩的な美しさを持っていました。
やがて利き手の具合も戻ってきたボテロは、最高傑作と称される「馬に乗ったペドリート」という作品を生みだしたのです。
彫刻家へ転身
悲しみを抱えながらも前に進むボテロは、絵画を描くことをいったんやめ、彫刻の世界に身を投じます。
彫刻でもふくよかなデザインは健在で、誰もが親しみやすい作品を多く制作しました。ボテロの作品はフランスのシャンゼリゼ通りで展示され、これはフランス政府が公共の場に作品の設置を認めた初のケースでした。この展覧会をきっかけに、ボテロの彫刻作品は世界各国で展示されるようになります。
絵画・彫刻で独自の「ボテリズム」を極めるフェルナンド・ボテロ。芸術を楽しむことをモットーとし、ほかの芸術家や批評家から批判を受けても、決してその作風を曲げることはありません。さらにボテロはある社会問題にも、独自の作風で向き合っていきます。
ボテロは画家として何を考え、何を大切にして生きているのか。彼のルーツや考えに、作品の解説を交えながら迫る作品です!
『フェルナンド・ボテロ 豊満な人生』感想
ふくよかな作風が誕生した理由とは?
公式サイトの解説にもありますが、ふくよかな作風が誕生したきっかけはマンドリンという楽器です。
活動資金がなくなり、祖国・コロンビアに帰っていたボテロは、マンドリンを丸丸とした形で描くと、中心にある穴の部分をあえて小さく描きました。このときに誕生したマンドリンのイラストに大きな衝撃を受けたことで、ボテロのふくよかな作風が形づけられました。彼のふくよかなデザインは人間だけかと思いきや、実は動物をはじめ果物や楽器にも反映されているのです。
もともとは、イタリア・ルネサンス期に活躍した画家たちの絵を見て影響を受けたボテロですが、独自の「ボテリズム」に至るまでの過程はとてもユニークです。公式サイトにある解説では、ボテロがこの作風に至った理由について、これまで明言したことはないと書かれています。その分、映画内では独自の”ボリューム感”について言及しているインタビュー映像があり、ボテロファンも楽しめる作品となっていました。
いい意味でアートの敷居を下げるボテロのポリシー
筆者もそうですが、アートにあまり精通していない人にとって、美術館はちょっとハードルが高いと感じませんか?
絵を見るだけでなく、その画家の経歴、生きた時代背景、当時の社会風刺など…。単純に「すごい!」と思うだけで過ごすのは、ちょっとためらわれる空気感があります。「そんなことないよ!」と言われても、こればかりは受け止める側の問題なので、むずかしいところです。
しかしボテロは「芸術は楽しくないといけない」をモットーにしていることもあり「作品にユーモアを取り入れることで、誰でも親しみやすい作品になる」と語っています。実際、彼の彫刻作品は美術館だけでなく、公共の場にも展示されるなど、いろんな人の目に触れる場所に存在しています。
一方で、そんなボテロの作風に批判的な芸術家もいます。ふくよかなデザインが不快で、まるで食品会社のキャラクターだと非難する芸術家も…。
しかしキュレーターにはボテロの作品を「ハイアート(高尚な芸術)と生活の関心事の中間に位置する」と評価する人もおり、普段アートに興味のない人や、敷居を高く感じて楽しめない人に寄り添う作品と解説していました。
本作を観て「実物を見てみたい!」と思うのは、こうしたボテロのアートに対する考え方があるからかもしれませんね。
芸術は物事を変えることができない?
ボテロは「芸術は物事を変えることができない」と語ると同時に「人々の記憶に証を残せる」とも言います。
個人的に印象的だったのが、ボテロが「重い社会問題を、自分の作風のまま絵画にした」ことです。
2005年、ボテロは米軍がイラク兵に対して拷問・虐待を行った「アブグレイブ収容所」の写真をモチーフに、絵画を多数制作。残虐なシーンのはずなのに、どの作品もボテロならではの色遣いとふくよかなデザインで描かれていたのです。
これには多くの評論家が戸惑うと同時に、大きな感銘も受けたと語ります。あえて自分の作風のまま残虐な行為を描くことで、この出来事に関心のない人の注目も集めたのです。(さらにボテロは、これらの絵画を売らずに寄付している)
ボテロはアブグレイブ収容所で起きた拷問を「芸術家として無視できない出来事」と語り、自身の豊満な作風を武器に、拷問・虐待の実態を“証”として人々の記憶に残しました。
この件とは別に、ボテロは祖国コロンビア・メデジンにハトの彫刻を寄贈しています。しかし、当時のメデジンの治安は最悪であり、ボテロの彫刻はテロの標的となって爆破されてしまいます。この時にボテロがとった行動も「芸術は人の記憶に証を残せる」ことへの説得力をより強めるものでした。
『フェルナンド・ボテロ 豊満な人生』あらすじ・感想まとめ
・純粋にアートを楽しむことを肯定するボテロのポリシー
・芸術は人々の記憶に証を残す力がある!
以上、ここまで『フェルナンド・ボテロ 豊満な人生』をレビューしてきました。
筆者はボテロの存在はおろか、作品についてもほとんど知らなかったのですが、彼の出自や作品の解説もしっかり描かれていてストレスなく楽しめました!
ヤマダマイ