私、イッシーはここまでアメコミ映画に関する記事を5本書いてきましたので、ここで一度私が好きなアメコミ映画についてざっくばらんに語っていきたいと思います。
日本では世界ほどアメコミ映画がヒットしませんが、『アベンジャーズ/エンドゲーム』を見てからMCUにハマったという人も多くいるようで、フェーズ4からの興行収入がどれくらいになるのか個人的に気になるところです。
それではさっそく本題に入っていきましょう。
目次
アメコミ映画を好きになった原点とアメコミの魅力とは?
アメコミ映画に触れてきた過去を振り返る
私が最初に見たアメコミ映画は、サム・ライミが監督を務めた『スパイダーマン』三部作です。
『スパイダーマン』と『スパイダーマン2』の公開当時は小学生だったため、映画館で見たのかテレビで見たのかは忘れてしまいましたが、スパイダーマンのかっこよさには心が痺れました。そして、『スパイダーマン3』に関しては映画館で見たことをはっきり覚えています。
スパイダーマンが糸を駆使して街を自在に移動するシーンは映画館で見るからこそ味わえる良さや迫力がありますね。
アメコミ映画にどっぷりとハマった今、改めて見返してみるとアメコミ独自のネタに気づけて面白いのです。
例えば『スパイダーマン』では、ピーター・パーカーがスパイダーマンのスーツを身に着ける前に、試しに糸を出す練習をしていた時にシャザムというDCコミックスのヒーローの名前を口にしています。
さらに『スパイダーマン2』のヴィランはドック・オクというのですが、その名前をデイリービーグルという新聞社が決める時に“ドクター・ストレンジ”という名前を口にしているのです。これらに気づいた時には本当に驚きました。
その後は『X-MEN』シリーズなどのマーベル映画を見るようになりました。
『X-MEN』シリーズは様々な能力者が出てくるので、毎回どんな能力者が出てきて、どのように超能力を活かして戦うのかが楽しみでしたね。
また、
- X-MENのリーダーであるプロフェッサーX
- X-MENと対立しているミュータントの組織「ブラザーフッド」のリーダーであるマグニート
この2人の考えが相容れない背景には、「差別」という重いテーマがあるのは印象的でした。
そしてX-MENと言えば、プロフェッサーXとマグニートがチェスをするというシリーズを通して出てくる象徴的なシーンがあり、チェスをしている時は2人ともお互いの立場を忘れて心を通わすことができる時で、そこもまた良いアイスブレイクになっています。
さらには『ファンタスティック・フォー』シリーズや『ブレイド』シリーズなども見るようになりました。
『ファンタスティック・フォー』の好きなところは、意図せずして超能力を持ってしまった4人が戸惑いながらもチームとしてまとまっていく点です。
そして、その4人は性格もバラバラなので、超能力に対する捉え方の違いがはっきり出ていて面白かったですね。
『ブレイド』はヴァンパイアを狩るヒーローなのですが、超能力を持っていないため、格闘戦だけでヴァンパイアを倒していきます。そのアクションシーンがまたかっこいい。惚れ惚れするようなアクションの連続で何度も見たくなります。
そして、2008年に公開された『アイアンマン』と『ダークナイト』を見てからは、もうMCUとDCEUを含めたDC映画にハマっています。
アメコミ映画好きの原点とは?
アメコミ映画の一番の魅力は、ヒーローがヴィランを倒すという単純な話ではなく、ヒーローにもヴィランにも人間臭さがあることだと思います。
なので、一度ハマるとアメコミ映画は飽きることなくずっと見ることができるジャンルなのです。
私自身の「アメコミ映画好きの原点は何か?」を考えると、日本の特撮にたどり着きます。
小さい頃は『仮面ライダー』や『ウルトラマン』が大好きで、今もその気持ちは変わりません。
日本の特撮が好きだったからこそ、MCUが始まるずっと前からアメコミ映画を好きになれたのだと確信しています。
特撮ヒーローもアメコミヒーローも、傷つきながら人々を守るために戦う姿というのはいつ見てもかっこいいですし、憧れるものがあります。
そして、自分も自然とこんな風に人々のために何かしたいという気持ちになるのです。活力の源ですね。
特撮ヒーローとアメコミヒーローの違いとは?
アメコミ映画を見るようになってから、特撮ヒーローとアメコミヒーローには違いがあると思うようになりました。ここではその違いについて語っていきます。
特撮ヒーローでの代表格である『仮面ライダー』や『ウルトラマン』は、普通の人間とは違う異質の存在として描かれており、自己犠牲をしてでも人々を助けるという考えです。
対して、アメコミヒーローは特殊能力こそ持っているものの、ヒーローである前にひとりの普通の人間として描かれており、自分の命を無碍に捨てようとはせずに人々を助けようという考え方です。
では、それぞれについて語っていきます。
特撮ヒーロー
特撮ヒーローとして『仮面ライダー』を例に挙げます。
仮面ライダー1号から始まった昭和ライダー、そしてクウガから始まり現在も続いている平成ライダーシリーズの「ブレイド」までは特に自己犠牲という面が強調して描かれています。
昭和ライダーは全身が器械に改造されていて人ではありません。しかし、それでも人の心を失わずヒーローとして戦い続けたのは、悪を滅ぼすまで戦い続けることでしか存在意義を示せないからです。
世界が平和になって自分たちが世界から必要とされなくなれば、ヒーローとしての存在意義がなくなってしまいます。
そんな悲しき運命を背負った彼らは、まさに自己犠牲を体現していると言えるでしょう。
時代は平成へと変わり、『仮面ライダークウガ』から平成ライダーが始まります。
平成ライダーでは改造された器械人間という設定はなくなり、普通の人間がベルトを使い仮面ライダーになるという設定に変わりました。
しかし、クウガからブレイドまでの初期5作品において、主人公たちが自己犠牲を払いながらも仮面ライダーとして人々を守るという点では昭和ライダーと共通しています。
昭和ライダーでは改造人間という直接的な形で描かれていましたが、平成ライダーは間接的に作中で示しているというのが大きな特徴ですね。
アメコミヒーロー
一方のアメコミヒーローは、スパイダーマンが「親愛なる隣人」と呼ばれることでも分かるように、人々の身近にいる存在として描かれます。ここは特撮ヒーローとは大きく違う点と言えるでしょう。
つまり、人々はヒーローを危険視することはあっても自分たちとは全く異なる異質の存在としては見ていないということです。
これらはアメコミ界の神様と呼ばれ、2018年に亡くなったスタンリー氏が抱え続けていた「特殊能力を持っていても一人の人間として読者から共感されるようなヒーローを生み出したい」という想いから、様々なヒーローが創造されたことに由来します。
なので、アメコミヒーローというのは普通の人々と同じように様々な悩みを抱えながらもヒーロー活動をしています。
そして特撮ヒーローほど自己犠牲という面が強調されていません。
アメコミ映画の楽しさ、アメコミ映画好きの原点まとめ
ここまでアメコミ映画についてざっくばらんに語ってきましたが、日本とアメリカでのヒーローに対する捉え方や定義の違いが結構はっきりと現われていて興味深いのです。
他にも、日本人は「特撮ヒーロー=子供が見るもの」という固定観念みたいなものがあって、早い段階で自然と離れていってしまう傾向が強いです。
一方のアメリカ人は「大人になってもアメコミヒーローが自分の一部になっている」というような違いも大きいと思います。
日本でアメコミ映画がなかなかヒットしないことにも少なからず関係していることでしょう。
まだまだアメコミ映画ブームは終わりそうにないので、楽しみが尽きることは無さそうです。