手塚治虫が1970年代に発表した大人向け同名コミックを、稲垣吾郎と二階堂ふみのW主演で初映像化した実写作品『ばるぼら』。
手塚治虫の実子であり坂口安吾原作の『白痴』などを手掛けてきた手塚眞が監督を務め、ウォン・カーウァイ作品などアジア映画を中心に活躍するクリストファー・ドイルが撮影監督として参加しています。
ベテラン二人の初タッグ、そして稲垣吾郎と二階堂ふみの名演によって、愛と狂気の寓話を美しく描き出しました。
- 手塚治虫の実子がメガホンを担当!
- タブーとされてきた問題作を完全実写化!
- 稲垣吾郎と二階堂ふみがミステリアスな役を熱演。
さっそく、映画『ばるぼら』をネタバレありでご紹介したいと思います。
目次
『ばるぼら』作品情報
作品名 | ばるぼら |
公開日 | 2020年11月20日 |
上映時間 | 100分 |
監督 | 手塚眞 |
脚本 | 黒沢久子 |
出演者 | 稲垣吾郎 二階堂ふみ 渋川清彦 石橋静河 大谷亮介 ISSAY 片山萌美 渡辺えり |
音楽 | 橋本一子 |
『ばるぼら』あらすじ【ネタバレなし】
異常性欲に悩まされている耽美派の小説家・美倉洋介は、新宿駅の片隅で酔っ払ったホームレスのような少女・ばるぼらと出会って自宅に連れて帰ります。
大酒飲みで自堕落なばるぼらですが、美倉は彼女に奇妙な魅力を感じ追い出すことができません。
ばるぼらを近くに置いておくと不思議と美倉の手は動き出し、スランプから抜け出して新たな小説を創造する意欲が沸くのでした。
やがて美倉とばるぼらは愛し合うようになりますが、彼女はやがて姿を消してしまいます。
ばるぼらを失った美倉は彼女を求めるがゆえに墜ちていきますが…。
ばるぼらは芸術家を見守るミューズなのか?
はたまた美倉の幻想なのか?
二人の行く末には何が待っているのでしょうか。
【ネタバレ】『ばるぼら』感想
ばるぼらはミューズか幻想か
『ばるぼら』を観た後、その世界観に浸りながら思うことは人それぞれでしょう。
しかし、“ばるぼら”という存在が現実だったのか、幻想だったのかと考えを巡らせる人が多いことと思います。
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著名な作家でありながらスランプに陥っていた美倉(稲垣吾郎)が生み出した、自分にとって理想的な存在。
そして、自分にとって都合の良い存在であったのが、ばるぼら(二階堂ふみ)という女だったのです。
そう考えるに至った理由として、大きく三点挙げられます。
まず、ばるぼらは美倉にとってあまりに魅力的だということ。
美倉はホームレス同然のばるぼらを自ら拾っておきながら、当初は彼女のことを汚らしく思ったり、疎ましく思ったりして、非情な態度を取ることもありました。
そんな美倉がばるぼらを表現する言葉として最初に選んだのが以下の台詞です。
「都会が何千万という人間をのみ込んで消化し、たれ流した排泄物のような女」
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退廃的で淀んだ光を感じさせる作品の冒頭にぴったりの台詞です。
決して褒めているようには感じられませんが、とても秀逸な表現だと思いました。
そして、このような容易に思いつかない言葉でばるぼらを表現していることからも、すでに彼女に魅力を感じ、創作のインスピレーションを受けていることがわかります。
当初は嫌っていたばるぼらを激しく愛し始める美倉ですが、そもそも魅力的だったから連れ帰ったわけです。
人はそんな相手を簡単に見つけられるのでしょうか。
新宿駅の片隅で拾って帰れるような女神に、簡単に巡り会えるのでしょうか。
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二つ目は、ばるぼらが美倉の周辺人物とかかわりを持っていないということ。
美倉が家に連れ帰ってからも事あるごとに姿を眩ませたり、気付いたらどこかへ出歩いていたりと自由奔放なばるぼらですが、徐々に美倉のもとに居着くようになっていきます。
美倉の家にはまったく誰も来ないというわけではないし、美倉と行動をともにしていれば誰かしらばるぼらの存在を不思議に思うはず…。
しかし、美倉が他者とかかわる時、決まってばるぼらはいません。
物語が進んでいくと、美倉はばるぼらが芸術家を見守るミューズなのだと考えるようになりますが、ばるぼらの母親を自称するムネーモシュネー(渡辺えり)という女性が現れたことで、状況は一変しました。
ムネーモシュネーとはギリシャ神話における記憶を神格化した女神のことで、神々の王・ゼウスと結婚し、芸術を司るミューズたちを生んだ母親とされています。
このことでばるぼら=ミューズ説が現実味を帯び始めるのですが、美倉とばるぼらが愛し合い、結婚しようとした時に行われたのは、黒ミサ式の結婚式でした。
黒ミサ式とはローマ・カトリック教会に反発するサタン崇拝者の儀式のことで、ばるぼらはミューズというより悪魔、あるいは魔女であることがわかります。
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いざ美倉とばるぼらが黒ミサ式の婚礼の儀を行おうとした際には、警察の突入によって式が中断され、ばるぼらたちは忽然と姿を消してしまいます。
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さらに気になったのが美倉の家に編集者の加奈子(石橋静河)がやって来た時、ばるぼらも同じ室内に居合わせているというシチュエーションで、ばるぼらは加奈子の存在を認識しているようですが、加奈子はばるぼらの存在に気付いてもいないような様子でした。
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最後に、ばるぼらは美倉の強烈な欲望を満たせるということ。
美倉は異常性欲者を自称するほど特殊な性癖を持っています。
それは人形(マネキン)や犬など人間以外に欲情すること。
人間の女性に欲情することがない美倉でしたが、ばるぼらとは性的関係になります。
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物語終盤、美倉は愛するばるぼらを取り戻しますが、ばるぼらは美倉のそばで亡くなってしまいます。
ばるぼらの死体とともに山小屋に籠った美倉は、ばるぼらの目を覚まそうとでも考えたのかキスをしたり、性行為に及ぼうとしたりと、かなり狂気的な行動を繰り返しました。
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しかし、根底にある異常性欲を思い起こさせるものであり、ばるぼらへの愛情すら自分の異常さを正当化するための無意識な幻想ではないかと感じさせられます。
その後、美倉は途端に創作意欲が沸き、死んだばるぼらのために長編小説を執筆することに。
そして、自身も死の淵に立たされながら書き上げた作品こそ、『ばるぼら』なのでした。
こうして本当に書きたいものを書き上げたことも、美倉にとっての欲望の一つだったと思います。
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物語はハッピーエンドかバッドエンドか
美倉は耽美派の小説家と紹介されていますが、耽美派とは一体どんなものなのでしょうか?
耽美主義とは19世紀後半頃に西洋で発達した文芸思想の一つで、美しさこそが至高とする考え方です。
この耽美主義を推し進めた芸術家たちを耽美派と呼びますが、個々人の思う美しさを表現することを重要視するので、一般常識が通用しない世界観であったり、過激な作風だったりと正直に言って万人受けするジャンルではないと思われます。
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そんな耽美主義ですが、美しさを追い求めるがゆえに、時に非道徳的であったり暴力的であったりすることもしばしば…。
前述の通り多くの人に受け入れられるものではなく、反社会的な思想も見受けられることから“悪魔主義”と呼ばれることもあります。
ここで思い出したいのが、ばるぼらやムネーモシュネーが黒魔術を扱う魔女だったことです。
美倉はムネーモシュネーと知り合ったことで黒魔術の世界に足を踏み入れていきますが、異常性欲を持ち、耽美派の作品を書いている小説家としては、大変興味深い世界だったのではないかと推測できます。
筆者がばるぼらの存在を幻想だったと考えているのはそういった部分も含めてのことなのですが、そうなると『ばるぼら』はハッピーエンド?バッドエンド?と考えを巡らせている人も多いのではないかと思い至りました。
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実は『ばるぼら』は原作と映画で物語終盤からラストのシーンが少し違っています。
特に原作のラストでは、美倉が最後に残した作品こそがこの『ばるぼら』なのだと、小説オチのような様相を呈していました。
しかも、美倉は姿を消すものの作品は大ヒットするという展開になっています。
それに比べて映画版のラストでは、その部分がぼんやりと描かれていたように思います。
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どちらにせよ、美倉が本当に愛する相手を見つけたこと、本当に書きたいと思っていた作品を書き上げられたことに変わりはありません。
誰がどう思おうと美倉にとってばるぼらはミューズであり、彼女のおかげでハッピーエンドを迎えたといっても過言ではないでしょう。
しかし、見方によっては美倉が破滅的な結末を迎え、ばるぼらも死んでしまうというバッドエンドだと思います。
urara
そもそもばるぼらはミューズというより、ファム・ファタールという言葉が似合います。
ファム・ファタールとは、男を破滅させる魔性の女を指す言葉なのですが、これは意図的に男性を追い込むようなことをするのではなく、女性側の自由奔放な振る舞いに男性側が振り回されたり、翻弄されてしまうような“魔性さ”を意味しています。
天真爛漫で自由奔放、中性的でありながら妖艶な魅力を持つばるぼらにぴったりの表現です。
urara
『ばるぼら』あらすじ・ネタバレ感想まとめ
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— 映画『ばるぼら』公式 Tezuka’s Barbara (@BarbaraTezuka) December 7, 2020
いかがだったでしょうか。
ここまで『ばるぼら』をネタバレありでレビューしてきました。
- 手塚治虫の原作を見事にスクリーンに再現!
- 原作とは若干、違うラストには注目!
- 耽美的な世界観には、思わずウットリ…。
さまざまなタブーに触れていることから、映像化不可能といわれていた手塚治虫の「ばるぼら」。
手塚治虫の実子・手塚眞により映像作品として再現され、愛と狂気の物語をスクリーンに映し出しました。
稲垣吾郎と二階堂ふみの体当たりの演技は素晴らしく、まさに耽美的です。
ぜひ、原作とあわせてご覧になってみてはいかがでしょうか?